事件の夜
「おめでとう、ライカ」
十三歳の誕生日。
ライカネルはめいいっぱいの笑顔で迎えられた。
「ありがとうございます、お母様」
一般的な貴族のように、大きな宴を開いて祝うことはできなかった。
<王国の天秤>クラシェイドだからだ。
けれど、そんなことに不満などないように、ライカネルは静かに微笑んだ。
「今日まで来れたのも母上のおかげです」
紫色の癖っ毛を揺らし、ライカネルは母に向かって会釈する。
その生真面目な態度を、セイランは好ましく感じた。
「お父様は夜までに帰ってらっしゃいますからね」
「……無理に帰らなくても良いです。そんな歳でもありませんから」
父の話題を出すと顔から笑顔が引っ込み、どこか不貞腐れたような表情になる。
セイランは複雑な気持ちでライカネルを見つめた。
――どうしたものでしょうか。
昔はあんなにも父に懐いていたのに、歳を追うごとによそよそしくなる。
娘とはこういうものだと知ってはいたが、自分にはなかったその態度にセイランは戸惑う。
「――クラシェイドの爵位はライカネルに譲る」
今わの際まで伯爵位を守っていたセイランの父は、ベッドの中でそう告げた。
「このまま、男として育てるように」
何故か、と尋ねることはできなかった。
セイランにはその理由がわかっていたからだ。
不安そうな顔で頷いた娘の頭を、ケオニールは優しく撫でた。
「お前にはすまなかったと思っている。――娘だと思うと非情になれなかったのだ」
その言葉で、セイランはケオニールの考えをようやく理解した。
彼は彼なりに娘を大事にしていたのだ。それと同時に、孫にはどこか距離を置いていた訳も。
「どんな判断も冷静に平等に……どれだけ冷酷と言われようとも……全ては王国のためだと……」
それでも一人、たった一人にだけは徹することができなかった。
「ライカネルには謝っても謝りきれない」
許されないことをした、とケオニールは告げた。
「恨むだろうな、あの子は」
「お父様……!」
セイランの頬にはいくつもの涙の雫が伝っていた。
「あの子は賢い子です。きっとわかってくれますわ」
ライカネルを守るため、ケオニールが行ったこと。
それは、正義とはかけ離れていた。
全てを知った時、それでもライカネルは許すだろうか。
ケオニールは孫の顔をぼんやりと思い浮かべた。
「ロウザと幸せに……」
父の最期の言葉を思い出し、セイランは目に涙を滲ませた。
「お母様?」
「なんでもありません。あなたが立派に育ってくれて嬉しいだけです」
涙を拭うとライカネルを抱きしめた。
彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめたが、セイランの背中に手を伸ばし、強く抱き返した。
幸せだった。
愛する家族と過ごせて。
娘には歪な人生を歩ませてしまうことが気がかりだったが、それでも少女は懸命に生きている。
美しい筆跡の持ち主で、見たものを一度で覚えてしまう天才。自分にはできなかったことが、彼女ならできてしまうのではないかという期待が確かにあった。
しかし、ある事件がライカネルの人生を変えた。
それはユライアの息子である第二王子・ネイゼンの生誕祭のことだ。
夜に開催された宴の会場から離れた場所で、ライカネルは何者かに襲われたのだという。
人気がない場所は、かえってマシェル伝達網の手が届きにくかったのだ。知らせに来た配下達の目は狼狽していた。
ベッドの上でライカネルは頭を下げた。
「すみません……誰かに助けられたのはなんとなくわかるのですが……」
娘の負った怪我を見て感じた。
暗く、歪な視線を。
◇
襲撃を受けたライカネルは、事件の記憶を失っていた。
その影響か、生真面目で神経質な性格は一転し、穏やかに笑う少女へと変貌する。
それだけではない。
大勢の前に立たされてもなお、毅然と調停をこなす姿をセイランに見せた。
「ジゼル伯爵が用意したのは実用性のある短剣に装飾が施されたものです。
一方、ヴィンス伯爵が用意したのは最初から観賞用の短剣であり、何かを切ったりはできません」
第二王子ネイゼンの生誕祭の宴の会場。
似通った二つの贈答品。
取り囲む貴族の中央で、ライカネルは詰まることなく言葉を発する。
「『エルドガール法大全』第4編・治安と刑律篇・第3章第5条、
刀剣とは、片刃、または両刃の直剣、または曲剣を指し、刺突あるいは切断を行うための武器である、とされています」
ライカネルの口からは、長い条文もすらすらと溢れ出る。
当然だ。それだけの勉強を彼女は積み上げてきた。
「つまり、姿形は似ていますが法的には全くの別物です」
そうして、ライカネル――ライカは見事に仲裁をしてのけた。
――人が変わったみたいです、いいえ、本当はこんな子だったのかもしれません……。
セイランは驚いたように我が子を見つめる。
祖父の命令とはいえ、男装を強要した娘。
その引け目からか、彼女はどこか自信がなさそうに身を縮こませて生きていた。
その隙をつくように人々はライカを謗った。
いや、そのような流れが確かに作られていた。
何者かの手によって。
犯人の目星はすでについていた。
そんなことを画策する人間は限られていたからだ。
◇
屋敷に帰り、頭に怪我を負ったライカを寝かせると、セイランはベッドに潜ることなく起きていた。彼の帰りをただ待ち侘びて。
「――セイラン」
夜もすっかり更けた頃、男は帰ってきた。
セイランの夫――ロウザだ。
彼はクラシェイドの裏の顔、"マシェル伝達網"の統率者として活動していたのだ。
「何かわかりましたか?」
セイランは小声で尋ねた。
この屋敷で聞き耳を立てる者などいないとわかっていても、つい声を潜めてしまう。
「それがあまりはっきりしなくて……」
ロウザは左右に首を振った。
「どうやら宴の途中でライカは給仕に声をかけられ、礼拝堂に向かったらしい。そこで平民の男に襲撃を受けたようだけど……」
「その平民の男は何者です?」
セイランの問いにロウザは顔を俯かせる。
「男の身柄がヴェイン伯爵の手に渡ってしまってね」
ああ、とセイランは頷いた。
<王国の甲冑>であるリーディス・ヴェインは王族の安全を何よりも優先させる義務を負う。
第二王子・ネイゼンの生誕祭で剣を抜いた男の処遇に、彼は誰一人として口を挟むことを許さないだろう。
「では、給仕の方はどうです? あの会場には伝達網の者たちがいたでしょう?」
「当然、目撃している。――ただ、いくら探しても見つからなかった」
「伝達網の目を掻い潜るなんて……」
セイランは自分の体を抱きしめるように腕を回す。
肩が小さく震えていた。
そんな彼女を包み込むように、ロウザは優しく腕を回した。
「できる限りのことはやってみる。だから君はライカの側にいてあげてほしい」
「ええ、わかっています」
肩の力を抜くと、セイランは顔をロウザの胸に当てた。
すっかり冷えた彼の体からは、穏やかに脈打つ鼓動の音が響いた。




