安酒と割に合わない話
「割に合わねえ」
安酒場の隅、欠けた木杯を傾けながら、ハルは同じ台詞を三回目くらい繰り返していた。
「命張って、手を潰して、挙句に籍剥奪をちらつかされる。冒険者ってのはとことん人使いが荒い仕事だな」
「今さら気づいたの、坊や」
向かいに座ったミラが、安酒を一口舐めて肩をすくめる。灰塚から戻って数日、傷はどうにか塞がったが、肩を動かすたび顔がわずかに歪む。
「……肩、まだ痛むのか」
ハルはぶっきらぼうに言ったが、目だけはミラの肩に向いていた。
「動くよ、贅沢言えばね」ミラは肩をすくめかけて、途中で顔をしかめた。「それより、ハルの手はどうなんだい。両方ともろくに使い物にならなかったろ」
「……お互い様だ」
軽口というより、確認しあうような一言をひとつずつ交わして、二人はどちらからともなく杯に視線を落とした。
「あたしらみたいなのが真面目に働いたって、報われる仕組みになってないんだよ、この街は。分かってて潜ってんだろ」
「分かってても、腹は減る」
ハルは杯の中身を呷った。安酒は喉を焼くだけで、大して酔いも回らない。それでも、じっとしているよりはましだった。
「グレタの奴、次はねえって言ってたな。噂で籍剥奪、か。上等だ、俺から辞めてやろうか」
「言うだけならタダだけどさ」ミラが片眉を上げる。「辞めたところで、明日の飯はどこから出てくるのさ」
「知るかよ」
ハルは吐き捨てたが、口の端がわずかに歪んでいた。ミラも似たような顔をしている。ここ数日、笑ったのはこれが初めてかもしれない。
「ミラも懲りねえな。あんな依頼にまた乗り気になんのか」
「乗り気なんて言ってないでしょ」ミラは杯を回しながら、わざとらしく目を逸らした。「ただ、灰塚みたいなのがまた出たら――今度こそ噂を叩き潰せる稼ぎ方をしてやろうかとは思ってる」
「思ってるじゃねえか」
「うるさいね、坊やは」
軽口の応酬に、周囲の喧騒が少しだけ紛れる。安っぽい酒場の匂いと、誰かの下手な歌。理不尽まみれの日常の中で、こういう時間だけが唯一、金を払う価値のある贅沢だった。
そのとき、隣の卓から誰かが割り込んできた。
「ほう、賑やかじゃな」
しわがれた声。振り向くまでもなく分かる。オルグだった。手には自分の酒杯を持ったまま、勝手に椅子を引き寄せて座る。
「あんた、いつからそこに」
「兄ちゃんたちの愚痴が聞こえてきたもんでな。混ぜてもらおうと思ってな」
ハルは顔をしかめたが、追い払う気力もなかった。
「あんた、飲むならそっちの奢りにしてくれよ」
「けちなことを言うな」オルグは笑って自分の杯を掲げた。「その代わり、と言っちゃなんじゃが――近頃、面白い話を聞いたわい」
「面白い話ね」ミラが横目でオルグを見る。「あんたの言う面白い話って、大抵ろくなもんじゃないんだよね」
「今回もろくなもんじゃないぞ」オルグは声を落とし、酒の匂いの混じった息でこちらへ顔を寄せた。「迷宮の深部で、法外な依頼が出てるそうじゃ。値も、桁が違うらしい」
「桁が違う、ねえ」ハルは杯を弄びながら鼻を鳴らした。「灰塚の件で懲りたばっかりだぞ、俺は」
「じゃろうな。だから忠告のつもりで言うとる」
そこでオルグは一度言葉を切り、酒を舐めた。目だけがふっと鋭くなる。
「――だがな兄ちゃん、その依頼を受けて潜った連中は、まだ一人も戻ってきておらんのじゃよ」
軽口を叩く調子ではなかった。オルグの目の色が変わる瞬間を、ハルは知っている。あの目はいつも当たる――厄介なことに、な。
ハルは杯を呷ろうとした手を止め、しばらく黙って中身を見つめた。悪態の一つも、すぐには出てこなかった。




