第三妃の憂い
王宮の一室。
そこには、生まれたばかりの男児を抱いたユライアの姿があった。
「おめでとうございます、ユライア第二妃殿下」
「よそよそしいではありませんか、セイラン。これまでのように、ユライアと呼んでください」
アイシアン王立大学を首席で卒業した後、セイランは婚約者であるウェンセムが<王国の天秤>を継いだ際に補佐できるよう、ケオニールから学んでいた。
その傍ら、ナザリウスの妃たちの相談役として王宮を出入りしていた。
「お名前は決まりましたか?」
「はい。殿下が"ネイゼン"と付けてくださいました」
「まぁ、それはよろしかったですね」
昨年、ナザリウスの第一妃であるフラウラが第一王子・ユイレンを出産した。
それに続き、今年は第二妃であるユライアも無事に王子を産むことができたのである。
「ネイを黒髪で産んでしまって、申し訳ないと思っているのです」
少しだけ生えた王子の髪に触れながら、ユライアは残念そうに呟いた。
どうやらユライアは、自分がシルヴィスの象徴である赤髪ではなかったことに劣等感を抱いているようだ。そして、我が子も同じ思いを感じないか心配しているのだろう。
「黒髪も素敵ですわ。ほら、こんなに艶やかですもの。きっと素敵な殿方に成長されますよ」
「ありがとうございます、セイラン」
セイランの言葉に納得したのか、ユライアの表情は本来の明るさを取り戻す。優しく王子を見つめる姿は幸福そのもので、セイランの胸も柔らかな温もりに満たされていた。
「この後はマーティアのところに行くんでしたよね?」
「はい。まだ慣れていらっしゃらないでしょうから」
「では、出産祝いのお礼をお伝えくださいませんか?」
「ええ、もちろんです」
マーティアも半年前にナザリウスの元に第三妃として嫁いでいる。
彼女は妃になどなりたいとは思っておらず、随分と父に抵抗した。セイランも何度か相談を受けた。けれど、最終的にはマーティアも納得して、王宮に来ることとなったのだ。
その時のことを思い出し、セイランの心はどんよりと曇り、マーティアの元へと歩む足は鈍くなる。
「あら?」
対面からやって来る人物に見覚えがあった。
セイランは足を止めて、彼の名を呼んだ。
「フェッセルさん?」
「お久しぶりです、クラシェイドさん」
アイシアン王立大学で同級生だったロウザ・フェッセルだ。
誰よりも長身の背を少し丸め、人の良さそうな笑顔を浮かべている。
「こちらでお仕事されていたのですね」
「ええ、書記官の雑用を」
「まぁ、素晴らしいですわ」
書記官を目指す者は多く、願っても就けない役職である。
高い教養や実務能力が必要とされ、優秀な人材でなければ選ばれない。
「三年生の頃には二十位以内に入ってましたからね」
「クラシェイドさんには敵いませんよ」
ロウザは恥ずかしそうにぽりぽりと頭を掻いた。
目立たない青年ではあったが、堅実な努力家のようだ。
「今日はお妃様のところへ?」
「はい。これからマーティア第三妃殿下にお会いする予定です」
「そうですか。お気を付けて」
お互いに頭を下げ合うと、それぞれ反対方向へ歩き出す。
和やかな会話に、セイランの重い足取りは見違えるように軽くなった。
◇
セイランはゆっくりと頭を下げる。
新緑の髪をした第三妃に向かって。
「ご機嫌麗しゅうございます、マーティア第三妃殿下」
「もう! セイランってば!」
ユライアの時のように、セイランがわざとらしく恭しい態度をとったため、マーティアは思わず吹き出した。
「恥ずかしいからマーティアでいいですよ!」
「お元気そうでなによりです」
「ユライアのところに行ったのですよね? 赤ちゃんはどうでしたか?」
「大変健やかで可愛らしい御子様でしたよ」
まぁ、とマーティアは声を上げた。
「私も早くお会いしたいのですが、許されませんでした」
エルドガールの王室規範は、生まれたばかりの王子に面会できる人間を制限している。
セイランはユライアがどうしてもと頼み込んだおかげで許可してもらうことができた。
けれど、同じナザリウスの妃であるマーティアには許可が下りなかった。
「出産祝いのお礼を言いつかってます」
「喜んでもらえたなら良いのですが」
「もちろん、喜んでらっしゃいましたよ」
取り留めのない会話をする二人。
心地よい時間が流れていく。
予定されていた終わりが近づくと、蝋燭の火が消えたようにマーティアの顔が翳る。
「最近、お兄様の様子がおかしいのです」
「ウェンセムが?」
そんな様子はあっただろうか。
婿養子になるため、何度もクラシェイドの屋敷を訪れている彼とは頻繁に会っていたが、変わった様子は見られなかった。
「いえ、エセルドお兄様の方です」
「エセルド様ですか?」
エセルドはこれから父親の公爵位を継ぐ予定だ。
それと同時に<王国の車輪>の特権を得る。
ウェンセムならまだしも、真面目な彼がどうしたというのだろうか。
「ルーカディアス第二王子殿下と親しくしているらしいのです」
「なんですって!?」
セイランは目を見開く。
もしそれが本当なら大変なことだ。
アレシオン公爵家が第二王子・ルーカディアスを国王に擁立する可能性があるのだから。
「家の者がこっそり教えてくれたのです。ウェンスお兄様はご存知なのかわかりませんが……」
「そのようなことはウェンセムから聞いていませんが……」
知っていても教えないだろう。そういう男だ。
セイランは心の中でため息を吐いた。
「お父様も体が優れないようです。
実家で何かが起こりそうで心配なのです。――なのにウェンスお兄様は来てくださらないし……!」
後半は怒りに満ちた口調に変わっていた。
どうやらマーティアは長男のエセルドより、歳の近いウェンセムの方が仲が良いらしい。
「今度会った時に聞いてみますね」
「ええ、よろしくお願いします」
不安そうなマーティアの手を取り、セイランは優しく微笑んだ。
「大丈夫です。私ができる限りのことをしてみますから」
「ありがとう、セイラン」
ほっとしたように表情を緩めるマーティア。
まさか、それが最後の会話になるなんて、その時は思いもしなかった。




