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第一王子と不遜な公子

「ナザリウス第一王子殿下にご挨拶申し上げます」


 金髪の青年に向かって、セイランは重々しく頭を下げた。彼はルーカディアスによく似た顔立ちをしていたが、一切の微笑みはない。

 第一王子・ナザリウスは階段の踊り場の出窓に軽く腰を掛け、腕を組んでいた。少し離れた場所でウェンセムも壁を背にし、同じように腕を組んだ。

 ナザリウスに取り次いでくれと頼むと、意外にもウェンセムはすぐさまここにセイランを呼び付けた。彼女は初めてウェンセムに感謝した。

 頭を下げるセイランに向かって、ナザリウスは抑揚のない声を投げかけた。


「ルーカディアスに声をかけられたそうだな?」

「はい」

「お前がクラシェイドと知っていながら、弟がすまなかった」

「いえ、光栄なことですわ」


 セイランの父であるケオニールが持つ<王国の天秤>の果たすべき義務は王国の"均衡"である。その娘であるセイランも、この大学で"均衡"を図るように求められていた。

 現在、この大学には王国の二人の王子、ナザリウスとルーカディアスが在籍している。彼らやその取り巻きが学内の秩序を乱さないよう注視せよ、とセイランはケオニールから言われていた。

 また、彼ら王子の配偶者問題も控えている。特にナザリウスだ。彼は通常より一年ほど早く入学しており、実はセイランと同い歳の十六だ。卒業後、十八になれば王国では結婚することが可能なのだ。


「交友関係も大変だろうに」

「皆さん、仲良くしてくださいますから大丈夫ですよ」


 大学にはナザリウスと同い歳で、セイランと同級生にあたる五大貴族の令嬢が在籍していた。

 令嬢はセイランを抜いて三人。<王国の薬杯>フォルス伯爵令嬢フラウラ、<王国の長剣>シルヴィス侯爵令嬢ユライア、そして<王国の車輪>アレシオン公爵令嬢マーティアである。

 それぞれの家門は、彼女たちをナザリウスの王妃にさせようと画策していると考えられていた。

 そのため、彼女たちが衝突しないよう調整するのもセイランの役目であった。まだ入学したばかりで接点はあまりないが、今のところそれほど悪い感触はない。<王国の天秤>という中立的な立場が信用を得たようで、セイランは彼女たちから声をかけられていた。


「そう言えば、マーティアさんだけは多くの方とお話しされていらっしゃいますね」


 マーティアはウェンセムの妹だ。宿敵である令嬢同士で交流など持とうとしない中、彼女だけは明るい笑顔で挨拶をしていた。


「ああ、あれはちょっとずれていてね」


 ウェンセムは組んでいた腕を解くと、今度は左手で軽く頬に触れ、右手で肘を支えるように押さえた。


「向こう見ずというか、自由気ままというか……」

「なんだそれは?」


 将来の妃候補にナザリウスは怪訝な顔をする。


「あんまり王妃には向かないと思うね」

「アレシオン先輩!」


 セイランは思わず嗜める。

 いくらウェンセムにとっては実の妹になるとはいえ、結婚相手を決めるのは彼ではない。ここで、しかも王子の前で気軽に口にして良いことではなかった。


 ――こういうところが嫌なのよ。


 マーティアを想っての発言なのかもしれない。あるいは父親や貴族社会に対する反発か。どちらにせよ、己の中で留めておくべきなのだ。


「私の一存で決まるわけでもないのだがな」


 ナザリウスが皮肉混じりの口調で言った。事実、王子の結婚相手を決めるのは王室や重臣たちである。恋愛結婚などごく稀だった。それでも、ナザリウスの父・ラウドニウドと母・サーシャは、たまに目を背けたくなるほど仲睦まじかった。


「まぁ、そんなことはどうでもいい」


 ナザリウスが言うように、こんな踊り場でするような話ではないのだ。

 セイランも頷く。


「とにかく、ルーカディアスのことは適当にあしらってくれ」


 けれど、王子相手にそんなことはできるだろうか。

 セイランは少し困った顔を作る。


「ルーカディアス第二王子殿下はナザリウス第一王子殿下のお役に立ちたいと……」

「まさか信じたわけじゃないよねぇ?」


 ウェンセムが乾いた笑いを漏らす。人を馬鹿にしたような、あの鼻に付く笑い方だ。


「ルーカディアス第二王子殿下の言葉を疑うなど不敬です!」

「いや、でもさぁ?」


 内心ではセイランも信じていないことが明白だった。けれど、それを表立って明らかにしてはならないのだ。


「そのくらいにしておけ、ウェンス」


 ナザリウスもわずかに口角を持ち上げていた。

 いつもどこか刺々しい色をしている瞳が、今はなんだか生暖かい視線を送っているように感じられる。


「気を付けてくれ」

「わかっております」


 セイランは背筋を伸ばして頭を下げた。

 けれど、その生真面目な態度が余計に二人を心配にさせた。


「ああ、それと」


 ナザリウスはセイランのつむじを見ながら続ける。


「ロゼスタ・フォルスにも気を付けてくれ」

「フォルス先輩ですか? なぜでしょう? 優しい方でしたよ」


 セイランの言葉に、ナザリウスはやれやれと天を仰ぐ。そのまま、壁にもたれかかったウェンセムに咎めるような視線を向けた。


「もう探りを入れられたのか」

「入学式の後にね」


 ウェンセムが笑いながら答えたため、ナザリウスはどこか諦めたような表情を浮かべた。


「いたならどうにかしろ、ウェンス」


 セイランは目を丸くする。

 図書室で声をかけられたのは、二人がうるさかったからではないのか。

 ちらりとウェンセムに目を遣る。

 軽薄そうな顔のまま、ウェンセムはセイランに説明した。


「セイラン・クラシェイドがどんな人物か確認しに来たのさ。

 堂々としすぎてわからなかっただろう?」

「でも、たいしたお話は何も……」

「それだけでも情報を得られるらしい。そうだったよね、ナザル?」


 ああ、とナザリウスは指を顎に当てながら答える。何か別のことを思案しながら。


「やけに手が早いことだけが気がかりだが……」


 大学にいたらどの道出会うことになるのだ。仕方のないことだと彼は言う。


「直接何かしてくるわけではないと思うが用心してくれ」

「わかりました」


 セイランはぎゅっと拳を握る。その手はただ、虚しく空を掴むだけだった。


 ――私は今、残念だと思っているのでしょうか……?


 楽しむために大学に来たつもりではなかった。けれど、やはりどこか期待していたのだ。皆が同じように学問を志す姿を。


 ――それでも、やるべきことは決まってます。


 セイランは下げていた頭を持ち上げ、ナザリウスに向き合った。その澄んだ紫色の瞳は、臆することなく彼を見据える。


「"均衡"を保てるよう尽力いたしますわ」


 内にある想いなどおくびにも出さず、少女はにっこりと微笑んで見せるのだった。

 なぜなら彼女は、クラシェイドなのだから。

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