公女の騎士
それは、マーティアが王宮を追われて八年後のことだった。
アレシオン公爵邸に三人の人間が訪れた。
大人二人に、子どもが一人。
「なんということをしてくれたのだ!」
怒り口調でそう言い放ったのは中年の男――<王国の甲冑>キーリク・ヴェインだ。
青い髪が目を引いた。
「仕方がなかった。わかるだろう?」
年下にも関わらず、不遜な態度で笑うのはウェンセム・アレシオン。
<王国の車輪>の持ち主だ。
「そんなことはない。きちんと報告すべきだった」
老齢の男が静かに諌めた。
<王国の天秤>ケオニール・クラシェイドだ。
白髪の混じった髪に、皺の寄った顔。この中では最も年上にあたる男だった。
どこかやつれており、その瞳に光はない。
「申し訳ありませんね」
ウェンセムは横目でケオニールを見ながら謝った。
彼らが今集まっている理由はただ一つ。マーティアの子どもについて話をするためだ。
王宮を去った後、マーティアはアレシオン公爵家の屋敷で娘を生んだ。
「それで、どちらの子なんだ」
忌々しそうにキーリクは吐き捨てた。
さぁ、とウェンセムは肩をすくめる。
マーティアにはルーカディアスと通じた咎があった。
そのため、父親がナザリウスである確信がキーリクには持てないのだ。
「ふざけている場合か!」
キーリクが声を荒げるのも無理はない。
ウェンセムはよりにもよって、マーティアの子を隠していた。
爵位を引き継いだ後でさえも。
「出生届は私がどうにかしよう」
エルドガールでは、貴族の出生届は王室を通し、裁判所が管理している。
すでに退職したものの、王立裁判所の裁判官であったケオニールは、不備のあった子ども一人の届出など、どうにかしようと思えばどうにでもできた。
「いやぁ、助かりますよ」
義父になる予定だった男に向かって、ウェンセムは軽く頭を下げた。
軽薄な所作ではあったが、彼にしては珍しく、少しばかりの敬意が表れていた。
「八歳だったな」
「ええ」
ウェンセムは、そんな歳になるまでマーティアの子どもを屋敷に隠していたのだ。
――フォルスならどうしただろうか?
ケオニールは考えた。
ナザリウスが玉座に着いたため、第一王妃としてフラウラが地位を固めている。
マーティアの子に脅威はないと判断するか、あるいは王位を揺るがす存在として危険視するか。それとも、ルーカディアスの血を汲む不穏な子として消し去るべきだと結論づけるか。
――隠していたのも無理からぬかもしれん。
ケオニールは小さくため息を漏らす。
八歳まで成長すれば、幼児よりは危険性が低くなるとウェンセムは考えたのだろう。
その気持ちはケオニールにも理解できた。
「今さらどうしようもない。令嬢が健やかに成長するよう、我々は見守ろうではないか」
そう言って、ケオニールはキーリクを宥めた。
「王族の保護は我々<王国の甲冑>の仕事ではありますが、頭の痛いことです」
やれやれとキーリクは首を振る。
青い髪が左右に揺れた。
「うん? リーディスはどこだ?」
髪と同じ青い目をぎょっとさせ、キーリクは部屋を見回す。
「ああ、彼ならつまらなさそうな顔をして部屋を出たよ」
ウェンセムが面白そうに笑った。
◇
長い廊下は重厚で、公爵家の風格を表すには十分だった。
そんな廊下を青い髪をした少年は一人で歩く。
まるで冒険に出た探検家のように。
「年寄りの話はつまんないもんなぁ」
口を尖らせ、少年は誰ともなく呟いた。
彼の名はリーディス。
<王国の甲冑>キーリク・ヴェインの長男だ。
少年ながら、すでに剣の腕前を見込まれていた。
――あーあ、ここがシルヴィスの屋敷ならなぁ……。
そうすれば<王国の長剣>アーシェル・シルヴィスの長男、ゼナイ・シルヴィスと手合わせできたのに。
そんなことを少年は考えた。
「あれ、扉が開いてる……?」
いくつもある扉の一つが少しだけ開いており、明かりが漏れていた。
不審に思い、リーディスはそっと中を覗く。
「誰か……」
微かな声が耳に伝わった。
今にも消えそうなその声に、リーディスは思わず扉を開けた。
「どうかしましたか?」
迷いもなく部屋の中に入ると、彼は声の持ち主に問いかけた。
「水を……」
掠れた声が返ってくる。
部屋の中には大きなベッドがあり、女性が一人横たわっている。
頬はこけ、長い深緑の髪はがさがさと荒れていた。
けれどその横顔には、美人であった面影が確かに残っていた。
「どうぞ」
ベッドの側にあった瓶から水を注ぎ、リーディスはグラスを女性に手渡した。
彼女は唇を濡らすようにゆっくりとそれを飲むと、ほっとした顔で少年を見る。
「ありがとう。助かりました」
そう言って笑った顔は、病人とは思えないほど鮮やかだった。
「あなたは?」
「リーディス」
少年は短く答えた。貴族として相応しくない返事だ。
けれど女性は気分を害すどころか、面白そうなものを見るような顔を彼に向けた。
「こんにちは、リーディス。私はマーティアよ」
マーティア、と少年は小さく反芻する。どこかで聞いたような気がしたが思い出せない。
「いくつ?」
「十二」
そう、とマーティアは微笑む。
痛々しくも美しいその表情。
懸命にあらがっているのだ。
リーディスにはそのように思えた。
「私の娘は八歳なの。いつか紹介したいです」
とても可愛いのよ、と彼女は続けた。
マーティアの子どもなら確かに可愛いのかもしれない。
彼女が病気であることが残念でならなかった。
「私はね、長くないと思います」
「どうして?」
「原因がわからない病気なのです」
悲しそうにマーティアは俯いた。
その肩は悔しそうに震え、今にも泣き出しそうだった。
「だったら僕が、その子を守るよ」
リーディスは努めて明るい声を出す。
「だから、ね? 僕を騎士にしてよ」
胸の中にしまっていた護身用の短剣を取り出すと、マーティアに手渡す。
「いいのでしょうか?」
「うん! あなた達の騎士になりたいんだ!」
リーディスの言葉にマーティアは少しだけ考えた。
娘の顔が頭に浮かぶ。
「あの子の側に立派な騎士がいたら、どれほど頼もしいでしょう」
マーティアは、その短剣を受け取った。
少年はにっこり笑うと、床に片膝をつき、彼女に向かって頭を垂れた。
「汝、我が騎士たらん」
「我、騎士として生涯を誓わん」
マーティアは短剣を鞘から抜き出すと、刃を水平にし、リーディスの肩に軽く押し当てた。
しばしの沈黙が訪れる。
やがてマーティアはリーディスの肩から短剣を持ち上げると、慎重に鞘へと戻した。
「これであなたは私と、あの子の騎士です」
彼女は少年の青い頭をなでた。
「娘を――カティスをよろしくお願いします」
彼女の深い緑の瞳は、朝の森に光が差したかのように、鮮やかな輝きを湛えていた。
◇
「久しぶりに楽しかったです」
ベッドの中でマーティアは笑った。
「それは良かった」
ウェンセムは壁に背を預け、腕組みをしたままあらぬ方を見る。
王宮から公爵邸に戻された後、マーティアの待遇はあまり良いものではなかった。
父であるイヴェロス・アレシオンはルーカディアスとの醜聞に怒り、マーティアを半ば監禁するかのように部屋に籠らせ、外部との接触を断たせた。
ウェンセムが公爵となり、マーティアの病に気がついた時には、全てが手遅れだった。
原因は不明。
ロゼスタを呼んでも特定できなかった。
ただ、ラウドニウドとよく似た症状だと言う。
日の光に過敏となり、こんな窓のない部屋で過ごすしかない妹をウェンセムはどう思っているのだろうか。
「お兄様」
震える声でマーティアは尋ねる。
「一つ、お願いを聞いていただけませんか?」
窪んだ目には影ができていた。
友人に見せることなどできないと彼女が思うほどに。
ウェンセムは組んでいた腕を解くと、マーティアの側まで歩み寄る。
深緑の目と深緑の目が向き合った。
男は大袈裟に笑う。
「言ってみろ。――たいがいのことは叶えてやれる」
相変わらずの態度。でも、今はそれが頼もしい。
マーティアは顔を持ち上げ、ウェンセムを見つめる。
「道を照らしてあげてほしいのです。
私と同じように、避けられない絶望に飲まれていたとしても、
それでもどうか歩めるように――望みある道を」
悔しそうな、悲しそうな、けれど希望を見出したような、様々な気持ちがマーティアの心を渦巻いていた。
それは涙となって頬を伝う。
「――あの子のために」
その数日後、マーティアは静かに眠りについた。
彼女が最後に送った手紙。
それにより、セイランはマーティアの死を知ることとなる。




