日の光と、歪んだ噂
瞼の裏が、赤い。
熱を持った瞼の向こうから、久しく忘れていた眩しさが差し込んでくる。ハルは呻きながら目を開けた。
――日の光だ。
崩れた岩の隙間から、本物の太陽が見えた。腐った空気ではない、乾いた風が頬を撫でる。生きている。それだけのことが、こんなにも馬鹿げて有り難い。
だが、いつ、どうやってここまで辿り着いたのか、すぐには繋がらなかった。広間の縁で意識を手放したはずの体が、なぜ灰塚の入り口近くの瓦礫の隙間に転がっているのか。頭の芯がまだ鈍く痺れて、記憶にぽっかりと穴が空いている。
「……気を失ったハルを、引きずってきたんだよ」
すぐ傍でミラの声がした。座り込んだまま、片方の肩を庇うように抱えている。顔色はまだ悪いが、目には力が戻っていた。
「化け物の目が途切れた隙を見て、少しずつな。……半日はかかったんじゃないかね。あたしもいい加減、腕がもげるかと思った」
「どれだけ寝てた」
「知らないよ。あたしだって気を失いかけてたんだから」ミラは短く笑ったが、すぐにその笑みを収めた。「……本気で駄目かと思った。ハルが隙間に転がり込んできた時、息してるかどうかも分からなかったし」
ハルは自分の右手を見た。指は開くには開くが、感覚の大半がまだ戻っていない。焼け跡のような鈍い熱だけが、皮膚の下にこびりついている。
それから視線を、ミラの肩へと移した。
「……肩、まだ動くか」
「動くよ、贅沢言えばね」ミラは強がるように口の端を上げかけたが、すぐにその笑みを収めた。声から茶化す響きが消える。「それより、ハルの手は。両方とも、ろくに使えてないんだろ」
「使い物になるまで、しばらくかかりそうだな」
「生きて帰れただけで、御の字だよ」
その通りだった。水も食料も、ガロに持っていかれた。稼ぎになる素材もろくに拾えなかった。手元に残ったのは、この痺れた両手と、隣で息をしているミラだけだ。
「――ガロのことは」
言いかけて、ハルは口をつぐんだ。腹の底で燻っている怒りは、言葉にした瞬間にろくでもない熱を持って暴れ出しそうだった。
「殴りたいなら、あたしも並ぶよ」ミラが先に言った。「でも今殴っても、水一つ返ってこない。腹立ちは腹立ちのまま、しばらく懐にしまっておく。それだけの話さ」
「賢いな、ミラは」
「褒めても何も出ないよ」
軽口のはずが、声には疲れが滲んでいた。二人はしばらく黙ったまま、瓦礫の隙間から差し込む光を浴びていた。生きて陽の下に出られた実感が、遅れて体の芯に染み込んでくる。
「なあ」ミラが不意に言った。「ハルが囮になった時、正直、もう戻ってこないと思ってた」
「上等だろ、思ってた通りにならなくて」
「うん。だから――」
ミラは一度言葉を切って、それから、いつもの軽口とは違う声で言った。
「ありがとう、掴み屋」
蔑む響きは、どこにもなかった。からかいですらない。ただの、名前のように。ハルは何と返していいか分からず、鼻先で笑って誤魔化した。
「柄でもねえこと言うなよ」
「言わせんな、二度と」
そう言って、ミラはようやく肩の力を抜いたように笑った。二人は互いに支え合いながら、崩れた岩を乗り越えて灰塚の外へ、都市の方角へと歩き出した。
――だが、その安堵は長くは続かなかった。
灰塚に近い門番の詰所を抜け、街道に差し掛かったところで、ハルは違和感に気づいた。すれ違う顔見知りの露天商が、こちらを見るなり慌てて目を逸らす。裏路地の入り口で立ち話をしていた冒険者崩れの二人組が、ハルの姿を認めた途端に声を潜め、ひそひそと何かを囁き合う。
「……なんだよ、あれ」
ミラも同じものを感じ取ったのか、隣で足を止めた。
「ハル、お前……仲間見捨てて、自分だけ逃げたんだって?」
すれ違いざま、聞き覚えのない男がそう吐き捨てて去っていった。
ハルは足を止めた。今の一瞬で、体の中の安堵が音を立てて凍りついていくのが分かった。
――噂が広まるにしちゃ、早すぎる。しかも都合よく、こっちが悪者になる形にな。誰かが先回りして、わざと流したとしか思えねえ。そういえば、あの依頼が結局何だったのか、依頼主の顔も、護衛対象の正体も、まだ何一つ分からずじまいだ。
「……何だ、今の」
隣でミラが低く呟く。その声には、もう軽口の欠片もなかった。




