羽ペンの行方
その日、セイランが教室に足を踏み入れると、何やらいつもより騒がしかった。
学生たちは遠巻きに一点を見つめ、不安そうな顔で成り行きを見守っている。
彼らが見つめる先では、二人の男子学生が睨み合っていた。
「お前以外に誰がいるんだよ!」
「そっちこそ勘違いで決めつけないでくれ」
赤髪の男子学生が、もう一人の小柄な男子学生に掴みかかっている。
ガリア子爵子息であるケイビン・ラバルと、平民のアルト・リバーだ。
ラバル家は<王国の長剣>シルヴィス侯爵家の傍系で、アルトは<王国の薬杯>フォルス伯爵家の支援を得てアイシアン王立大学に通っている。
目には見えない背景をセイランは素早く読み取った。
「何事ですか?」
よく通る声で仲裁に入る。
指導代表生の登場に、周囲からは安堵したような声が漏れた。
ケイビンが振り向くと、セイランに上擦った声で説明した。
「こいつが、俺の――私のペンを盗んだんだ!」
「盗んでない」
アルトが冷たく否定する。
ケイビンのペン。
おそらく、いつも彼が使っている羽ペンだ。
白鳥の羽で作られているので目を引いていた。
セイランは考える。羽軸に確か金細工があった。ならば、家紋が刻まれていたのではないかと。
――そのような物を盗むでしょうか?
自分で使ったり、売ったりすることはまずできない。
ならば嫌がらせで捨てるぐらいだ。
けれど、そんなことが大学にばれでもしたら、即座に退学である。平民であるアルトがそこまでの危険を犯すとは思えなかった。
――それほど愚かな人でもありません。
彼はセイランやルーカディアスに続く秀才だった。
聞いた内容はすぐに覚え、講義でも間違った返答をしたことは一度もなかった。
――生活に苦労している様子もありませんでした。
通常、平民が大学に通うには入学試験で上位の成績を修め、奨学金を保証してもらわなくてはならない。
アルトも奨学金を支給してもらっていたが、それに加え<王国の薬杯>であるフォルス伯爵家から生活の支援を受けていた。そのおかげで他の平民の学生より勉強に専念できているのだ。
彼が羽ペンを盗むという話には無理がある――というより、ねじ曲げられた筋書きをセイランは感じとった。
セイランはケイビンに向き合うと、落ち着いた声で尋ねた。
「リバーさんが盗んだという証拠はあるのですか?」
「こいつは平民だ! 他に誰がいる?」
ケイビンの口調は実に相手を馬鹿にしたものだった。貴族がほとんどを占めるこの大学で、自分が優位に立っていると思っているのだ。
実際、平民の学生はごく僅かだ。セイランの同級生だとアルトを入れても三人しかおらず、彼らは常に肩身の狭い思いをしていた。
「――それはとても主観的な証拠ですね」
セイランはケイビンの言葉を切り捨てた。
居合わせた学生たちには部屋の温度が急に下がったように感じられた。
あの優しい声色で話す少女から発せられたとはとても信じられないと誰もが思った。
あまりにも冷たい言い方に、息を飲む音すら立てることを躊躇った。
「その……教えてもらったんだ……。こいつが――彼が盗むのを見たと……」
セイランの圧に負け、ケイビンは辿々しい口調で答えた。自分よりも背の低い少女を前に、一歩後退してしまっていた。
「その方は誰です?」
「えっと……」
ケイビンが教室を見回した。女子学生ではなく男子学生の顔を一人一人見ている。けれど当てはまる人物がいないのか、焦ったような表情を浮かべ始める。
「この中にはいないみたいだ……」
教室には再び重い沈黙が訪れる。
皆の視線は責めるようにケイビンに向いていた。誰かもわからない学生の言葉を鵜呑みにして、相手の言うこともよく聞かずに怒鳴り散らかしてしまった短気な少年に。
「リバーさん、あなたは盗んでらっしゃらないですよね?」
「もちろん」
アルトは筆入れの蓋を開け、中身をセイランに見せた。貴族が使う高級なペンは一本も入っていない。
「きちんと用意してもらっている」
見栄えなどどうでもいい、飾り気などない実用品ばかりだった。
「――すまなかった」
意外にも、すんなりとケイビンは頭を下げた。
まだ証人が嘘を吐いていたかどうか判明したわけではなかった。
けれど、話しているうちに冷静になったのだ。
「あれは入学祝いにもらった大切なペンで、ついつい頭に血が上ってしまった。
だが、今思えばあの証人は怪しかった」
「いいのか? もう少し確認しなくて」
「いや、ここにいないのが答えだろう」
どちらにしても卑怯な人間だとケイビンは思った。
しかし、まんまと乗せられた自分はそれ以上に駄目な男なのだと理解した。
「騒いでしまって皆も悪かった」
教室にいる一同に向かって、ケイビンは再び頭を下げた。
その姿はどこか騎士然としており、それがかえって彼の評価を上げることとなった。
「助かった、クラシェイドさん」
アルトが小さく頭を下げる。
セイランより小柄な彼は、確かルーカディアスと同じ十四歳のはずだ。
ここに立つまでにどれほどの苦労をしただろうか。それは貴族であるセイランにはわからない。
「いいんです」
セイランがにこりと微笑むと、ようやく教室の空気は緩むのだった。




