宴の裏で
眩い燭台が輝く広間。
賑やかな笑い声が響いている。
セイランはロウザの腕に手を回し、ゆったりとした足取りで歩いていた。
「もう少ししたら、ライカも裏口から来るでしょう」
「ああ、だからそんなに心配しなくても大丈夫さ」
先ほどから、セイランはどこか落ち着きなく周囲を見回していた。
それも仕方ないことだ。
娘は一度、ネイゼンの生誕祭で襲われていた。
今日開催されているユイレンの生誕祭でも同じことが繰り返されないか、気が気でないのだ。
「うん……?」
会場にいくつかある出入り口。
そのうちの一つを通り抜けた男を見て、ロウザのその温厚な表情が一瞬だけ硬くなった。
「セイラン」
「あの合図は……」
男の後ろで組まれた手。
その指がわずかに示した動き。
それを見て、二人は会場から抜け出した。
◇
「――偽造硬貨だと……!?」
二人の報告に、ゼナイ・シルヴィスは赤い目を見開く。
「露店で出回っているのだな?」
並んで頭を下げるセイランとロウザに向かって、ナザリウスが抑揚のない声で尋ねる。
「はい」
王宮の外では祭りが催されており、多くの露店が立ち並んでいた。
そこで不審な動きをする男がいたため、マシェル伝達網の一人が警戒していたところ、偽造の銅貨や銀貨を使用していることが判明したのだという。
「どうします? こんなことが公になったら……」
ゼナイの問いに、ナザリウスはじっと考え込む。
通貨の管理は国の重要事項だ。
それが失敗したとなると、どれだけ民衆の信頼を損ねるか。
――まさか……。
セイランはとある人物を頭に浮かべていた。
こんな大掛かりなことを、けれど大胆にやってのける者がいた。
「どうにかして回収したいが、手立てがまるで思いつかない」
ナザリウスはため息を吐いた。
彼は国王として優秀だったが、一度ばら撒かれた硬貨の回収を偽造だと民衆に知られないで行うには無理があった。
それはセイランも同じだ。
彼女にも良い考えが思いつかない。
――一つ一つ偽物を見分けている時間などありません。ましてや、ばれずになんて。
そうこうしている間にも、偽造硬貨は広まっていく。
焦る気持ちばかりが募った。
「どうやら時間はないみたいですよ」
部屋の扉が開き、青い髪の青年が現れる。
リーディス・ヴェインだ。
「アレシオン公女が攫われました」
続く言葉に、セイランは耳を疑った。
「そして、なぜかお戻りになったルーカディアス王弟殿下が、ライカネルに"銀杯"を飲ませようとしています」
セイランの耳から、一瞬、周囲の物音が消えた。
ロウザが遠くで名前を呼んでいる。
気づいた時には、部屋の視線がセイランに集まっていた。
「大丈夫です……。問題ありませんわ……」
なんとか絞り出した声は、はっきりと震えていた。
ロウザの手が肩に回される。
「これでわかった。偽造硬貨もルーカディアスの仕業だろう」
ナザリウスが吐き捨てるように言った。
王宮の中では<王国の天秤>に"銀杯"を飲ませ、その裏では偽造硬貨を流通させる。
そうして王国の信頼を失わせる目論見なのだ。
「ゼナイ、お前は広間へ行け」
「はっ」
赤髪の青年は近くに控えていた騎士達を従え、部屋の外へと向かった。
代わりにリーディスがナザリウスの隣に立った。
――ライカ……。
セイランはすぐにその場から離れ、娘の元へと駆け寄りたい気持ちに駆られた。
けれど、聡明な彼女は、そんなことをしても事態は何も変わらないことを理解していた。
「やれやれ、慌ただしいことだな」
ゼナイと入れ違うように背の高い男が部屋に踏み入る。
呼んだ覚えのない男だ。
彼は国王の前だというのに、不遜な態度を隠しもしない。
「アレシオン公爵……!」
彼の顔を見て、セイランは希望を見出す。
流通に長けたウェンセムならば、この局面を乗り切れるかもしれないからだ。
「どうか力を貸してください。露店で偽造硬貨が使用されているのです」
娘のことは伏せ、ただその事実だけをウェンセムに告げた。
しかし、彼の表情は見たこともないほど冷たいものだった。
「私に一体、何の"得"がある?」
セイランはびくりと動きを止める。
そんな言葉を向けられるのは初めてだった。
深緑の瞳の奥には、確かに怒りが湛えられていた。
「娘がいなくなったのだ。そちらを優先するに決まっている。――伝達網を貸せ」
ウェンセムは逆に手を貸すように詰め寄った。
セイランは思わず、一歩後ろへと下がる。
「アレシオン公爵、どうか落ち着いてください」
ロウザが二人の間に入り、その広い背でセイランを庇った。
「お前に用はない。どうせ誰かの下につくことしかできぬ無能だろう?」
「――アレシオン公爵……!」
セイランの顔がさぁっと青ざめる。
感情が昂ると血の気が引き、表情がなくなる。
それは、娘と同じ怒り方だった。
「議論している暇はない」
ウェンセムが語気を強め、ロウザ越しにセイランを睨む。
「全くだ」
その場を収めようとしたのは、ナザリウスの低く冷静な声だった。
あまりにも落ち着きすぎていて、緊迫した部屋の雰囲気に不釣り合いなほどだ。
「"損"なきよう、立ち回るべきだ。
公女の捜索はリーディスとリンカー夫人に任せる。ウェンス、お前は偽金の収束にあたれ」
ナザリウスの淡々とした命令。
しかし、そんなものでウェンセムは動かない。
――あの人は……。
今もロウザの向こうからセイランを見ている。
この場の誰よりも彼女を一人の人間として尊重していたからだ。
そして待っている。
誰よりも美しい声で紡がれる言葉を。
「――ウェンセム」
セイランはロウザの背から隠れるのを止め、ウェンセムと向き合った。
紫の瞳が長身の男を見上げる。
「公女様はマーティアの娘なのね?」
セイランの問いに彼は静かに頷いた。
「ああ、そうだ」
その答えに呼応し、セイランの目から涙が一筋、頬を伝った。
透明な雫は床に弾け、赤い絨毯に消えていく。
セイランは一度だけ目を瞑り、親友のことを想った。
深い後悔が湧き上がる。
――マーティア……。
彼女が瞼を開いた時、紫の瞳はもう、滲んではいなかった。
「公女様は私が必ず見つけ出します」
クラシェイドの後見人、セイラン・クラシェイドは凛とした声で告げる。
ウェンセムは怒りを引っ込めると、いつもの不敵な笑みを浮かべて、その幼馴染を見返した。
「頼んだよ、セイラン」
低い声が、確かに答えた。




