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彼女の決意

「すみません、お仕事中に」


 セイランが謝罪すると、ロウザは笑顔のまま首を横に振った。


「大丈夫ですよ。まだまだ下っ端ですから」


 中庭の外れにある噴水の側には、古びた、けれど手入れの行き届いた椅子があった。

 並んで腰を掛けると、セイランは遠い目をして上を向いた。


「国王陛下の側付きなのにですか?」


 セイランの疑問に、ロウザは少し慌てた様子を浮かべ、あからさまに誤魔化した。


「側付きだなんてとんでもない。今日はたまたま用事があっただけですよ」


 ラウドニウドの荒れた一面を見た後だ。

 なんとなく、恰幅の良いロウザが彼の側にいた理由が察せられ、セイランは話題を変えることにした。


「こうしているとアイシアン王立大学の頃を思い出しますね」


 セイランは上げていた視線を落とし、今度は目を伏せた。

 自分とロウザの膝が目に映る。

 性格には見合わない逞しいロウザの足を見ていると、自分の体があまりにも小さく感じられた。


「あの時はありがとうございました。

 ――私、ちゃんとお礼を言っていませんでしたよね」


 あの時が何のことか、聞かなくてもロウザにはわかった。

 アイシアン王立大学での忌まわしい出来事。

 セイランを絶望に突き落としたあの事件のことだ。


「いえ、何度もお礼は言ってくださいましたよ」

「あら? そうでしたか?」


 セイランは驚いたように顔を上げた。

 口に手を当て、首を傾げる。その様子が少女のように可憐で、ロウザは思わず目を細めた。


「だからもう大丈夫です」

「すみません。私ったら……」


 和やかな空気が流れる。凍りついた心が温まるようだ。

 ロウザと話していると不思議といつもそうだ。

 ウェンセムにはない人間味をロウザからは感じ取れた。


 庭には花が咲き、鳥が囀る。

 噴水はとめどなく流れ、清涼な空気を運んでいる。

 日差しが柔らかく照らし、温もりに包まれていた。


「私、思うのです」


 セイランは全てを受け入れたように、穏やかな表情を浮かべた。


「<王国の天秤>を継げなかったことは残念です。

 けれどそれは、私の努力が足りなかったわけではありません。

 この先は誰にも読まれない、色褪せた本のような人生が続くのかもしれません。

 それでも、私は――」


 優しい声で、凛とした声で、セイランは言った。


「精一杯やったのです」


 目から一筋の雫が流れる。

 日の光を反射し、星のように輝いた。


「これからは、一人の人間として生きていこうと決めました」


 それは、自分に言い聞かせているようだった。

 たとえ、その才を殺すことになっても、セイランには歩むべき道が作られてしまった。

 後はもう、粛々と辿るだけ。


 風がそよぎ、セイランの髪を攫う。

 隣のロウザは顔を曇らせた。

 あまりにも勿体ないと思ったからだ。

 けれど口に出す前に彼は飲み込んだ。

 心に蓋をして、その想いを封じ込める。

 湧き上がる感情を殺し、触れることのできないその美しい横顔を、彼はただ見つめることしかできなかった。




 ◇




 王都にあるアレシオン公爵家の別邸では、二人の青年が向き合っていた。

 どちらも深緑の長い髪に深緑の瞳。

 よく似た顔立ちをしている。

 けれど、一人は背筋を伸ばし、射るような目で睨むのに対し、もう一人は肩の力を抜き、相手を嘲笑うように口元を緩めていた。


「何の用だ、ウェンセム。この屋敷に入る許可は得ていないだろう?」

「やれやれ、もう<王国の車輪>を継いだ気になっているらしい」


 ウェンセムの言葉に、背筋を伸ばした青年――エセルドの顔に苛立ちが浮かぶ。

 しかし、何を思ったのかその苛立ちを引っ込めると、冷静さを取り繕った。


「――セイラン・クラシェイド」


 その名を口に出され、ウェンセムから表情が消えた。


「私ではなく、彼女に会いに行った方が良かったのではないか?」


 珍しくウェンセムから余裕を奪うことができたと思ったエセルドは、ゆったりとした動作で腕を組んだ。

 ウェンセムは一度、目を閉じる。

 次に開いた時、その目は真っ直ぐエセルドに向いていた。

 低い声が部屋に響く。


「最初に会った時、彼女は――……」


 こちらを見下ろすかのように首を斜めに傾げるエセルド。ウェンセムは構わず続ける。


「セイランはぼそぼそと俯きながら話す子どもだった」


 急に昔話をされて、エセルドはただ戸惑う。けれど、同じ色をしているはずの弟の深緑の瞳は冷たく、身動き一つ許さなかった。

 そんな兄に向かって、ウェンセムは淡々と言葉を投げかける。


「だが次に会った時、彼女は変わっていた。

 こちらの顔を見て明瞭に話すようになっていたんだ」


 ウェンセムの知らぬところで、何かきっかけがあったらしい。

 周囲の目を気にして萎縮するように生きていた少女は、自分の言葉を持ったのだ。


「それがセイランと凡人の違いだ、エセルド兄上」


 エセルドの顔がさっと赤くなる。


「私が凡人だと言いたいのか!」


 エセルドは一歩前へ踏み出すと、普段の彼からは考えられないくらい大きな声を出した。


「そうやっていつもいつも私を見下し馬鹿にして!

  だがそれもいつまで続くと思うなよ!?

  私が<王国の車輪>を継いだら、お前など追い出してやる!――それに!」


 肩でぜいぜいと息を吐きながらも、エセルドは不気味な顔で笑った。

 深緑の瞳にはどこか歪な光が宿っている。


「――それに、私にはあのお方がついている!」


 すでにもう、エセルドは目の前のウェンセムを見てはいなかった。

 ただならぬその様子を不審に感じながらも、ウェンセムは首を傾げる。


「あのお方、ね……?」


 それが誰なのかウェンセムは理解していた。

 けれど、その影の深さに気付いた頃にはもう、浸食は取り返しがつかないほど進んでいた。




 ◇




 その後、アレシオン公爵の爵位は長男・エセルドに移り、それと同時に<王国の車輪>の特権も彼の手に渡る。

 エセルドはナザリウスを支持していた父の意向に背き、ルーカディアス擁立を宣言。

 ナザリウスに決まりつつあった選王会議は暗礁に乗り上がる。

 その混乱に乗じ、他国――特に条約を締結していたメザーニャ王国による侵攻が開始され、エルドガール王国は内外共に大きな問題を抱えることとなった。

 さらに時の王・ラウドニウドも、次第に賢王の顔が剥がれ落ちていく。

 特権を持つ五大貴族を遠ざけ、耳触りの良い臣下を側に置いた。

 公の場ですら怒鳴り散らす様子に、かつて民が敬愛した国王の面影はない。

 エルドガール王国は、短くも長い暗澹たる時代を迎えることとなった。

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