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二つの指輪

 窓から差し込む光がベッドを照らす。

 寝巻き姿の少女は、はにかんだように笑った。


「お騒がせしました、ゼナイ」


 ライカの目の下には深い隈があり、頬はすっかりこけていた。それでも明るい表情を浮かべて、赤い髪の青年を見上げた。


「無事で良かった」


 ゼナイは髪と同じ赤い目を細めた。

 謁見の間で倒れた後、しばらくライカは生死の境を彷徨った。無理が祟ったせいだ。


「フォルス伯爵がいなければ、助からなかったでしょう」


 銀杯を飲んだ後も、ナザリウスの謁見の後も、二度にわたってライカの治療をロゼスタは行った。

 白砒は対応が遅れればまず助からない毒だ。だが、彼は即座に駆け寄り、医者としての義務を果たした。


――フォルスを疑っていた時もあったけど……。


 偽物の銀杯を渡したのはルーカディアスであり、ロゼスタはライカを粛清する気などなかった。


「どうやら、私は以前に別の毒を飲んだことがあったようです」


 祖父の日記を思い出す。ケオニールは詳細を記してはいなかったが、今なら書かれていないことも読み取れた。


「幼い頃、私はよく寝込んでいました。

 それは決まって、祖父からこっそりぶどうのジュースをもらった後でした」


 ケオニールはジュースの中に、ごく微量だが毒を入れていたのだ。感冒にしては治りが遅かったため、セイランとロウザは首を傾げていた。


「もし、先代国王陛下の時のように私が毒を飲まされるようなことがあれば、症状を鈍らせられるようにと――少なくとも、祖父はそう考えていたのでしょうね」


 ケオニールは、どんな思いで孫に毒を飲ませていたのだろうか。体調を崩すライカを見て、彼は幾度も自分を責めたはずだ。

 結局、祖父は亡くなり、ライカは毒に対する耐性がつかなかった。


「祖父の行為は法に背くことです。

 ですが、私を助けようとしたその思いは間違っていたのでしょうか?」


 ライカは窓の外を見た。

 冬の寒さなど忘れたような、光に包まれた温かな景色が広がっていた。


「……ネイゼン第二王子殿下の生誕祭の夜、礼拝堂に置かれていた偽物の銀杯。

 あれを回収したのはゼナイですね?」


 ライカは顔を外に向けたまま、青年に尋ねた。


「ああ」


 ゼナイは短く答えた。

 ライカは視線を窓の外の景色に彷徨わせ、何かを言おうとしては口を閉じる。わからなかった。助けてくれたことに礼を言って良いのか、真実を隠されたことに怒って良いのか。


「すまなかった」


 そんな少女にゼナイは謝罪した。


「偽物だと直感した。だから、咄嗟に隠してしまったんだ」


 ゼナイの判断は正しかった。もし、あの礼拝堂に銀杯があることが露見していたら、ライカはすぐさま立場を失っていただろう。


「……ありがとうございました。

 ――銀杯の件だけでなく、その他のことも」


 少し迷った後、ライカはゼナイに向き直り、頭を下げた。

 彼がいなければ、変わることも、決断することもできなかったからだ。

 ゼナイは再び目を細め、そして小さく息を吐いた。


「礼を言うのはこちらの方だ。王国のために感謝する」


 王国のため。

 彼の言葉を頭の中で繰り返す。


――ようやく、<王国の天秤>として役目を果たせたのかな。


 ルーカディアスを法の下に置く。

 ライカの命をかけたその行為は、ルーカディアスに対する和解の拒絶であり、けれどしかし、法を通した繋がりの維持でもあった。


「ところで……」


 ゼナイは思い出したように首を捻った。


「結局、俺とルーカディアスの配下との戦いを止めたのは誰だったんだ?」


 二人の間に突き立てられた細くガードのない剣。

 その武器を放ったのが何者なのか、ゼナイには全くの心当たりがなかった。けれど、ライカは違った。その人物を心に浮かべ、気まずそうに俯いた。


「どうやらクラシェイドの人間だったみたいで……」


 もちろん、何者なのか明かされたわけではない。けれど、なんとなくわかってしまった。

 ルーフ・シェリス宝石店にライカが一人で赴いた際も、本当は密かに護衛がついていたのだ。強盗たちがライカの命を取らないと察し、表に出ることはなかったが。

 複雑そうな顔をし始めたライカに、ゼナイは話を逸らすように言った。


「お前の体が良くなったら、ようやく選王会議も開ける。これからだな」

「はい」


 そう、これから。

 ライカが<王国の天秤>として責務を果たせるのは、これからなのだ。

 少女の瞳は曇りなく透き通り、これから訪れる日々に期待を寄せて輝いていた。





 ◇





「すみません、ライカ」


 深緑の髪を掻き上げながら、カティスは申し訳なさそうに謝った。今日も頭に蝶の髪飾りを着けている。


「わざわざ付き合っていただいて」

「いいんですよ、カティス」


 二人はルーフ・シェリス宝石店に訪れていた。

 ユイレンの生誕祭の夜、ライカと交換した指輪が銀杯の毒に浸かってしまったせいだ。カティスは酷く残念がり、代わりとして別の指輪を交換することにしたのだ。


「まあ、相変わらず綺麗ですこと」


 店の中は様々な色の宝石が並んでいた。

 それらが放つ輝きを見て、ライカはラカート宮殿にあるステンドグラスの礼拝堂を思い出していた。

 月光に照らされ、ステンドグラスを透過した光は、水面のように揺れていた。

 儚くも美しいあの輝き。

 そこに差した何よりも鮮烈な赤。


――本当に綺麗……。


 赤いルビーを見つめ、ライカは目を細めた。


「ようこそ、おいでくださいました」


 店長のイロスが深々と頭を下げる。二人はすぐに、奥の部屋へと通された。


「こちらがアレシオン……公女様がデザインされた指輪でございます」


 イロスは少し言い淀む。

 それも無理のないことだった。

 ユイレンの生誕祭は数日後に再び開催され、その時にカティスはナザリウスの娘だと公表があった。成人するまでは公女として扱うことが決定している。イロスは、そんな彼女をどう扱って良いか戸惑っているのだ。


「まぁ、素敵ですわ……!」


 イロスが差し出した台の上には二つの指輪が並んでいた。紫と緑の宝石がそれぞれ埋まっている。


「アメジストを私が、エメラルドをライカが持っておくということにしましょう」

「エメラルドが私ですか?」


 ライカは驚いて確認してしまった。

 エメラルドは高価な宝石だ。バーマン・セングがライカを暗殺する報酬に、フリードから渡されたぐらいだ。

 交換するとしたら値段に差が出てしまう。


「安心してください。

 私、こう見えても鉱山を所有しているのです。

 父が勉強のためにと。それが上手くいってまして……」

「それはなんというか、やはり商才があるんですね……」


 照れるカティスを、ライカは呆然とした目で見つめる。あのウェンセムが優しく手解きなどするわけがない。きっと全てカティスの手腕なのだ。


「それでは、ライカ」


 カティスはアメジストの指輪を指で掴んだ。

 ライカは頷くと、エメラルドの指輪を親指と人差し指で挟む。

 それぞれの左手に指輪が同時に置かれた。


「ありがとうございます、ライカ」

「こちらこそ、ありがとうございます、カティス」


 二人は人差し指に指輪をはめる。少しの間違いもなく、指輪はぴったり指に収まった。


「本当はお祭の時もこの色にしたかったのですが、気持ちが重たすぎる気がして……」

「そうだったんですね」


 友人同士の距離感というものはライカもよくわからないが、それはカティスも同じで、慎重になってしまったのだろう。その気持ちが痛いほど伝わった。


「その心がけは素晴らしいと思います。

 ですが、私にはその必要はありません。

 何故なら、カティスは私にとって大事な友人だからです。

 そんな些細なことでは揺るがない、かけがえのない関係であるはずです」


 その言葉にカティスは目に涙をうっすらと浮かべると、嬉しそうに何度も何度も頷いた。


「ええ、そうです。私もそう思います。

 ライカは私の大事な友人です」


 そうして、新緑の森に差し込む朝日のような、鮮やかな笑顔をライカに向ける。

 あまりの眩しさに眩暈を覚えそうになったこともあった。今となっては遠い昔の出来事のようだ。ライカは懐かしい気持ちに浸る。


「せっかくなので、もう少し街を回りませんか?」


 カティスの手がライカの腕を掴む。

 服越しに伝わるのは諦めていたはずの温もりだ。以前の彼女はどれだけ孤独だったか。


「ええ、そうしましょう」


 めいっぱいの笑顔でライカは応えた。


――赤、青、緑……。


 ライカは目で宝石を追った。


 人々は様々な輝きを揺らめかせ、色を織りなしながら繋がっている。

 ライカもその一片だ。

 例え罪を背負おうとも、繋がりがある限り、欠くべきではない。

 そのことを伝えるために。


――ああ、きっと今も。


 今もどこかで木槌は鳴っている。

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