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一つの決断

 窓のない部屋。

 燭台が端正な男の顔を浮かび上がらせる。

 彼の名はウェンセム・アレシオン。

 王国唯一の公爵だ。

 他にも公爵家はいくつもあったが、そんなものはいつの間にかなくなった。


「それで、何の用だね?」


 対面に座った女性、セイラン・クラシェイドに向かって彼は尋ねた。

 背後には深くフードを被った男が佇む。


「わかりきっているでしょう?」


 彼女の目は冷ややかだ。

 来なくて済んだのなら来なかったと主張していた。


「もうこれ以上、掻き乱さないでください」

「そんなことを言われてもね」


 ウェンセムはやれやれと両手を上げた。

 挑発するようなその態度に、わざわざ乗ってやることはない。

 セイランは目も合わせなかった。


「私よりもあいつの心配をしたらどうだ? 挑発したらしいじゃないか?」

「そうではありません」


 セイランはため息を吐いた。


「提案を断っただけです」

「断っただけ? 人の娘を巻き込んでおいて、中途半端だなぁ」

「それは……」

「怒ってないさ、"元婚約者殿"」


 その言葉に初めてセイランは不快感を表した。

 "元婚約者"。

 それがこの男との関係だ。


 ――烙印、のようだ……。


 自分が<王国の天秤>の資格を失った烙印。

 幼い頃からの夢と期待が絶たれた証。


「過去のことはどうでも良いのです」


 心からそう思っていた。

 今は本当に大事にすべきものが彼女にはあったからだ。


「余計なことをするなら、こちらにも考えがあります」

「おいおい勘弁してくれよ」


 ウェンセムは降参とばかりに片手を上げた。


「君のところの情報操作は効くんだよ」


 マシェル伝達網。

 その組織は情報を集めるだけでなく、動かすことも当然できた。

 クラシェイドの信条に背く行為であってもだ。


「私はともかく、あいつはもう、黙っていないと思うよ?」


 ウェンセムの言うあいつ。

 その人物を思い浮かべ、セイランは暗い顔をする。


「そうでしょうね……」


 燭台を見つめるセイランの目には、確かに後悔の念があった。

 顔を伏せるセイランを、ウェンセムは静かに眺める。


 馬鹿馬鹿しい、とウェンセムは心の中で嘲った。

 セイランの自責には意味がない。

 例えどれだけ彼女がルーカディアスの支えとなっていたとしても、止めることはできなかった。

 ルーカディアスはそんな純粋な人間ではない。

 少なくとも、ウェンセムはそう思った。


「お願いがあります」

「掻き乱すなと言っておいてそれか?」


 茶化すようなウェンセムの言葉を流し、セイランは一度目を閉じてから静かに告げた。


「<王国の甲冑>を呼んでください」


 


 ◇

 



 ――これで良いのでしょうか。


 何度考えても、良いとは思えなかった。

 少なくとも、子を持つ親として最低な提案をすることになる。

 セイランにはその自覚があった。


 ――けれど、目的を見誤ってはいけません。


 その情報がなければ、セイランもこんな非情な手を使わなかったかもしれない。

 偶然得たあの情報。

 メザーニャの使節、ハンザス・バーケムによってもたされたものだ。


「お集まりいただき、ありがとうございます」


 部屋の中にいる男達に向かってセイランは頭を下げた。


「まず最初に確認しておきたいことがあります。

 フォルス伯爵、メリオール前王妃殿下とルーカディアス王弟殿下を診察していたのはフォルス伯爵家でしょうか?」


 その質問に、ロゼスタは首を振った。


「いいえ。あの方はこちらの医師を信用されておりませんでした。

 ですから診察は、メザーニャ王国から呼び寄せた医師が行っておりました」


 やはり、とセイランは頷いた。

 それならば、どうにでもできただろう。――赤子の性別も、その人数さえも。


「ルーカディアス王弟殿下は女性です」

「何だって……!」


 驚いて目を見開いたのは、冴えるような青い髪の青年――<王国の甲冑>リーディス・ヴェインだった。


「言われてみるとそうかもねぇ」


 のんびりとした口調でウェンセムが笑う。

 ルーカディアスと接点があったようには思えないが、勘付いていたようだ。


「性別を確認させろ、などとは言えんぞ」


 部屋でたった一人、椅子に腰掛けた男が冷たい声で言い放つ。

 エルドガール王国国王・ナザリウスだ。


「わかっております、ナザリウス国王陛下」


 セイランはゆっくりと息を飲むと、静かに吐いた。

 次の言葉を告げるために。


「そしてもう一つ。あの方は二人います。――双子の姉妹なのです」


 学生時代のことを思い返す。

 時々、妙に顔色の悪い日があった。

 そんな日は決まってにこやかな笑顔もいつもと違って見えた。

 二人いるなどとは夢にも思わなかったため、違和感に気付けなかったのだ。

 それは今になり、ハンザスによって確信へと変わった。


 ――知ったからにはやらなければなりません。


 セイランは覚悟を決めた目で一同を見回した。

 自分だけが場違いのような、そんな気分にさせられる。

 けれど、心は揺るぎはしない。

 全ては娘の、ライカのためだ。


「皆さんに行っていただきたいことがあるのです」


 それは、<王国の長剣>にはとても頼めないこと。

 この裏を持つ人間の間で成立する共謀だった。


「ルーカディアス王弟殿下の双子の妹殿下には、アリアス・メリクト様というご子息がいらっしゃいます。

 その方は今、メザーニャの使節団と共にエルドガールに滞在されております」

「おいおい……!」


 リーディスが困った表情を浮かべる。無理もない。

 新たな王族の存在が二人も仄めかされ、さらにはエルドガールにいるともなれば、<王国の甲冑>である彼にとっては大問題だ。


「ヴェイン伯爵」


 そんなリーディスにセイランは真っ直ぐ向き合う。

 年上の女性に見つめられ、彼は一瞬だけたじろいだ。


「そのお方を保護していただきたいのです」

「保護、ですか……?」


 ええ、とセイランは頷いた。


「アリアス・メリクト様はノンターク伯爵により、ルーカディアス王弟殿下に引き渡されるところでした」

「どういうことです? なんでメザーニャにいる母親の元からわざわざ……」


 彼女の言葉にリーディスが首を傾げる。

 どうやら、状況が飲み込めていないらしい。


「いや、だからさぁ」


 にやにやとした顔つきで、ウェンセムが声を弾ませる。

 ちらちらとセイランに送る視線が腹立たしい。


「ルーカディアスはアリアスをエルドガールの後継者にするために呼んだんだよ。

 甥が玉座に就けば、性別なんてどちらでもよくなるからね。

 アリアスは後ろから操られるってわけ。

 で、そうさせないよう、君が保護するの。わかる?」

「え? それって監禁して人質にするってことですよね?」


 セイランはぎょっとして目を丸める。

 彼の言い方はとぼけた振りをした、けれど核心を突くものだった。


「<王国の甲冑>が言うことではありませんね」


 ロゼスタが細い目をさらに細めた。


「……そう捉えていただいて結構です」


 セイランは震えを誤魔化すように唇を噛んだ。

 頭の中に少年の顔が浮かぶ。

 少しだけ見てしまった。

 まだ柔らかい輪郭をした彼の顔を。


「アリアス・メリクト様はノンターク伯爵からお逃げになったそうです。

 その際、クラシェイドが捜索に手を貸しました。――おの方はわかっていらしたのでしょう。

 ご自分が動乱に巻き込まれることが」


 アリアスを手元に置けば、ルーカディアスに対し牽制できる。

 それは本当に最低な手段だ。

 だが、アリアス本人の穏やかな日常を保つ方法でもあった。

 肩を強張らせるセイランをナザリウスはじっと見つめる。

 彼は慰めの言葉などかけることはなく、一度だけ大きく頷いた。


「良いだろう。全ての責任は私が取る。――リーディス」

「はっ」


 ナザリウスの命令に、リーディスは短く応える。

 彼の決断により、アリアスの処遇は決まった。

 それは人としての温もりからは程遠いものではあったが。


 ――本当にこれで良いのでしょうか……。


 自分の提案が承諾されてもなお、セイランの心には迷いが残ったままだ。

 答えはきっと出ないだろう。


 ――あの子なら、どうしたでしょうか……。


 愛しい我が子なら。

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