玉座の前
謁見の間の扉は固く閉ざされていた。
両端には衛兵が並び、ライカたちをぎろりと睨んだ。何者であろうと許可なくば、彼らは決して通さない。
――幾度訪れても、開くことはなかった扉だ。
ナザリウスはそれ程までにライカを拒否し、選王会議を受け入れなかった。
軋む音が鳴る。
その重い扉が内側からゆっくりと開いた。
「ナザリウス国王陛下のご許可が下りた。
中に入れ、ライカネル」
リーディスが複雑そうな表情でそう告げた。
ライカは青白い顔を上げると、ふらふらとした足取りで前へと進む。
赤い絨毯が真っ直ぐに伸びている。
それは、大きな椅子へと続いていた。
装飾の施された豪華な椅子に座るのは、この王国で最も尊いとされる男だ。
隣にはゼナイが控えている。彼はどこか咎めているような目でライカを見た。
しかし、今は会話を交わす時ではない。ライカはナザリウスの前まで歩み寄ると、膝をつき、頭を下げた。
「そんな顔で何の用だ、ライカネル・クラシェイド」
感情を排した声で国王は尋ねた。熱のないその声に身がすくみ、ライカは思わず体を震わせた。
ゆっくりと息を吸い、胸の鼓動を落ち着かせる。やがて意を決すると、ライカは口を開いた。
「謝罪を申し上げに参りました」
部屋に控えていた男たちから驚くような声が漏れる。皆、彼女が選王会議について進言するのだと思っていたからだ。
「私が間違っておりました、ナザリウス国王陛下」
顔を伏せたまま、ライカは己の罪を告白する。
「先にナザリウス国王陛下と信頼を築くべきでしたのに、私は選王会議を開くことばかり考えておりました」
ライカが仕えるべき人はナザリウスである。しかし、彼を差し置いて、まだ決まってもいない次期国王へと意識が向いていた。それは臣下として、忠誠心を疑われても仕方のない行為だ。
「どのような処遇も受け入れます」
クラシェイド伯爵を廃されても仕方のない罪だと思った。ゼナイが一歩前に出る気配が耳に伝わる。
ナザリウスは手で彼を制すと、ライカに淡々とした声で告げる。
「お前が間違ったのは二つだ」
黄金の目がライカを見下ろしている。ルーカディアスとよく似たその目は、けれど歪な色はない。
「私を国王として敬えなかったこと。そして……」
決して詰まることのない明瞭な口調。それは、国王としての務めだ。ナザリウスは静かに続ける。
「自ら死を選んだことだ」
謁見の間に彼の声が重々しく響いた。
ライカは伏せた顔を青くし、その言葉をただ反芻する。
「私は自分の臣下に、自ら死ぬような選択は許していない。――面を上げろ」
ライカは躊躇うように、おずおずと顔を上げた。椅子に視線を向けると、そこに座っているはずの主人は、いつの間にか立ち上がり、一歩だけ前へと踏み出していた。
「王国のために、正義のために命をかけ、ルーカディアスを捕らえようとしたお前の決断は評価しよう。
だが二度と、私の臣下として命を投げ出すことは許さぬ」
黄金の目にはやはり感情はなかったが、それでも深く透き通っていた。そこに映るのはただ、ライカ一人。
「お前にもやり遂げたいことがあったはずだ。
――わかったな、ライカネル?」
それは間違いなく王命である。
二つの目がそう言っていた。
「御意に……!」
ライカは深く頭を下げた。
――待っていてくださったんだ……。
無能と切り捨てることもできたはずだった。それでも彼はライカが気づくことを信じ、臣下として受け入れるつもりでいた。
ライカの目に涙が浮かぶ。
溢れ落ちないよう、そっと拭った。
――今は泣いている時じゃない。
まだ、言わなくてはならないことがある。
ライカはナザリウスを見上げた。
「カティス……」
「カティス・アレシオンのことだが」
しかし、ライカの言葉を遮るように、ナザリウスは少女の名を口にした。
「マーティアとの間にできた私の娘と認めよう」
謁見の間に、息を飲む音が響く。
ライカですら驚いたような表情を浮かべ、ナザリウスを見上げた。
彼は知っていたのだ。
自分の第三妃が娘を身籠っており、王宮を追放された後に出産したことを。その娘をウェンセムが養女にしたことを。
驚く周囲の目など気にすることなく、ナザリウスは当然のように言い切った。
「選王会議の候補に加えると良い」
それは、選王会議開催の許可だった。
ライカの目が見開かれ、時が止まったように呼吸を忘れる。
ナザリウスはそんな彼女の近くまで歩み寄ると、何も言わずに横切った。
すれ違う時、ライカはもう一度、深く頭を下げた。
彼は何も言うことなく、黙って歩き去る。
リーディスがその後ろに従った。
「……」
ナザリウスが部屋を出ると、ライカは手を床についた。
肩を激しく上下に揺らす。
「ライカネル……?」
ゼナイがすぐさま駆け寄った。
顔は死人のように青ざめ、来た時よりもはるかに容態が悪化していることがわかった。
――私はやり遂げたんだ。
ライカは笑った。
安堵のあまり。
これで本当に全てが終わったのだと思った。
カティスがナザリウスに娘として認められたということは、ウェンセムが彼女を女王にするために強引な手段を用いる可能性が減ったということだ。
彼ならカティスを玉座に就けるために、どんな非情な方法でもとることができる。カティス自身が望まなくとも、それが本人のためだと。
一人の少女の参入により、王位継承問題は混迷を迎えただろう。ライカは起こり得た不和を回避することができたのだ。
――公爵が私に選択を委ねてくれただけだけど……。
ナザリウスに会うと言った時、ウェンセムだけは止めなかった。彼の考えは読めないが、完全なる敵というわけではなかった。
――後はもう……。
力が抜け、ゼナイの腕の中に倒れ込む。
視界に天井が映る。
シャンデリアの灯りがゆらゆらと揺らめいていた。
「まだ死ぬな」
ゼナイが肩を強く抱き、ライカの耳元で語りかける。
「お前がルーカディアスを裁くんだ」
もうゼナイの赤い目は見えなかった。けれど、その声だけが耳に響く。
「ゼナイ……」
声が聞こえた方にライカは手を伸ばす。指がゼナイの頬に触れ、柔らかな温もりが伝わった。
「あなたの……言う通りです……」
閉じた瞼の裏にある瞳には、希望の光が宿っていた。まだ生きていたいと思えたからだ。
「私が……この国の……」
しかし、手は糸が切れたように下へと落ち、床を叩いた。虚しい音が部屋に響く。
――<王国の天秤>だから……。
少女の名を叫ぶ声。
しかし、返事はなかった。




