侵食する影
窓から伸びる光が、二人の顔に深い影を作る。
日の光を浴びてきらきらと輝くのは、優雅に椅子に着くルーカディアスの金色の髪。
対面に座った男はそわそわと所在なさげに視線をさまよわせる。
「お茶をどうぞ、エセルド公爵令息」
促されるままに男――エセルド・アレシオンはティーカップに口を付けた。
温かい飲み物に少し気持ちが落ち着いたのか、ようやく視線を対面にいるルーカディアスに向けた。
「お招きありがとうございます、ルーカディアス第二王子殿下」
そうして控えめに笑った彼は、多くの女性が目を留めるほどの美男子だった。
――残念だ。
ルーカディアスは心の中でため息を漏らした。
――エセルド・アレシオン。本当に残念な男だ。
父親から受け継いだ端正な容姿。優雅で気品のある立ち振る舞い。アイシアン王立大学で常に上位を維持する頭脳。
どれをとっても立派な貴族の青年だというのに、彼は自信というものだけを持ち合わせていなかった。
エセルドには弟がいる。
何もかも彼よりも優れている弟が。
その存在のせいで、いつも不安と焦燥を抱えているのだ。
「前に言った話は考えてくれたかな?」
そうルーカディアスに問われ、エセルドは視線を落とす。
「私にはとても……」
ふむ、とルーカディアスは考え込む素振りを見せる。
その姿すら様になっていた。
「父君から<王国の車輪>を受け継いだ暁には、選王会議で私を推挙する。
――それほど迷うことではないと思うけどね」
「しかし……」
エセルドは視線をティーカップに向けたまま、たどたどしい口調で告げた。
「ナザリウス第一王子殿下とはお歳が離れておりますし……あの方には支持者も多く……それに……」
「私がメザーニャの血を半分引き継いでいるから、かな?」
ルーカディアスの言葉に、エセルドは口を閉ざした。
それ以上は言及できない。――してはならない。
「だからこそ、と考えないかい?」
「それは……?」
「エルドガールとメザーニャの血を引く私だからこそ、和平のため、王位に就くべきだと」
エセルドは視線を下に向けたまま目を見開く。
はりぼてのような主張の中に、妥当性を見出した気がして。
ルーカディアスの瞳がエセルドを見つめる。
金の中に朱が混じった複雑な、怪しくも人を魅了する――そんな色合いだ。
「私は凡人だ。一人では何もできない」
立ち上がると、ルーカディアスは下を向くエセルドの横に立った。
「だから、君のような優秀な協力者を欲しているんだ」
その言葉は耳元で静かに囁かれた。
そのまま、心の奥まで染み込んでいく。
◇
廊下を歩くセイランの顔には笑みが広がっていた。
ナザリウスの第一妃であるフラウラと、その息子であるユイレンに謁見した後だからである。
ユイレンはすでに歯が生え始めており、フラウラの呼び声にも反応を見せていた。
白金の髪は絹のように艶やかで、父親譲りの黄金色の瞳はきらきらと輝いていた。あどけない王子は、見る者の心を魅了せずにはいられなかった。
――なんて愛らしい王子殿下なのでしょう。
幼児に触れる機会のなかったセイランは、すっかりと心を射止められていた。
――第二王子殿下も可愛らしかったです。
ユライアの息子・ネイゼンのことも思い出す。
自分もいつか、あのような愛おしい子をもうけるのだろうか。
しかし、頭にウェンセムの顔が浮かび、気持ちはあっという間に萎んだ。
――結局、エセルド様について何もわかりませんでした。
ルーカディアスと交流しているとマーティアは言っていた。その真偽を確かめるため、ウェンセムに何度も尋ねたが、はぐらかされるだけだった。
アレシオン公爵家の二人の令息。
その兄弟仲は最悪だった。真面目なエセルドと、不真面目なウェンセム。まるで水と油だ。さらに悪いことに弟の方が優秀だった。
その引け目が良くない方へと向かっていたなら。
王位継承を巡り、ナザリウスとルーカディアスの争いは激化するだろう。
――お父様は関わるなとおっしゃっていましたが。
おそらく、セイランにできることは何もない。
ウェンセムの婚約者故に掻き乱す可能性すらあった。
けれど、黙っていられるほど能天気にはなれなかった。
暗澹たる気持ちを抱きながら、フラウラの私室と王宮を繋ぐ中庭の小道を歩いていた時だった。
反対側から誰かがやって来る。
豪奢な衣服を纏った、酷く頬のこけた男だ。その後ろに数人の従者を連れている。
その顔には見覚えがあった。
セイランは慌てて道から逸れ、頭を下げた。
「誰だ貴様は」
影に徹したセイランに、冷たい声が降り注ぐ。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。私は――」
「誰だと聞いている」
その荒々しく威圧的な声に、セイランの肩がびくりと揺れる。
記憶の彼とあまりにも乖離した態度だったからだ。
「……クラシェイド伯爵オケニール・クラシェイドの次女、セイラン・クラシェイドと申します」
「クラシェイドか」
あの小うるさい、と吐き捨てるように男は続けた。
彼はラウドニウド。
エルドガール王国の国王だ。
セイランは驚きのあまり言葉を失っていた。
彼女の知る国王は、このように荒々しい感情を表に出す人間ではなかったはずだ。
聡明で理知的。誰もが賢王だと讃える人だった。
「ウェンセム様のご婚約者です」
従者の一人がラウドニウドに耳打ちをする。
飛び抜けて背の高いこの男は、ロウザ・フェッセル。
彼は焦りを見せつつも、変わらず柔和な顔つきだ。
セイランは少しだけ心を落ち着かせる。
「ああ、ウェンセムの」
苛立ちに満ちていた顔はとたんに和らぎ、優しい微笑みへと変わる。
「ご機嫌よう。ウェンセムは元気かね?」
「はい、変わりなく過ごしております」
「おや、素敵な声だ。ウェンセムも君のそういうところが気に入っているのかもしれないなぁ」
「そうだと良いのですが……」
照れが顔に出たため、セイランは少し俯いた。
そんな彼女を見るラウドニウドの目は、日差しのように温かなものだった。
「呼び止めて悪かった。フェッセル、送って差し上げろ」
「はい」
セイランが去り際の挨拶をする前に、ロウザは彼女を帰路に促した。
これ以上、ラウドニウドとの接触を避けるかのように。
「どうか、今日のことはお忘れください」
並んで歩くロウザは、困った顔でセイランに頼んだ。
その態度に、セイランは尋ねたい気持ちを飲み込んだ。
「ええ、私は何も見ませんでした」
その横顔は寂しい色を湛えている。
ラウドニウドと会話をしたのはこれが二度目だった。
一度目はセイランがまだ幼い頃、ケオニールを訪ねてクラシェイドの屋敷に彼が訪れた時のことだった。
"君がセイランだね"
"は、初めまして、ラウドニウド国王陛下"
国王を前にして顔を強張らせるセイランに、ラウドニウドは優しい眼差しを向けた。
それから少し会話をした。取り止めのない会話だ。
けれど低くその穏やかな声は心に染み渡り、セイランの記憶に深く刻まれた。
――あのお方を手本とさせていただいていましたのに。どうして。
どうしてあんなにも心が荒れていたのか。
あれはセイランが初めて見る彼の一面にすぎないのかもしれない。
けれど、まるで歯車が狂ったかのような、本来あるべき姿がねじ曲げられてしまったかのような、そんな印象を彼女は受けた。
「どうかお気になさらず」
暗くなったセイランに、ロウザは励ましの言葉を送った。
「我々にお任せください」
彼に言えるのはきっとそこまで。それ以上はもう口にできない。
「フェッセルさん……」
セイランは足を止め、ロウザを見上げた。
「少しお話できませんか?」
それは、何気ない思いつきだった。
昔のことを思い出し、暖かい気持ちに包まれたかっただけの、ほんの気まぐれだった。




