路地裏のカラス
「さて――……」
周囲を取り込まれたセイランとロウザを見つめながら、ルーカディアスは最後の提案を持ちかける。
「これで私達の捜索は諦めてくれる気になったかな?」
答えないセイランを、ルーカディアスは呆れたような顔で見つめる。
「本当はここで殺したっていいんだよ?
でも、あなた達が不審死扱いされると少々都合が悪いからそうしないだけ。
――本当にただ、それだけなんだ」
彼は――あるいは彼女は言う。
「それに、引き下がらせる方法は他にもある」
もはや、この路地裏はルーカディアスの舞台だった。
暗い影も一人に味方し、セイラン達を追い詰めた。
美しく整った唇が怪しく歪む。
「最初に言ったはずだ。子どもの命が惜しいだろう、と」
黄金の瞳がせせら笑っている。
大切なものはわかっているのだと。
――ライカ……。
セイランは娘のことを思い浮かべた。
ライカは護衛の目をすり抜けるように攫われた。
これは脅しではない。
きっとセイランには考えつかない方法を使って、娘の命を狙うだろう。
「……わかりました。捜索は諦めましょう」
彼女の言葉に、ロウザは思わず振り返る。
「セイラン……!?」
けれど、妻の目は諦めたように沈んではいなかった。
むしろ力強く、ルーカディアスを見つめ返していた。
「でもそれは、これ以上、人員を消耗しないためです」
セイランは背を伸ばし、その美しい声を路地裏に響かせた。
「私の道は周りの思惑により閉ざされました」
かつて抱いていた夢。
<王国の天秤>を継承し、王国の未来を担うのだという道。
しかしそれは、フォルスの妨害や祖父の懸念により断念することとなった。
「私は精一杯やりました。
それでも、結局は私自身に力がなかったせいです。
自分の意思を通す力が私にはなかった。――でも、あの子は違います」
小さな少女の顔が頭に浮かぶ。
頼りなかったはずのその姿は、いつの間にか、確かな輪郭を持っていた。
「だから、私は信じます。あの子の――ライカの選んだ道を」
誰よりも"均衡"を重んじ、誰をも恨まなかった彼女が今、一つの未来を選択した。
「ルーカディアス王弟殿下、あなた様の捜索はあまりにも労力を割く作業だと判断いたしました。
なので、今後、人員は息子が選んだ道を支えるために使います」
これは拒絶だ。
ルーカディアスの提案を跳ね除けたも同然だった。
それでも不安はなく、ただ、娘を信じられる喜びだけがあった。
「……残念だ」
ルーカディアスはぽつりとこぼす。
「あなたのことは本当に気に入っていたんだよ?」
自嘲気味に笑うその顔は、一人置き去りにされた子どものように、どこか頼りなく見えた。
セイランは思わず声をかけそうになり、ぐっと唇を閉じた。
「美しい声を張り上げたところで、この状況は変わらない。
可愛い我が子の遺体を目にしないことが、せめてもの慈悲かもしれないね?」
そう言って、ルーカディアスは手を少しだけ持ち上げた。
取り囲んでいた男達が、剣の先をセイランとロウザに向けながらじりじりと近づく。
「来るな!」
ロウザは隠し持っていた別の短剣をかざし、男達を威嚇する。
しかし、圧倒的な人数差に、それも全くの無駄だった。
男達の剣が間近に迫る。
ルーカディアスの手が真上に持ち上げられ――そして振り下ろされる。
「全員動くな!」
暗い路地裏に怒声が轟く。
路地の先から、警備隊が剣を片手に、こちらを睨んでいた。
「警備隊だと……? まさか……!?」
ルーカディアスがはっとした顔でセイランを見る。
「そうか……あなたにしては、派手な格好だと思ったよ……!」
真昼の路地裏に、貴族の夫人が一人で護衛も付けずに入り込めば、どんなに鈍い警備隊でも事件の匂いを嗅ぎ取るだろう。
セイランは最初から、警備隊にルーカディアスを捕らえさせようとしていたのだ。
「当然、警備隊が行動する時間、経路、人数は把握済みだったのだろう?」
その問いに、セイランは静かに頷いた。
巡回する警邏の視界に入るように歩き、路地裏へと消えた。
それを見た警邏は本拠地へ急ぎ、応援を呼んだのだ。
そして今、警備隊には、剣を持った怪しい集団に囲まれた夫婦の姿が見えたというわけである。
セイランは、落ち着いた声でルーカディアスに告げる。
「夜だったら敵わなかったでしょう。
ですが、昼間ならカラスは路地裏でもネズミに勝てるのです」
彼女が言い終わるや否や、男の一人が殺気立ったように声を荒げる。
「この……!」
男は持っていた剣を大きく振り上げた。
「止めるんだ」
ルーカディアスが短く命令を下す。
男はぴたりと動きを止め、何事もなかったかのように元の位置に戻った。
「さすがだ、セイラン。罠に嵌めたつもりが、逆に嵌められるなんてね」
降参したような言い方だったが、その態度は余裕そのものだった。
迫りくる警備隊を目で追いながら、ルーカディアスは最後ににっこりと微笑んだ。
「あなたの大切なものは私が壊す。――あなたがそうしたように」
暗い声が路地裏に反響する。
ルーカディアスは背を向け、路地裏の暗がりへと走り去る。
その後ろを男達が従った。
「特等席で後悔するといい」
彼らの背は次第に小さくなり、路地の影に溶け込んだ。
「待て!」
警備隊がその後を追って駆けていく。
その姿を見て、セイランはようやく肩の力を抜いた。
「大丈夫かい?」
ロウザが心配そうに尋ねた。
「ええ」
セイランは夫の胸に寄りかかった。
彼女にしては気弱な態度だ。
ロウザはセイランの肩に手を回し、軽くさすった。
「私は正しい選択ができたのでしょうか?」
娘のことを第一に思えば、ルーカディアスの提案に大人しく従い、命を狙わないようにしてもらうべきだったのかもしれない。
ネイゼンの生誕祭で味わったあの思いは、もう二度としたくないからだ。
「間違ってなどいないさ」
ロウザは声を落として囁いた。
穏やかで、優しい声だ。
乱された心が落ち着いていくのがわかる。
「先のことを考えよう。あの子を守ることを」
「ええ、そうですね」
路地裏から抜け出した二人は、行き交う人々で賑わう雑踏の中に紛れた。




