王妃の計画
長い廊下を彼女は歩く。
下へと伸びた深緑の髪。
同じ色の澄んだ瞳。
華美を抑えた上品な、けれど可憐さも備えたドレス。
誰が見ても美しいと述べるであろうその女性は、顔に暗い色を浮かべていた。
――突然、第二王妃殿下から招待いただくなんて……。
マーティアは重い足取りで歩を進める。
私室から第二王妃・メリオールが招いた部屋までは距離があったが、今はそれがありがたかった。
――正直、会いたくない。でも……。
メリオールとマーティアは、これまで会話をする機会などほとんどなかった。
そのような間柄の王妃から呼び出されるとしたら、それは兄・エセルドに関することに違いなかった。
――エセルドお兄様について何かわかるかも。
その思いだけでマーティアは不躾な呼び出しに応じたのである。
「どうぞこちらに」
部屋の外で待機していた侍女が、マーティアを中へと通す。
暗い部屋だった。
カーテンが閉められ、テーブルに置かれた燭台だけが唯一の灯りだ。
その様子に疑問を抱いた時にはもう、部屋の扉が鈍い音をたてて閉まっていた。
「メリオール第二王妃殿下……?」
暗い部屋に向かってマーティアは呼びかけた。
けれど、テーブルの椅子にも、窓際のソファにも彼女はいない。
もしかして、とマーティアは部屋の一角にあるベッドに目をやった。
本来、客を呼ぶ部屋にはないであろうそれを。
「君は……?」
ベッドの天蓋から伸びるカーテンが僅かに開く。
その奥から漏れ出たのは、少女のような高い声だった。
「ルーカディアス第二王子殿下……!?」
マーティアは目を見開いた。
それと同時に、部屋の扉まで勢いよく走った。
細い腕で扉を押してみるが、外側から鍵をかけられたかのように開かなかった。
「開けてください! そこにいるんでしょう!?」
マーティアの声に返事はない。
ばんばんと扉を叩くが、人の気配がするだけで、扉は微動だにしない。
「どういうことですか!?」
部屋の外に出ることは諦め、中にいるルーカディアスに怒鳴った。
ベッドからゆったりと現れた彼は、寝巻き姿でぼんやりとマーティアを見た。
「ここにいるよう、母上に言われたけど……」
壁にかけられた上着を羽織り、ルーカディアスは困った顔をする。
「まさかこんなことを企んでいたとはね」
マーティアと同じくらい彼も困った顔をする。
こうして二人閉じ込められた真意は説明されなくてもわかる。
けれど、ルーカディアスにその意思はないようだ。
「とりあえず座って。――何か飲む?」
彼は棚に置かれたワインの中から一つを手に取ると、二つのグラスに注いだ。
「遠慮します」
マーティアは不貞腐れた顔でテーブルの椅子ではなく、ソファに腰かけた。
心の中ではいかに逃げるか考えながら。
「どうかしてるわ」
誰にともなくマーティアは呟いた。
このままこの部屋で一夜を明かせば、待っている未来は決まっている。
それはルーカディアスにとっても不都合な未来のはずだ。
「正気じゃないんだ」
ルーカディアスはワイングラスをマーティアに掲げる。
血のように赤いワインの向こうにある彼の瞳は、朱が混じる黄金の中に、どこか濁った色を湛えていた。
「何か入っているんでしょう?」
マーティアは疑った顔でルーカディアスを見た。
喉は渇いたが、安易に口に物を入れてはならないというのは貴人として常識だった。
「心配なら交換する?」
ルーカディアスは自分用に持っていた、もう一つのワイングラスを示した。
「こうしましょう」
マーティアは二つのグラスを奪うと、テーブルの上でくるくると回した。
何度かそうしているうちに、どちらが最初のグラスかわからなくなる。
「では、私はこちらを」
やがて彼女は手を止め、グラスの片方を持ち上げた。
もしこのグラスのどちらかに毒を入れていれば、ルーカディアスはワインを飲まないだろう。
マーティアはそう考えたのだ。
「では、私はこちらを」
けれどルーカディアスは躊躇わずに残った方のグラスに手を伸ばす。
「乾杯」
ガラス同士がぶつかる高い音が部屋に響く。
そのまま、ルーカディアスはグラスに口をつけ、ワインを一口含んだ。
「ほら、大丈夫だっただろう?」
マーティアはこくりと頷くと、悪戯っぽく笑った。
「では、こちらのグラスと交換いたしましょう」
有無も言わさず、マーティアは再びグラスを一周させる。
それだけのことをされても、ルーカディアスは怒らなかった。
「では……」
マーティアがワインを煽った。
渇いた喉を通り、それは胃へと注がれていく。
「用心深いことだね」
ルーカディアスは目を細め、もう一方のワイングラスに口をつけた。
これでもう、どちらにも毒は入っていない。
それを証明するかのように。
「美味しかったですわ、ルーカディアス第二王子殿下」
「それは良かった」
そうにこやかに交わす二人の間には、重く分厚い壁があった。
グラスをテーブルの上に置くと、お互いに口をつぐみ、背中を向けて夜が終わるのを待つ。
訪れる朝がどれほど疎ましいものであったとしても。




