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蝕まれる賢王

「全くどういうつもりだ!」


 執務室の中で、ラウドニウドは怒鳴った。


「とんだ醜態だ! メリオールは何を考えている!」


 彼は文机の上にあった書類を手で薙ぎ払った。

 紙が宙を舞い、ゆっくりと床に落ちていく。


「国王陛下、ルーカディアス第二王子殿下まで追放するのは、いささかやりすぎではありませんか?」


 家臣の一人がおずおずと進言する。

 その言葉にラウドニウドは机を拳で叩いた。


「戦の真っ只中に事を起こし、首が繋がっているだけでもありがたいと思え!」


 それは、我を忘れたような怒鳴り声だった。


「兄の妻に手を出そうなどと恥を知らぬにもほどがある。――本当に何を考えているのだ!」


 メザーニャ王国に追放するのでさえ、この情勢では手がかかる。

 ラウドニウドの言う通り、反逆者として扱われないだけ上等だった。

 進言した家臣もそれ以上は言及できなくなり、口を閉ざした。


「陛下のおっしゃる通りでございます。最良のご判断でした」


 わざとらしい口調でそう告げたのは、エバス男爵、カウトン・ランクだった。

 痩せた体にへばりつくような暗い服。

 あまり覇気を感じさせないのに、目だけはぎらぎらと鈍い色を湛えていた。


「ところで陛下、此度の戦で親を亡くした子のために、孤児院を建設したいと思っておりまして……」


 粗悪な孤児院を作り、浮いた金を着服するつもりなのだ。

 この部屋でカウトンの言葉を信じる者はいない。

 ただ一人を除いて。


「おお、素晴らしい考えだ」


 ラウドニウドは手を叩き、大きな声でカウトンを賞賛した。


「君のような領主がいてエバス領は幸福だろう」


 カウトンから書類を受け取り、そのまま受諾のサインを印した。

 その金額に目も通さずに。


「もう少し審議してからでも……」

「この程度のことも私は決められないのか!」


 嗜める家臣には怒声を浴びせる。

 そんな男ではなかったはずだった。

 いつの間にか、ゆっくりと、エルドガールの国王は心を侵されていた。


「陛下、お顔色が悪うございます」


 背後に控えていた男が静かに告げる。

 <王国の薬杯>レメリオ・フォルス――ロゼスタの父だった。


 すらりとした細い体に、病人のような白い肌。

 長い髪を後ろで一つにまとめている。


「昨夜も遅くまで政務をなされておりました。

 今日はもう、お休みになってはいかがでしょうか?」

「貴様はいつもそれだ。そんなに私に仕事をしてほしくないのか?」


 両手で机を叩くと、今にも掴み掛からんばかりの勢いでレメリオを睨んだ。


「やれやれ、騒がしいことだ」


 そう言って、ノックもせずに現れたのは深緑の髪の男、ウェンセム・アレシオンだった。

 この場の誰よりも若い彼は、けれど誰よりも不遜な態度で腕を組む。


「ウェンセムか」


 突然、ラウドニウドは表情を変える。

 長い付き合いの友人に会った時のような優しい笑顔に。


「ああ、ケオニールから報告を頼まれたのか」

「まぁ、そうではありますけど……」


 ウェンセムはピンと長い指でラウドニウドを指す。

 本来、王族にしてはならない所作だ。


「顔色が悪いのは本当だと思いますがねぇ」

「うん? そうかい?」


 他の家臣が言えば怒り狂ったであろう言葉に、ラウドニウドは耳を貸す。


「休んだ方がいいでしょう」


 そうか、とラウドニウドは苦笑いを返す。

 その横顔には、かつての聡明さが滲んでいた。


「なら今日はこれまでとしようか。――ウェンセム、また来てくれ」


 不自然なほど穏やかな表情でラウドニウドは執務室を去る。

 小さくなる彼の後ろ姿を見送りながら、ウェンセムは僅かに首を傾げた。


「あれはどうかしたのか?」


 部屋の隅に向かって話しかける。

 そこには、影のようにロゼスタ・フォルスが立っていた。


「助かりました」


 ロゼスタはウェンセムに目配せすると、部屋の外へと誘った。


「原因がわからないのです」

「フォルスにも?」

「ええ」


 あらゆる身体の病気を疑ったが、当てはまるものはなかった。

 <王国の薬杯>であるフォルス伯爵家が、これまで蓄積してきた膨大な医療知識と照合してもだ。


「考えられるのは心の病ですが……」


 それさえも特定ができない。

 ラウドニウドはまだ五十にもなっていない男だ。

 頭が呆けるにも早すぎる。

 あらゆる診察を試みたが、解明できないままだった。


「あなたにだけは心を開いているようです」


 どんなに怒り狂っていても、ウェンセムの話になると途端に理性を取り戻すのだと言う。


「エアリクト様に似ていらっしゃるそうです」


 ラウドニウドの一番上の兄であったエアリクト。

 彼の不審死をきっかけに、王子同士の争いは巻き起こった。


 先代の王子たちがどんな人物であったのか、ウェンセムの知るところではない。しかし、少なくともラウドニウドには忘れられない存在だったようだ。


「時々で良いのでいらしてください」


 そう言ったロゼスタの顔は、忘れられない何かが彼にもあるかのように、どこか寂しそうだった。

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