傾く運命
ここ数日、ライカは酷く落ち込んでいた。
友人だったエミール・ヴァルトという少年と決別することになったからだ。
エミールの父、フリード・ヴァルトが、ライカの暗殺を目論んだことが判明したのだ。
フリードは第二王子であるネイゼンの生誕祭の夜、ラカート宮殿で平民の男、バーマン・セングにライカを襲撃するよう指示を出していた。
彼はナザリウスにより断罪され、死刑を言い渡された。
ライカは自分を責めた。
フリードが刺客を送った犯人であることに気づいたにも関わらず、誰にも告げることができなかったのだ。
結果として、エミールに父を告発させることとなってしまった。
そのせいで、ライカは以前のように俯き、会話を拒むようになった。
少しでも口を開けば、刺々しい言葉を発し、そのたびに自分自身を責めている。心配して訪ねてくる友人たちとの接触も頑なに拒絶した。
――可哀想に……。
そんな我が子の様子に、セイランは心を痛めていた。
マーティアという友人を亡くした彼女は、ライカの気持ちが痛いほどよくわかったからだ。
そして、心の中には同じように後悔がある。
だからこそ、セイランは慰める言葉が浮かばないのだ。過ちを犯した人間として、説得する資格などないように思えた。
「――奥様」
暗い顔をしたセイランに、侍女が頭を下げる。
「アレシオン公女様がいらっしゃいました」
「まぁ、こんな時間に?」
まだ朝食すらとっていないのではないだろうか。
セイランは玄関へと急いだ。
「おはようございます、アレシオン公女様」
「急な訪問で申し訳ございません、リンカー夫人」
深緑の髪をした少女が深々と頭を下げる。
「ライカのために来てくださったのですね?
ありがとうございます」
セイランがそう言うと、アレシオン公女――カティスはゆっくりと顔を上げ、鮮やかな笑みを浮かべた。
空はどんよりと曇り、周囲は寒々としていた。
けれど、少女の周りだけは光が差したように明るく、まるで物語の主人公のような輝きを放っていた。
――マーティア……!
セイランは心の中で親友の姿を思い出した。
学生だった頃の彼女の笑顔を。
あの眩い眼差しと、目の前の少女の深緑の瞳が重なる。
「リンカー夫人……?」
言葉を詰まらせたセイランを、カティスは不思議そうに見上げる。
「あ……申し訳ありません。知人を思い出したもので。――どうぞ、中にお入りください」
「ありがとうございます」
セイランはカティスを食卓のある部屋へと案内した。
ここなら、必ずライカが足を運ぶからだ。
――騙し討ちのようですが……。
カティスなら何かを変えられるような、そんな気がしたのだ。
◇
心境の変化が重大な決断へと導くこともある。
それにより、本人の運命は大きく傾くものだ。
深緑の少女を見て、セイランは遠い昔を思い出す。
「――そう、その辺りの糸を掬いながら、針を通してください」
アレシオン公爵邸の一室。
セイランとマーティアは刺繍に勤しんでいた。
「助かりました、マーティア。糸の始末がよくわからなかったのです」
「何でもできそうなのに意外ですね」
いつも教えることの多かったセイランだが、今日はマーティアに習う番だった。
すみれが彩られたセイランの刺繍は、どこか歪んでいた。
「母を早くに亡くしたので姉から教わっていたのですが、その姉も嫁いでしまって」
「あら、そんな事情が……」
「気になさらなくて大丈夫ですよ」
セイランはにこりと笑った。
「おかげでマーティアと楽しい時間を過ごすことができました」
「いつも聞いてばかりだったので、お役に立てて嬉しいです。――そろそろ、休憩にしませんか?」
二人は針を戻して立ち上がると、中庭へと移動した。
白く丸い机が用意されている。
紅茶が注がれたティーカップを片手に、和やかな会話が始まった。
「セイランが首席で卒業することになりそうですね」
「まだわかりませんよ」
「もう追い越せる方なんていませんわ」
結局、アイシアン王立大学の三年間、セイランは成績で一位の座を譲ることはなかった。
誰もが彼女の首席卒業を疑っていない。
「……セイランは卒業したら結婚するのですか?」
マーティアは琥珀色の紅茶を眺めながら、独り言のように小さく尋ねた。
「正式な婚姻はもう少し後になります。
ウェンセムが<王国の天秤>を引き継ぐまでに時間が必要なので」
本当のことを言えば、ウェンセムはもう、仕事のほとんどを理解していた。
しかし、それでも婚姻に至らないのはただ一点、セイランの心の整理をつけるためだった。
その判断を下したのは誰か。
後にケオニールが亡くなり、ウェンセムも口を閉ざしてしまったため、彼ら以外わからない。
それが、セイランの運命を大きく分けることになったのはまた別の話だ。
「父に、卒業後はナザリウス第一王子殿下の元に嫁ぐように言われています」
いつも眩い笑顔を浮かべるマーティアが、顔を曇らせている。
深緑の瞳が力なく下を見る。
まだ少女の面影が残る彼女にとって、婚姻という契約は、ただの重荷でしかなかった。
「しないと……いけないのでしょうか……?」
弱気なマーティアの姿を見て、セイランはティーカップをテーブルに置き、慰めの言葉を探す。
すでに第一妃としてフラウラが、第二妃としてユライアが輿入れすることが決まっていた。
彼女たちは卒業後、順次、盛大な式を挙げることになる。
――何と声をかけたら良いのでしょう……。
セイランはここで、結婚を止めるようにとは言えなかった。
彼女の元来の賢さが、<王国の天秤>を引き継ぐために培った考えが、それを妨げた。
「もし、ナザリウス第一王子殿下の元に嫁がなければ、次の結婚相手の候補はおそらく、ルーカディアス第二王子殿下になります」
代わりに出てきたのは、呆れるほどつまらない言葉だった。
「公女であるあなたがルーカディアス第二王子殿下につけば情勢は変わります。
王位継承争いは激化し……」
ナザリウスとルーカディアス。
平等に家門の勢力を配置することが、必ずしも均衡につながるわけではない。
ナザリウスに傾けることにより、保たれる均衡もあるのだ。
「もうっ……! セイランったら相変わらずね!」
マーティアはおかしそうに笑った。
セイランは生真面目な顔のまま、きょとんと首を傾げる。
「ルーカディアス第二王子殿下の元に嫁ぐのは勘弁ですわ。――あの方、何だか瞳が怖いんです」
マーティアは大袈裟にため息を吐いた。
それにはセイランも同感だった。しかし、頷くことはできなかった。
「ナザリウス第一王子殿下は誠実なお方だと思います」
「セイランがそう言うのなら間違いありませんね」
曇っていた少女の顔は元の輝きを取り戻し、セイランを見つめている。
「私、決意できました。結婚しても交流は続けましょうね、セイラン」
「もちろんです、マーティア」
マーティアの父が決めたことなら覆らないだろう。
ならば後は気持ちの問題だと思った。
だから、セイランは知らず知らずのうちに後押ししてしまった。
セイランの言葉によってマーティアは王宮に赴く決断をする。
それをセイランがどれだけ悔いることになるか。
◇
カティスと引き合わせることにより、ライカはラッカスが裁判官を務める裁判を傍聴することになった。
ラッカスはライカの従兄弟であり、兄のように慕っている青年だ。
戻って来たライカは放心し、自室のベッドにすぐさま潜り込んだ。
セイランは廊下ですれ違った時、娘の顔を見て理解した。
――あの子は理解したようです。自分のやるべきことを。
彼女はもう、俯いてはいなかったからだ。
ふと、マーティアのことを思い出す。
自分が後押ししてしまったせいで、運命が傾いてしまった彼女のことを。




