捜索と収束
大きな机の上には、何枚もの図面が並べられていた。
それは、王宮の見取り図である。
「こことここはもう、人をやっています」
「こちらはどうですか?」
「そこはまだです」
図面を並んで見つめているのは、リーディスとセイランの二人である。
本来なら、セイランには王宮の機密を知る権利はないため、その顔は少し強張っている。
「おおよそ絞れてきました。マシェル伝達網を送ります」
「本当に大丈夫ですか? 疑うわけではありませんが、時間がありませんよ?」
セイランは冷静な声で答えた。
まるで自分自身を宥めるように。
「目的に沿って動く以上、人の波に逆らうものです。
マシェル伝達網の目は誤魔化せませんわ」
捕らえた公女の世話も必要になれば、見張の交代もしなくてはならないだろう。
当然、人の出入りがある。
そんな時こそマシェル伝達網の出番だった。
「後はどうぞ、お任せください」
「頼りになります」
リーディスは感心したように息を吐いた。
カティスが攫われたのは彼の失態ではない。
今夜のリーディスの仕事はユイレンの護衛であり、カティスについては王宮の衛兵が務めていた。
控室で彼女が攫われた際、衛兵は部屋の外で待機していたそうだ。
「どうやって部屋の外に運んだのやら」
「方法は問題ではありません。
衣装箱や樽にお体を詰め込んだり、窓の外から縄を使ってお下ろししたり、あるいは元から見張りを引き込んでいた可能性だってあるのですから」
ルーカディアスなら、もっと奇抜な方法すら考えついたかもしれない。
けれど、そんなことは今、考えたところで不毛だった。
「公女様を攫ったのは、ライカに"銀杯"を飲ませるためだけではないのだと思います」
「どういうことですか?」
リーディスの問いに、セイランは苦い顔を作る。
「おそらく、アリアス・メリクトさんがこちらの手に渡っていることをすでに理解し、交渉するため人質にしたのです」
「確かにその可能性は高そうですね」
ハンザス・バーケムという男を理解していれば、アリアスが王国に保護されているという予想は簡単に立てられそうだ。
ウェンセムに対する人質となると、王国の問題だった。
どこまでも大胆だと、セイランの指先は震える。
「ですので、公女様は広間からそれほど遠くにはいらっしゃらないと思うのです。
ルーカディアス王弟殿下の手の届く場所、この辺りになります……」
セイランは指に力を込め、地図の上に円を描くようにぐるりと囲った。
「それでもまだ範囲が広いですね。どうしますか?」
「彼らは"均衡"を崩す者です。その視線を見ればわかります」
その言葉にリーディスは不思議そうに首を傾げた。
セイランは安心させるように、落ち着きのある笑顔を浮かべる。
「これだけ広間で騒ぎが起こっているのです。
皆の視線は警備も配膳係も招待客もほとんどが会場に向かっているはずです。
――彼らルーカディアス王弟殿下の配下を除いて」
「ああ、そういうことですか!」
納得したようにリーディスが頷いた。
「皆の視線とは逆を向く彼らの視線を辿ったその先に、公女様はいらっしゃいます」
◇
「まさか君と協力することになるとは思わなかったよ。――皮肉なものだね」
深緑の髪をした長身の男はそう言って、同じ目線に立つ男を嘲笑った。
篝火に照らされるウェンセムの顔は相変わらずよく整っており、周囲の目を引いてしまいそうだった。
「こういうこともあるでしょう。よろしくお願いいたします。アレシオン公爵閣下」
侮蔑的な言葉など意にも介さず、ロウザはゆったりとした口調を返す。
「全くつまらない男だ」
やれやれと両手をわざとらしく振るが、ロウザの表情は変わらない。
柔和な笑顔を崩さず、ただただウェンセムを視界に収めている。
「数だけが取り柄だな、伝達網は」
マシェル伝達網は王宮内の捜査だけでなく、偽造硬貨の収束にもあたっていた。
まとめ役はロウザである。
「さすがに金貨の偽物は流布されていないようだが……」
ウェンセムはすでに回収された偽物の銀貨を数枚、手の上で転がした。
「銀貨や銅貨でも貨幣の信用を崩壊させるのには十分だ」
露店の中には、貴族向けに高級品を売る店もあった。
銅貨だけでなく銀貨の偽造硬貨を混入させられてしまったのは痛手だった。
「さて、偽金の見分け方は知っているかな?」
ウェンセムは銀貨を一枚だけを指に挟み、残りを内ポケットに収納した。
そして、その一枚を持ち上げると、ロウザに見せつけた。
「絵や文字が崩れていないか。あるいは刻印が潰れていないか。
重さは本物に比べて軽く、叩くと音が違う」
そう言って、ウェンセムは銀貨を軽く叩いた。
けれど、硬貨を叩くことのないロウザには、音の違いはわからなかった。
「硬貨の崩れた場所に別の素材が露出していたり、本来ならありえない錆や変色がある」
なるほど、とロウザは頷く。
特に疑問も反論も思いつかない。
さらに言えば、そんなことはどうでも良かった。
「それで、アレシオン公爵閣下。いかがいたしますか?」
一枚一枚、偽造硬貨を見分けている時間はないのだ。
なんとか流入を止め、事態の収束に努めなくてはならない。
「必要になるのだから聞いておきたまえよ、全く……」
ウェンセムは長いため息を吐いた。
彼にそのような態度をとらせることは、多くの者にとって蒼白ものだが、ロウザはまるで動じない。
「今日は生誕祭なんだ。――ちょうど良いじゃないか」
両手を広げ、ウェンセムは意地悪く笑った。
「<王国の車輪>の特権を使う」
生温い風がウェンセムの深緑の髪を攫う。
ロウザには周囲の暗闇が、一層深くなったような気がした。
「触れを出せ。
これを機に、損じた硬貨の選別を行う。
露店の売り上げには封をして待つように、と」
あとは、回収した売り上げをゆっくり調査し、偽造硬貨と本物の硬貨を入れ替えれば良いだけだ。
国の負担は増えるが、このままルーカディアスの思惑通りになるわけにはいかなかった。
「これ以上、偽金がばら撒かれないようにするために、君たちは怪しい奴らを捕まえてくれたまえ」
「ええ、わかりました」
ロウザがセイランとマシェル伝達網の人員を分散したのは、そのためだった。
伝達網は数だけが取り柄だとウェンセムは言ったが、それでも足りないくらいだ。
「祭りなのに浮かれていなかったり、寂れた場所ばかりに足を運んだり、あるいはやたら小銭で会計する者が要注意人物ですね」
ロウザの説明にウェンセムは頷く。
「ああ、それと、店主の反応も見てくれ。
毎日、金を触っている奴らだ。少し違っただけで違和感を覚え、首を傾げるかもしれない」
「なるほど。おっしゃる通りです」
ロウザは近くにいた部下に小さく耳打ちをした。彼は頷くとどこかに立ち去る。
その様子を見ながら、ウェンセムは独り言のように漏らした。
「こうやってみると、私は向いてなかったのかもしれないな」
「……」
ロウザは無言のまま暗闇を見つめる。
それは肯定でも否定でもどちらでもなかった。
「まぁ、頑張りたまえよ。――お互い、子どもを失いたくはないだろう?」
「ええ、もちろん」
今度は力強く同意した。
頭に大切な娘の顔を思い浮かべながら。
◇
「アレシオン公女が見つかりました」
伝達網の報告に、セイランは表情を輝かせる。
「ご無事ですか?」
「中の様子はわかりませんが、王宮の地下に貯蔵庫があり、そこに囚われていらっしゃるみたいです」
「ああ、ここですね」
リーディスが一枚の図面を指差した。
王宮の地下には細い道があり、今は使われていないらしい。
セイランが目をつけていた場所の一つだ。
「すでに一人ずつ、ルーカディアスの配下たちを離脱させております」
伝達網はそれほど武力的な戦力があるわけではなかったが、一人であれば十分に対処できる。
じわじわと人数を減らし、カティスが傷付かないよう救出すれば、目的は達成できる。
「セイラン様」
別の部下が静かに声をかける。
手には小さな木箱を抱えていた。
「……ありがとうございます」
セイランは小さく礼を言った。
リーディスを気にするように。
「それともう一つ、報告がございます」
カティスが見つかったことを知らせに来た部下が、少し躊躇うような表情を浮かべる。
「どうかしましたか?」
「実は、貯蔵庫にアリアス・メリクト様が入っていったそうです」
「何だって!?」
リーディスが驚いたような声を上げる。
無理もない。
彼の保護の下、アリアスは王宮の部屋に匿われていたのだから。
「あまりにも当たり前のような足取りで向かったため、それを見た者もしばらくは理解ができなかったそうです」
「困りましたね」
セイランは眉間に皺を寄せた。
カティスはおそらく、アリアスと交換するための人質だ。
そのアリアスが敵の手に渡ったとなると、ルーカディアスはもう、枷がなくなったということだ。
「とにかく、できるだけ早くお二人を救出して――……」
「セイラン様!」
セイランが新たな命令を出そうとした時、部屋の中に別の部下が駆け込んだ。
「アリアス・メリクト様が敵の一人を引き連れて貯蔵庫から離れられました。
そしてその後、アレシオン公女も部屋を出られ、広間へと向かっていらっしゃいます!」
「本当ですか……!」
考えられるのはただ一つ。
アリアスは最初から、カティスを助けるために貯蔵庫へと足を踏み入れたのだ。
「では、公女様が広間へと到着できるよう――……」
言いかけて、セイランは口を止めた。
――良かった……。
心の中で少女の無事を、ただただ感謝した。
唇に力を込め、セイランは命令の続きを口にする。
「――陰ながらルーカディアス王弟殿下の配下たちを追い払ってください」
「はっ」
短く返事をした部下達は、部屋を静かに出ていった。
彼らと顔を合わせることもなく、カティスは広間へと辿り着くだろう。
「ありがとうございます」
リーディスがセイランに向かって頭を下げる。
その態度に少し疑問を抱きながらも、彼女は笑って受け止めた。
「こちらこそ助かりましたわ。――私はまだ、やることがありますので」
「ライカネルですね?」
セイランは頷く。
手に持った小さな箱に重みを感じながら。




