第二王子の秘密
その後、図書室でロゼスタと別れると、何冊かの本を手に取り、セイランは校舎の中庭で読書を始めた。
今日はもう、一年生は帰るだけだったので自由に過ごせるのだ。
「ご機嫌よう、セイラン・クラシェイドさん」
木陰にいたセイランに声がかかる。彼女よりも背の低い少年だ。
天使の彫像のような美しい顔に、すらりと伸びる細い手足。艶のある金髪には朱が混じり、日の光を反射してきらきらと輝いている。
彼を見るや否や、セイランは本を閉じ、すっと頭を下げた。
「これはルーカディアス第二王子殿下。ご機嫌麗しく」
第二王子・ルーカディアス。
一般的に十六歳で受験する王立大学の入試を、わずか十四歳で突破した秀才だ。セイランがいなければ彼が首席入学だったことは間違いない。
背後には同じくらいの身長をした少年が一人、影のように立っていた。顔立ちは驚くほど整っており、ルーカディアスと並んでも、何ら見劣りしなかった。
「読書中にすまない。
入学式でのあなたの挨拶があまりにも素晴らしかったから、つい声をかけてしまった」
顔に似合う愛らしい声だとセイランは思った。
まだ幼い少年とは言え、それでも少し高く感じられた。
「光栄でございます」
「ああ、そんなに畏まらないでくれ。これから同じ教室で学ぶ同級生なのだから」
微笑む顔も天使の彫像のようだった。
けれど少し寒々とした印象を受けるのは、それが完璧すぎる表情だからだろうか。
セイランを見つめる瞳にも、髪と同じく金の中に朱が混じり、複雑な色合いをしている。
「少しいいかな?」
「はい、もちろんです」
ルーカディアスはセイランの隣に腰を下ろした。
後ろの少年は立ったまま、無言で側に控え続ける。
「勉強はどこで? やはり父君から?」
「はい。経済などは知り合いから学びましたが、多くは父から指導を受けました」
「素晴らしいことだ。大変ではなかったかい?」
「いえ、学ぶことは好きですので……」
セイランは鼻に付かないよう、謙虚な気持ちを込めてそう言った。
彼女のその想いが伝わったのか、ルーカディアスも表情を和らげる。
「好きな分野は何かな? やはり法学?」
「ええ、そうですね」
クラシェイドは法曹の一族だ。
ケオニールも裁判官の仕事を兼任している。セイランが法学に興味を持つのも必然であった。
ルーカディアスは柔和に微笑みながら、セイランに提案を持ちかける。
「私も法学に興味があるんだ。
嫌でなければ同じ講義を受けてもかまわないだろうか?」
「まあ、よろしいのですか?」
王立大学はそれぞれの興味によって選択できる講義がいくつかある。
セイランは法学系の講義を主軸に選択しようと考えていた。
「では、この講義と……」
講義の一覧が掲載された紙を見せながら、ルーカディアスはいくつかを示す。
それは全てセイランが受けようと思っていた講義だった。
「ええ、私もそのつもりでしたわ」
もちろん、法学に興味があれば受ける講義が重なるのは当然である。
けれど一年生の段階でここまで絞っている学生に出会うとは思わなかったのだ。
「不思議そうな顔をしているね」
ふふっとルーカディアスは笑った。
王子が法学に興味を絞っているのは、セイランが感じているように珍しいことなのだ。
彼らはそれほどまでに、様々な知識を求められる。
歴史・哲学・経済・修辞・文学・算術・医学、そして、もちろん法学も重要な知識だ。
「法学には特に力を入れたいんだ。――兄上のお役に立つために」
ルーカディアスは空を見上げ、片手を上げた。まるで、日中の月を掴もうとするかのように。
「第二王子殿下……」
ルーカディアスと兄であるナザリウスの仲は、はっきり言うと険悪だった。王位継承を巡って争っているのだ。
これに関しては、ルーカディアスの方が劣勢だった。
エルドガール王国の王太子が誰になるかは、まず五大貴族による選王会議で話し合われる。ここで選ばれた王子が、<王国の天秤>に承認されることによって確定する。基本的には生まれた順番が重視されるので、選王会議で選ばれるのもナザリウスである可能性が高い。
そしてまた、彼の出自にも問題があった。
ルーカディアスの母、メリオールは隣国・メザーニャ王国の王女だった。十数年前、セイランの暮らすエルドガール王国はメザーニャ王国と戦争をしていた。
ルーカディアスは元敵国の血を引く王子であるため、エルドガール王国内で反感を抱く者が少なくない。けれど、そんなことは彼自身が一番よくわかっているのだろう。
伸ばしていた手をルーカディアスはぎゅっと握りしめた。
「玉座も王冠も兄上にこそ相応しい」
「――ルーカディアス第二王子殿下!」
セイランはルーカディアスを嗜めながら、周囲に誰もいないか見回した。
「だからどうか」
ルーカディアスはセイランを寂しそうに見つめた。
「たまにでいい。側にいてくれないか?」
セイランはその時なんと答えたのか。
その場にいた三人だけが知っていた。
◇
「――というわけで、今日は首席の女の子と話をしてきたよ、アス」
床に座り、ベッドに背中をもたれかけ、"彼"に"彼女"は語りかける。
「君が誰かに興味を持つなんて珍しいね、ルカ」
ベッドの"彼"は青白い顔をしていた。
一目見れば病人であることがわかる。
"彼"がやつれてさえいなければ、二人は鏡に映したかのようにそっくりだった。
「とても美しい声をしている女性だ。きっと君も気に入るよ、アス」
体の弱い双子の弟の代わりに、姉が表に出て王子の振りをする。――それが第二王子の秘密だ。姉の存在は抹消され、ただルーカディアスの名前一つがあるだけだった。
だから、二人の時はルカとアス。そう呼ぶことにしていた。
「同じ講義を受けることにした。いつかアスも行ってみるといい」
「行けるかな」
「たまになら大丈夫さ。ロッシュも付いてる」
「もっと体が強ければなぁ……」
そう言って軽く咳をこぼす。
アスの肩をさすってやりながら、ルカは少し意地悪そうな表情をして囁いた。
「あれだけ話したんだ。――彼女、少しは心を開いたんじゃないかな?」
その言葉に、アスはくすりと笑う。
「どうかな?」
彼は手書きの本を取り出し、ルカの前に広げる。
書きなぐられた文字を指で辿りながら、凛とした声で語りかける。
「僕は知識でしか知らないけど、<王国の天秤>という特権の役割は王国の"均衡"らしい。
彼女が伯爵令嬢でありながらその志を持つのならば、簡単には靡かないんじゃないかな?」
「へぇ」
アスの言葉にルカは意外そうな声を上げる。
自分が誘惑して引き込めなかった同年代の女性など、今までいなかったのだ。
そのくらい容姿にも所作にも自信があった。
――明日になればわかることだ。
きっとあちらから声をかけてくるだろう。
そう思ったルカであった。
けれど翌日、その予想は裏切られることとなる。
セイランは階段の踊り場で、アレシオン公子・ウェンセムとともに、第一王子・ナザリウスと会話を交わしていたからだ。
まるで、前日に第二王子と話をした帳尻を合わせるかのように。
ルカは、ルーカディアスは唇を噛んだ。けれどその唇から血が流れ出る前に力を抜き、代わりに微笑んだ。
――まあ、いいさ。
釣り合いの取れた天秤。
――いつかこちらに傾ければいい。
心の中でそう決意して。




