こけた頬と穏やかな表情
「君が<王国の天秤>を継ぐことになるなんてね」
男は笑った。
嵐が過ぎ去った後の空のように、穏やかな表情をして。
薄い赤色の髪が腰まで伸びており、シルヴィスの血を感じさせる。
頬がこけているのは疲れのせいだと、その時は思った。
けれどそうではなかったことを、後に青年は知る。
「元々、法に明るい男です。
このままいけば譲渡する日も近いことでしょう」
ケオニール・クラシェイドは硬い表情を少しだけ緩ませ、対面に座った男、エルドガール王国国王・ラウドニウドに告げた。
「どうかご安心ください、国王陛下」
椅子に座っているのは三人の男。
この王国の国王であるラウドニウド。
<王国の天秤>ケオニール・クラシェイド。
そして、アレシオン公爵の次男、ウェンセム・アレシオン。
「遅くなったが卒業おめでとう」
「本当に。何年前の話でしょうねぇ?」
ウェンセムは国王相手に畏まることもなく、ティーカップに口をつけた。
「これ」
「ははっ、良いんだ、ケオニール」
相変わらず不遜な態度を貫くウェンセムを、ラウドニウドは面白そうに見た。
「前に会った時はまだこんなに小さかったのに。時が経つのは早いものだ」
ラウドニウドはワインの入ったグラスを持ち上げ、一口含んだ。
「美しいグラスですなぁ」
「ああ、これか。メリオールが贈ってくれたんだ」
グラスはほんのりと黒みがあり、ラウドニウドの雰囲気によく似合っていた。
「あれも少しは歩み寄ってくれたらしい」
第二王妃であるメリオールは、隣国・メザーニャ王国の元王女である。
エルドガールが戦争でメザーニャを追い詰め、和平条約を締結した結果、ラウドニウドの元に嫁ぐことになったのが彼女だ。
それを受け入れられず、メリオールはラウドニウドに心を許していなかった。
「何も言わなかったが、静かにこの杯と美しい赤色のワインを差し出した。
今はそれで十分だと思うのだ」
中のワインをくるくると回すように、ラウドニウドはグラスを振った。
窓から差し込む日の光を透過し、ワインは赤く輝いた。
「君も結婚したら妻は大事にしなさい。――彼女は本当に気の毒だった」
その言葉に、ケオニールは顔を強張らせた。その一方で、ウェンセムはやれやれと手を振る。
「そんなに心配せずとも、自分で折り合いをつけるでしょうよ。凡人じゃあるまいし」
やはりウェンセムの態度は変わらぬままだった。ケオニールがごほごほと咳払いをした。
「はははっ……! 面白い子だ」
こんな態度を向けられたのはいつぶりだろうか。ラウドニウドは声を立てて嬉しそうに笑った。
「この歳でそのように接してもらえるなんてね。
兄とはずいぶん違うみたいだ」
兄のことに触れられたせいか、ウェンセムは気分を害したような顔つきになる。
「あれは凡人だ」
「これっ!」
ケオニールは今度こそ声を荒らげる。
けれど、そんなウェンセムの態度にさえ、ラウドニウドには面白く映った。
「兄弟は大切にね」
ラウドニウドの言葉には重みがあった。
彼の腹違いの兄、第一王子・エアリクトの不審死をきっかけに、第二王子・シリルと第三王子・ダリオンが王位を巡って激しく争うこととなった。
結局、玉座に就いたのは第四王子であったラウドニウドである。彼は混乱に乗じて宣戦布告をしてきた周辺諸国への対応を迫られた。
「エセルドもよく頑張っていると聞く」
ラウドニウドは重ね合わせるようにウェンセムを見た。
深緑の髪こそよく似ているが、彼と兄であるエセルドは顔つきがまるで違う。
アレシオン公爵の長男・エセルドは勤勉な青年で、穏やかな顔つきも相まって、世間の評価は高かった。けれど、天才的な頭脳と大胆不敵な性格を持つ弟といつも比べられ、本人は卑屈なところがあった。
「アレシオンが二つの特権を手にすることを危惧していたが……」
ラウドニウドはにこりと笑う。
「その心配はなさそうだ」
目の前の青年はおそらく、クラシェイドに婿入りすれば生家のことなど切り捨てるだろう。
そこまでわかっていてケオニールはウェンセムを選んだのだ。
ラウドニウドは椅子から立ち上がると、窓辺に寄り、良く晴れた空を見上げた。
「君と話せて良かったよ。若者との時間は心を明るくする」
こけた頬の影がより鮮明になっていた。
それでも心までは翳りがなかった。
「セイランと仲良くね」
その頃はまだ、他人を思いやる気持ちが残っていたのだから。




