消えぬ烙印
「ルーカディアス第二王子殿下を差し置いて、お前が一位なんておかしいだろう?」
自分より背の高い男が威嚇するように階段の下から見上げている。
セイランは後ずさろうとして、段差に足をぶつけた。
「……学習の成果です。努力を重ねた自負が私にはありますわ」
「口答えするな!」
「あっ」
マグリドはセイランの腕を掴み、捻り上げた。
持っていた本が階段の上に散らばる。
「止めてください」
セイランは小さな声で怒りを表した。
人を集めたくないためだったが、マグリドには怯えているように映った。
「五大貴族の令嬢ばかりが順位表に載るなんて、いかさまをしているとしか思えない。
あらかじめ問題用紙を配られていたんじゃないか?」
「それは……」
セイランは強くマグリドを睨む。
「大学をも疑う行為です。取り下げてください」
はっとマグリドが息を飲む。
けれどすぐに顔を真っ赤にし、掴んでいたセイランの腕を揺すった。
「そういうところが気に食わないんだ! 偉そうにしやがって!」
「や、止め……!」
マグリドが激しく揺すったせいで、セイランは狭い階段の段差で体勢を崩す。
あんなにも強く握っていたマグリドの手から力が抜け、彼女は下に向かって落ちていく。
ふわりと宙に投げ出される体。
ゆっくりと景色が回る。
ぶつかる、と思った瞬間、何かに包み込まれた。
「大丈夫ですか!」
すぐ側で自分を心配する声が降り注ぐ。
思わず閉じた目をセイランは恐る恐る開いた。
「フェッセルさん……?」
知っている顔だった。
ロウザ・フェッセル。
いつも教室の隅の席に座って、大きな体を丸めている学生だ。
どうやら彼が受け止めてくれたらしい。
セイランは安堵したが、同時に体が震え始める。
階段から落下した恐怖が今、襲ってきたのだ。
「ロウザ! お前!」
体格のわりに温厚なロウザは、同級生の男子学生にいじられることが多かった。
そんな彼にセイランを庇われ、マグリドは苛立ちを隠せなかった。
「やりすぎだ、ニース君」
ロウザは宥めるように穏やかな口調で言った。
けれど、その声はマグリドには届かない。
「来てみろよ! 相手になってやる!」
背丈も肩幅もロウザが圧倒的に優位である。
けれど温厚な性格の彼が土俵には上がらないだろうと踏んで、マグリドは挑発しているのだ。
「――そこまでだ」
階段の上から、凍てつくような声が放たれる。
すらりと伸びた背。
長く艶やかな深緑の髪。
ウェンセム・アレシオンが見下ろしていた。
「これは見逃せないなぁ」
彼が発する言葉はまるで剣のようだ。
鋭く尖ったその声に、切っ先を向けられたマグリドだけでなく、セイランとロウザも動けなかった。
「暴力事件は御法度だ。皆、指導室まで来てもらおう」
誰もが何も言えなかった。
ただ、彼の言葉に従った。
血走っていたマグリドの目は落ち着きを取り戻し、次第に狼狽へと変わっていった。
この件により、マグリド・ニースは停学処分を受け、後に自主退学をしている。
被害者であるセイランに対する周囲の反応は様々だった。
マーティアのように心配する声もあれば、ここぞとばかりに嘲笑する声もあった。セイランに挑発されてマグリドが手を挙げてしまったのではないかと邪推する者も現れる始末だ。
そんな折、父であるケオニールは自らの書斎にセイランを呼び付けた。
長い廊下を少女は重い足取りで歩く。
――行きたくありません……。
あの父が優しい声など、慰める言葉などかけるわけがない。
何を告げられるのか、悪い想像ばかりが膨らむ。
見知ったはずの廊下は他人の屋敷のように寒々としており、歩くたびに高い靴音が鳴り響いた。
それでも、その時はやってくる。
飾り気のない、けれど重厚な扉が待ち受ける。
その扉を二度、セイランは叩いた。
「――入れ」
ケオニールの声がセイランを招き入れる。
彼女は躊躇うようにノブに手をかけた。
深く息を飲み込んで意を決すると、ドアノブをゆっくりと回し、その扉を開けた。
本の匂いが鼻を掠める。
父が背を向けて立っていた。
この部屋はいつもこうだ。セイランを拒むように威圧する。並べられた棚の本も、微かに香る煙草の匂いも、二人を隔てる大きな机も、全てが不安を掻き立てるほど重々しい。
「お前に言っておくことがある」
ケオニールは背を向けたまま、セイランに語りかける。
「何でしょうか?」
セイランはごくりと唾を飲み込んだ。
わざわざ書斎まで呼んだのだ。
深刻な話であることは想像できた。
「ウェンセムを婿養子にしようと思う」
「何ですって!」
驚愕のあまり、セイランは声を張り上げた。
決して取り乱さないようにと教え込まれていた彼女がだ。
「お前とは婚約を結んでもらう」
「<王国の天秤>は……?」
ケオニールはゆっくりと口を開いた。
まるで、判決を下す裁判官のように。
「いずれウェンセムに譲渡する」
足元が崩れる思いだった。
自分の努力も。
父からの信頼も。
全てを失ってしまったのだ。
「話は以上だ」
「はい……」
セイランは声を振り絞り、短く返事をした。
震える足で部屋から出ると、膝から崩れ落ち、廊下で嗚咽をもらす。
「ああ……あ……!」
――どうして。
頭では理解しているのに、それを拒んでいた。
女性が"特権"を握るには、時代が追いついていなかった。
ただそれだけのことなのだ。
――それでも。
それでも、セイランは夢を見た。
父に信頼され、国王と手を取り合い、この王国の行く末を思案する自分を。
マグリドの事件はきっかけに過ぎない。
また同じようなことが起こっても、きっとセイランには対処できないからだ。
けれど、似たような事件は起こり続けるだろう。
彼女が<王国の天秤>を目指す限り。
そうさせないための婚約。
それが<王国の天秤>の資格を失ったという、耐え難い烙印となろうとも。
――マーティアに会いたい。
どうせ資格を失ったのだ。
ならばもう、平等だとか、均衡だとか考える必要はないのではないか。
流れ落ちる涙を拭いもせず、セイランは彼女のことをただ考えていた。




