掴み屋、二束三文
足音は一つではなかった。二つの足音が重なって、瓦礫の隙間を縫うように近づいてくる。
やがて姿を見せたのは、革鎧に打刃物を提げた、ハルより幾つか年上の冒険者崩れの男二人だった。片方が死骸を一瞥するなり、鼻先で笑う。
「なんだ、掴み屋か。道理でろくな稼ぎになってねえわけだ」
嘲笑混じりの一言に、ハルは答える気も起きず黙っていた。だが、もう一人がしゃがみ込んで死骸を検分した途端、笑いはすっと引っ込んだ。
「……おい。この顎、でかすぎねえか。脚の節の数もおかしい。迷宮の外れでこんな個体、俺は見たことねえぞ」
「気味悪い。長居する場所じゃねえ」
二人は死骸にも、残った甲殻や牙にも手を伸ばそうとしなかった。使えそうな素材がろくに残っていないから、というだけの顔ではなかった――何かに勘づいて、それ以上関わりたくないという足取りで、そそくさと踵を返し、瓦礫の向こうへ消えていった。
「……上等だよ、盗む価値もねえってか」
誰もいなくなった瓦礫地帯で、ハルは独り言ちて笑った。笑うと脇腹が痛んだ。だが胸の奥に小さな棘が残る。妙だ、というのはこっちの台詞のはずだった。あの図体も、あの顎も、いつもと同じ迷宮の外れの獲物だと思っていた。だが深く考える余裕なんて、今の腹には残っていない。飯が先だ。それだけだ。
割れた甲殻と、辛うじて形の残った牙を二本、麻袋に押し込む。それだけの荷物を担いで、痺れの残る右手を庇いながら都市へ戻る道のりは、行きの倍は長く感じられた。
冒険者ギルド出張所――と言っても、都市の外れに建てられた掘っ立て小屋同然の建物だ。木の窓口の向こうに座っているのは、査定官のグレタ。ハルが袋を台の上にどさりと置くと、彼女は書類から顔も上げずに眉だけひそめた。
「……臭う。まず洗ってから来て」
「命懸けで獲ってきた土産だ、香りまで楽しめよ」
グレタはようやく顔を上げ、麻袋の中身を指先だけで探る。割れた甲殻を摘まみ上げ、まじまじと眺めてから、うんざりしたように台に放り投げた。
「これ、原形ないじゃない。牙も半分欠けてる。査定にならないわよ、こんなの」
「自分の一撃で叩き潰した相手だ。文句は俺の右腕にでも言ってくれ」
軽口のつもりだったが、グレタの目にはただの言い訳としか映らなかったらしい。彼女はそろばんを弾くように指を動かし、紙に数字を書きつけると、それをこちらへ突き出した。
数字を見て、ハルは思わず声が裏返りそうになるのを堪えた。安い。安すぎる。今夜の宿代どころか、パン一つ分にも届くかどうか。
「……冗談だろ、これで死にかけたんだぞ」
「相場よ。破損品の等級はこれくらい。文句があるなら、次からはちゃんとした形で持ってきなさいな」
「ちゃんとした形って、格上を素手で相手にしろってか。この街のどこに、そんな余裕がある奴がいるんだよ」
グレタは机の向こうで頬杖をつき、値踏みするような目でハルを眺めた。ボロボロの服、痺れて震える右手、そして何より――査定表に載らない、地味な力。
「腕力も魔力量もろくにない。測れないものは測れないのよ。あんたの手が何をしてるかなんて、私が知る話じゃない。数字にならないものは、値段もつかない」
「……」
「所詮、掴み屋風情でしょう。荷運びでもして大人しくしてればいいものを、無理して迷宮の外れなんかに出るから、そうやってボロボロになるのよ」
掴み屋。
それはハル個人を指す言葉ではなかった。腕力もない、魔力も測れない、秤の手のような地味すぎる力しか持たない――そういう底辺の人間全般を、この街ではひとまとめにそう呼んでいた。荷物持ち、雑用係、数字に乗らない半端者。掴み屋という名は、そういう連中に貼られた、階級そのものの札だった。
反論しようと開きかけた口が、そのまま止まる。悔しいが、事実だった。何ひとつ言い返せない。喉の奥で言葉が詰まって、代わりに乾いた笑いだけが漏れた。
差し出された安い金を、ハルは黙って引ったくるように受け取る。握りしめた掌には、まだ焼けるような痺れが居座っていた。命を張った代償が、この程度の重さしかないという事実だけが、掌の痺れよりもよほど深く沁みた。
だが、いつまでもこの安さに甘んじているわけにはいかない。金がなければ、次はもっと分の悪い場所に潜る羽目になる。それだけは避けたかった。頭を切り替えろ。金がねえなら、伝手を探す方が早いこともある。
頭に浮かんだのは、同じ「掴み屋」と蔑まれながら、要領だけは妙にいい――あの女の顔だった。あいつなら、この安さをどうにかする話の一つや二つ、転がしているかもしれない。
ハルは痺れの残る右手を握り、痛みに顔をしかめながらも、スラムへ続く道を歩き出した。




