二束三文の勲章
目が覚めると、痛みより先に焦げたような臭いが鼻を突いた。
臭いの元が自分の右手だと気づくのに、しばらくかかった。
「――起きたか、寝坊坊主」
声の方へ目をやると、包帯を巻く手を止めずにミラがこちらを覗き込んでいた。目の下に濃い隈、頬には乾いた血の筋。それでも声だけは、いつもの軽さを保とうとしていた。
「……肩、まだ動くか」
ハルが真っ先に口にしたのはそれだった。掠れた声で、労わりとは程遠い素っ気なさだったが、目だけはまっすぐミラの肩に向いていた。
「動くよ、贅沢言えばね」ミラは肩をすくめかけて、途中で顔をしかめた。「それより、ハルの手はどうなんだい。あんな無茶しといて」
視線を落とすと、右手は包帯の下でぱんぱんに腫れ上がっていた。指を曲げようとしただけで、焼けた鉄を握らされたような痛みが肘まで駆け上がる。
「……当分、使いもんにならねえな、こいつは」
「だろうね」ミラは短く笑ったが、笑いはすぐ消えた。「ハルが最後に叩き込んだ音、まだ耳に残ってるよ。あれで死んでなかったら、こっちがどうかしてる」
灰塚の主――継ぎ接ぎの巨躯は、光を沈めて闇の奥へ消えていった。絶命したのかどうか、確かめる余裕はなかった。だが今、日の光の下で目を覚ませていることが、答えの一つではあるのだろう。
依頼の荷は、灰塚を出てすぐライグに引き渡した。革袋の口を縛る蝋封には、見たことのない紋様が押されている。渡す間際、ハルは思わず口を開いた。
「なあ、これ、何が入って――」
「知らねえし、知りたくもねえよ、正直な」ライグはいつもよりわずかに早口で言葉を遮り、残りの前金だけを寄越して背を向けた。「渡した、それだけの話だ。詮索するだけ無駄だぜ」
手のひらに残った感触が、妙に引っかかっていた。掴んだ瞬間、外側の大きさから思っていたよりも、中身はずっと重かった気がする。だが確かめる暇も、確かめたところでどうにかできる立場でもない。ライグはそのまま雑踏に紛れて消えた。
中身も、依頼主の名も、最後まで明かされないままだった。金は懐に入った。それだけだ。借金の返済期限は、もう目と鼻の先まで迫っている。
問題は、それとは別に持ち帰った灰塚の主の――砕けかけた牙と、剥がれ落ちた鱗じみた欠片だった。
「これが、あの化け物の……?」
ギルド出張所の査定台に並べられたそれを一瞥し、グレタは一瞬、帳面をめくる手を止めた。継ぎ接ぎの巨躯から剥がれ落ちたそれは、これまで見たどの素材とも違う鈍い光を放っている。眉間にわずかな皺が寄ったのは、瞬きひとつぶんのことだった。
だがそれも長くは続かなかった。
「――原形をとどめてない。成分も分からない。数字にならないものは、値段もつかないのよ」
グレタは何事もなかったように帳面へ視線を戻し、いつもの平坦な声に戻っていた。
「命懸けで持ち帰った代物だぜ、それ」
「知らないわよ、そんなこと」グレタは台帳に何かを書きつけながら、顔も上げない。「所詮、掴み屋の戦利品でしょう。二束三文だって出るだけマシだと思いなさい」
「――は?」ミラが割って入った。営業用の愛想を一瞬だけ浮かべかけたが、その顔はすぐに剥がれ落ちた。「格上の化け物を仕留めた戦利品だよ。せめて鑑定に回すくらいはしなさいよ」
「回したところで同じよ。数字にならないものは、何百回鑑定しても数字にならない」
ハルの奥歯が軋んだ。膨れ上がった右手が、怒りに引きずられるように熱を持つ。痺れの奥から鈍い痛みが噴き上がり、握った拳がびりびりと震えた。掴みかかってやろうか――そんな衝動が喉元まで迫り上がる。だが掴んだところで、この手はもう何も動かせやしない。それだけが、辛うじてハルを踏みとどまらせた。
「……上等だ」
吐き捨てるように言った声は、自分でも思ったより低く掠れていた。
差し出された硬貨は、あまりに軽かった。ハルは痺れた右手の代わりに左手でそれを受け取り、握り込む。
――上等だ。命賭けの成果が、これか。
胸の内で毒づいても、声には出さなかった。出したところで、何も変わらないことは、嫌というほど知っている。
「行こう」ミラが先に踵を返す。声にはまだ苛立ちが滲んでいた。「腹減ってちゃ、悪態も浮かばないっての」
ハルは黙って頷き、雑踏の中へ足を踏み出した。歯を食いしばって、ただ前を向く。それしかできないことにも、もう慣れっこだった。
――だが、その背をじっと見つめる視線があることに、ハルはまだ気づいていない。
雑踏の陰、崩れかけた壁の影から、フードを目深に被った誰かが、値のつかなかった「掴み屋」の後ろ姿を、ただ静かに見送っていた。
その名が、やがて誰にも侮れない意味を持つようになるとは――今はまだ、誰も知らない。




