伯爵家の令嬢
ルーカディアスの前から立ち去ったセイランは、ナザリウスの元へと駆け足で向かった。
「大丈夫か、クラシェイド?」
彼にしては圧のない声で尋ねる。
そのおかげか体の震えが少しだけおさまった。
「……はい。問題ございません」
セイランは誤魔化すように、中途半端な笑みを作った。
遠くでルーカディアスとのダンスを見られていたのだ。
きっと、ただならぬ様子を察知されたに違いない。
だが今は触れられたくなかった。
「疲れてはないか?」
セイランは首を横に振った。
その動作にはどこか諦めの色が含まれていた。
ナザリウスは小さくため息を吐くと、片手を差し出し、セイランの白い手をとった。
そうして、二人のダンスが始まる。
淡々としたダンスが。
ナザリウスは誰とでもそうだ。
けれどこの時だけは、通常よりも粛々と足が運ばれていた。セイランも彼の動作に合わせ、堅苦しそうなダンスを踊った。
「お手数をおかけしました、ナザリウス第一王子殿下」
一曲が終わると、セイランはナザリウスに頭を下げた。
「謝るな。最初から弟のせいだ」
彼はすぐさま、セイランに頭を戻すように言った。
彼女が顔を上げると、ナザリウスはため息混じりに付け足す。
「さらに言えば、ウェンスが断るべきだった。
――苦労をかける」
セイランはなんと返して良いかわからず、曖昧な表情を浮かべた。
「あのような人ですから。仕方ありません」
セイランのように優秀でありながら、女性というだけで表舞台に立てなかった人物をナザリウスは知っていた。
それだけに、彼は慰めの言葉が出なかった。
黙る王子に向かって、セイランは今度こそ笑顔を向ける。
「ダンスをありがとうございました、ナザリウス第一王子殿下。
まだまだお時間はございますので、お楽しみくださいませ」
そう言って再び頭を下げる。
周囲には、形式的なダンスだったと思われるように。
◇
体も心も疲れたセイランは会場から抜け出し、夜の風にあたっていた。外は寒々としており、露出の多いドレス姿では長居はできない。
「あなた……」
背後から声をかけられる。知らない声だ。
振り返ると女子学生が四人、険しい顔をして立っていた。おそらく上級生だ。
「アレシオン公爵令息様がいらっしゃりながら、お二人の王子殿下とも踊るなんて淑女にあるまじき振る舞いではありませんか?」
ああ、とセイランはため息を吐いた。
予想通りの展開に至ってしまったのだ。一人会場を離れたのは失敗だった。
「伯爵位を継げないからといって男漁りは見苦しいですよ?」
別の女子学生が睨むように言った。
セイランは思考を巡らせる。
おそらく彼女達はナザリウスの妃の座を狙っている令嬢だ。
けれど今日、彼の隣にいたのはフラウラ・フォルス。
ナザリウスの威光に守られ、フラウラを罵ることができない鬱憤を、セイランにぶつけているのだ。
「パートナーの了解を得ているのですから問題ないはずです」
セイランは淡々と告げる。
波風が立たないように穏やかな口調を選んでいたのは過去のことだ。
どこか諦めたような顔をしている。
「私とルーカディアス第二王子殿下は、同級生という薄い関係でしかございません。
今夜は気まぐれを起こされたので、誤解されないよう、ナザリウス第一王子殿下にも踊っていただいたのです」
そんな意図も汲み取ってもらえないのか。
その苛立ちが伝わり、令嬢たちの怒りにますます火を付けた。
「辞退されれば良かったのです!
フォルス伯爵令嬢にも失礼ではありませんか!」
令嬢の一人が、そう声を張り上げた時だった。
「――私がなんです?」
セイランを取り囲むように立っていた令嬢たち。
そのさらに後ろから、咎めるような声が発せられた。
「フォルス伯爵令嬢……!」
本人の登場に驚き、令嬢たちは互いに視線を送り合う。
気まずい空気が彼女達の間に流れていた。
「勝手に名前を使われては困ります。――それに私は怒ってなどおりません」
「はい……」
令嬢たちはぺこぺこと頭を下げると、逃げるようにその場から駆け出した。
「大丈夫ですか、クラシェイドさん?」
「ありがとうございます……」
フラウラには嫌われていると思っていたため、庇われたことが意外だった。
戸惑うセイランに、フラウラは頭を下げた。
「前に肩をぶつけましたよね。あの時は申し訳ありませんでした」
フラウラの銀灰色の髪が月光に照らされ、水面のように輝いている。
そんな幻想的な少女が、自分に向かって謝っていた。セイランはさらに困惑する。
「――あれは、兄に言われて行ったのです」
その言葉にセイランは息を飲む。一瞬、周囲の音が聞こえなくなった。
周囲の闇が一層深くなったように感じる。
暗く冷たい闇に包み込まれ、ただ二人の少女が向き合っている。
「フォルスは女性が特権を握ることを危惧していました」
だから、確かめたのだ。
セイランにその器があるのか。
あるいは、諦めさせたのかもしれない。不穏な要素が王国に紛れ込まぬようにするために。
「そういうことでしたか……」
深いため息をセイランは吐いた。
ようやく合点した。
フラウラのような聡明な女性が、肩をぶつけるような真似をしたことを。
マーティアの存在に追い込まれた時、助けを乞うように周囲を見回していたわけを。
「兄は助けてくれませんでした」
その結果、フラウラは自分の家門であるフォルスに疑問を抱いたのだ。
「私は自分の家が、私のためにあるものだと思っていました」
いずれ王妃となる自分のために。
けれど実際は、裏で人を試し、必要とあらば家族ですら切り捨てる。
そんな後ろ暗い家門であることを知った。
「気を付けてください」
フラウラは囁く。
「あなたは特権を持つことはなくなりました。
けれどまだ、フォルスは目を光らせています」
フラウラはセイランの手を取り、両手で包み込んだ。
その目は今にも泣き出しそうだった。
「ずっと羨ましかった。
女性でありながら特権を受け継ぐことを期待され、大学には首席で合格する――そのような、あなたが」
だから、とフラウラは掠れる声で言った。
「どうか無事でいてください」
その声は夜の闇に吸い込まれるようにか細く、二人だけにしか聞こえなかった。




