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公爵邸の門前

 その日は朝から雨が降っていた。

 マーティアが王宮からアレシオン公爵領にある本邸に帰されたと聞き、セイランはすぐさま向かった。

 雨の雫を弾きながら、彼女を乗せた馬車はぬかるんだ道を急いだ。


「マーティア第三妃殿下にお目通りを」


 アレシオン公爵邸の門番にセイランは頼んだ。

 けれど門番の男は首を横に振る。


「誰にも会わせるなとの言いつけです」

「それは……」

「アレシオン先代公爵閣下のご指示でございます」


 マーティアの父はよほど立腹しているのだろう。

 セイランが来ることを見越し、通さないようにと予め門番に言い含めるほどに。


 ――慰めが必要です。


 ナザリウスとマーティアの間に愛情というものはないように見えた。

 けれど、それでもルーカディアスとの事件は、マーティアにとって深い傷となっただろう。


「ウェンセム……私の婚約者を呼んでください……!」

「――少々お待ちを」


 困った顔で門番は背後にいた別の男に目配せをする。

 男は頷くと雨の中、屋敷に向かって走り出した。


「お嬢様、馬車で待ちましょう」


 クラシェイドの御者が屋根の下に入るよう促した。

 すでにセイランは頭からずぶ濡れだった。

 けれど少しでも体を冷やさないようにと彼は気遣ったのだ。


「ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 しかし、セイランはその場に留まることを選んだ。

 マーティアのことを思えば、いてもたってもいられない心境だったのだ。


「ウェンセム様ですが……」


 戻ってきた男は申し訳そうな顔で告げた。


「今はいらっしゃらないそうです」


 セイランは直感した。


 ――嘘だわ。


 ウェンセムは屋敷の中にいる。

 けれど、セイランの呼び出しに応じる気はないのだ。


 ――何も変わらないから。


 セイランがウェンセムに会ったとしても。

 彼にはわからないのだ。

 慰めなど。

 だから、セイランとマーティアが顔を合わせることに意味を見出せない。


 ――そういうところが嫌なのよ。


 人の感情を誰よりも大事にするセイランとは、考えが根本的に違うのだ。

 降りしきる雨の中で、彼女は深い孤独に包まれた。


「クラシェイドさん?」


 門番の背後、屋敷の方から驚いたような声が発せられる。

 恰幅の良い体が目に入る。

 彼は一瞬だけ立ち止まり、セイランをじっと見つめた。


「フェッセルさん?」


 思わぬ人物に、セイランも目を丸くした。

 王宮では時々顔を合わせていたが、こんな場所でも遭遇するとは思わなかったからだ。


「どうしたんですか? 風邪を引きますよ?」


 セイランがすっかり濡れそぼっていることに気づき、ロウザは慌てた顔をした。


「フェッセルさんこそ、どうして」

「仕事です。書類を受け取りに」

「こんな雨の中を?」


 それはセイランも同じだった。

 こんな雨の中で二人は立っている。

 それがなんだかおかしくて、セイランは強張らせた顔を少しだけ緩ませた。


「第三妃殿下のことですか?」


 ロウザの言葉にセイランは静かに頷いた。


「ウェンセムはいませんでしたか?」

「……」


 彼は答えなかった。

 けれどその態度が肯定であるとセイランは捉えた。

 今まさに二人で話していた。

 そんな気さえした。


「大丈夫ですよ」


 セイランの側まで寄ると、ロウザは励ますように柔和な笑みを目一杯浮かべた。


「こんなことでお悩みするようなお方ではありません」


 雨の音が小さくなる。

 ただ、ロウザの声だけを耳に拾っていた。


 ――その通りです。


 マーティアはそんなくよくよした人間ではない。

 ロウザの言葉に、セイランは納得していた。


 ――むしろ、王宮から離れられて喜んでいるかもしれません。


 そう思えるほど、彼女は妃としての暮らしを望んではいなかった。

 いずれにせよ、王宮を去ることになっていたのだろう。


「そうですね。またきっと元気な顔を見せてくださいますよね」

「ええ、そうです」


 すぐ側に優しい笑顔。

 それは冷えた体を包み込むような温もりがあった。

 まるでずっと求めていたような温もりが。


「また助けられましたね」


 セイランの言葉にロウザは目を細めた。

 美しい声がすぐ側で聞こえる。

 聞き慣れたはずの声は、今この瞬間にも彼の心を揺さぶった。


「何度だってお助けしましょう」


 思わず口にした言葉は、間違いなく彼の本心だった。

 雲間から日差しが溢れ、二人を照らす。

 セイランの顔も晴々と輝き、瞳には優しい光が灯っている。


「さぁ、もうお戻りください」

「はい」


 ロウザに促され、馬車へと戻るセイラン。

 そんな二人を屋敷の窓から眺める男。

 長い深緑の髪に深緑の目。

 ウェンセム・アレシオンが見つめていた。

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