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望みある道

 閉じた視界は真っ暗で、何も映さない。


――苦しい……。


 暗闇の中、仰向けに横たわっていた。

 肩を大きく揺らしながら、激しく呼吸をしているのが自分でもわかる。

 けれど、どれだけ荒く息の音を立てようとも、何ひとつ聞こえはしなかった。

 口には金属のような不快な味が広がり、指先は細かく震えている。

 喉は焼けつくように爛れ、胃や腹を重く鈍い痛みがじりじりと苛んだ。

 意識はいつの間にか途切れ、取り戻したかと思うと再び暗闇に手放した。それを幾度繰り返しただろう。

 無音だった世界に、誰かの声が聞こえ始めた。

 それは青年の怒鳴り声。


「どうしてあんたがいながら、こんなことになったんだ!」


 <王国の甲冑>リーディス・ヴェインの声だった。


「できるだけの処置はしました」


 ゆっくりと、しかしどこか淡々と告げるのは<王国の薬杯>ロゼスタ・フォルス。責められてなお、その口調に焦りはない。


「あの場に駆けつけなかった君が言うことかね?」


 そう嘲笑うのは<王国の車輪>ウェンセム・アレシオン。彼の声はどこか冷めていた。

 少女は――ライカはゆっくりと瞼を持ち上げた。

 ぼんやりと照らす灯り。

 その眩しさに思わず目を瞑る。再び開いた時、三人は彼女が目覚めたことに気がついた。


「起きたのか、ライカネル!」


 リーディスは怒りを引っ込め笑顔になると、ライカが横たわっているベッドの側まで駆け寄った。

 どこか知らない部屋にいた。窓ひとつない薄暗い場所だ。


「私……」


 声を出そうとしたが途中で止まる。呼吸が荒く、言葉が上手く口にできなかったからだ。


「無理に起き上がらないでください。

 毒を飲んだのです。覚えてますか?」


 ロゼスタの問いに、ライカはベッドに横たわったまま、首を小さく動かし頷いた。


「王弟……殿下は……?」

「ゼナイが捕らえた。もう大丈夫だからな」


 リーディスが安心させるようにわしわしと頭を撫でる。彼がここにいるのだ。ルーカディアスの件は終わったということだ。


「やれやれ、私の娘は倒れてしまったというのに」


 ウェンセムが長いため息を吐いた。その言葉に、ライカは痛みも忘れ、上半身を起こした。


「カティスが……倒れたのですか……?」

「無理をしたせいだ。――伯爵を助けるためにね」


 ウェンセムの深緑の瞳。それは、友人と同じ色をしていた。

 ライカは掠れる声でウェンセムに尋ねた。


「カティスは……あなたとどういう関係なのです……?」


 たまたま出会った少女を養子にしたという単純な話ではないはずだ。二人の間には特別な繋がりがあるようにライカには思えた。

 ウェンセムは少しだけ考え込む素振りを見せる。その間、ライカは喉の痛みを感じていた。


「……薄々わかっていると思うけど、私とカティスは血が繋がっていてね」


 彼はかつかつと靴音を響かせながら、ライカの元へと近づいた。


「伯父と姪――それが私たちの関係だ」


 彼の答えに驚いたのは、結局、この場ではライカだけだった。他の二人は静かに見守っている。


「では……お母様は……」

「マーティア・アレシオン。ナザリウスの元第三妃だ」


 ベッドの近くにある椅子に座ると、ウェンセムは昔話をするようにゆったりとした口調で語る。


「ルーカディアスとの醜聞により、マーティアは王宮を去ることとなった。

 その後、ひっそりと産んだ赤子がカティスだ。

 マーティアはフォルスにも解明できない病で死んでしまったが」


 ライカはその話を聞き、ようやく理解した。

 ウェンセムがカティスを養女に迎えた理由を。


「妹は顔が青白くなり、人形のようだった。

 物をよく落とし、手に力が入らなくなったと言っていた。

 どうも、王宮で毒を飲まされたみたいでね」

「まさか、カティスは……」

「その時すでに、腹にいたんだよ」


 淡々と告げられるのは、確かな怒りを含んだ言葉。それも当然だろう。カティスは体が弱いのだ。毒の影響がないとは言い切れない。


「それに……」

「もういいでしょう?」


 まだ会話を続けようとするウェンセムを、リーディスが慌てて止めに入る。


「何で今、そんな話をするんです?

 こいつは毒を飲んだばかりなんですよ?」

「骸になってからでは遅いだろう?」

「縁起でもないこと言わないでくださいよ」


 ライカは息が切れかけ、身体中に痛みがあった。しかし、そんな状態でも何かを思い出していた。


――どこかで……聞いたような……。


 紫の目がはっと見開かれる。

 祖父の日記に綴られていた文字が頭に浮き上がった。


「先代国王陛下と……」


 ライカは言いかけて口を止める。

 ひどい頭痛に襲われたからだ。


「ライカネル!?」

「大丈夫です……」


 ライカは手でこめかみを押さえながら、その痛みに耐えた。


「ラウドニウドがなんだ?」


 心配するリーディスを遮るように、ウェンセムはライカに続きを迫る。ライカは震える唇を動かし、声を絞り出した。


「すみません。まだ、わからないです……」


 ライカに言えるのはそれだけだった。今は答えられるほどの証拠が何ひとつなかったからだ。


――視界が狭い……。


 油断すると気を失いそうな痛みが体の内側を駆け巡る。そんな彼女を、深緑の瞳が余すことなく見つめていた。


「わからない、か」


 ウェンセムが向ける視線には、先ほどの怒りはなかった。ライカの心の中を見通そうとするかのように、鋭い目をして見下ろした。


「知らないわけではないのだな。

 ――ならば、聞かないでいてやろう」


 そう言うと、ウェンセムは視線を外す。

 すんなり引いたことに驚き、ライカは思わずウェンセムを見つめたが、彼はじっと椅子の上に座ったまま沈黙を続けた。


「クラシェイド伯爵……」


 入れ替わるように、ロゼスタが口を開く。

 瞼の奥から、銀色の瞳が覗いている。

 星のように煌めくその瞳でライカを捉え、何かを探ろうとしていた。


「何かご存知のようですが、どうしてその情報を取引に使わなかったのです?」


 彼には不思議なのだろう。どれだけ不確かな手がかりでも、王の医者であるロゼスタや、カティスの義理の父であるウェンセムが欲しがらないわけがない。それなのに、ライカが交渉材料に使おうとしないことが。


「カティスは大事な友人です。

 彼女を助けるために、フォルス伯爵とも、アレシオン公爵とも協力していきたいからです」


 ライカは額からこぼれる汗を拭うと、ロゼスタの銀色の目を見返した。

 体に溜まるという毒。

 もし、マーティアがその毒に侵されていたとしたら。

 それがどんな症状としてカティスに現れるのかわからなかった。マーティアと同じ道を辿ることになる可能性も十分ある。

 そんな彼女のために。


「私は考えたいのです。

 この先、カティスが望みある道を歩めるよう」


 ロゼスタはライカをその銀の瞳で見つめたまま、じっと佇む。

 その姿はまるで、孤独な少年のようだった。

 長い年月をそうやって寂しく過ごしてきたような、そんな深い悲しみを感じた。


「――良いでしょう。できる限りを尽くしてみます」


 やがて孤独な少年に見えた彼は、落ち着きのある大人の声でそう告げた。その顔には、いつもの柔らかな表情が浮かんでいる。


「望みある道、か……」


 ウェンセムが小さく呟く。


「ならばまだ、やるべきことがあるんじゃないかね?」


 彼の言葉にライカは頷き、ベッドから立ち上がろうとした。


「おい、まだ動くな!」


 慌ててリーディスが制止する。

 彼は汗に濡れたライカの体を受け止め、ベッドに戻そうとした。


「行かなくてはならないんです……」


 ライカは肩を大きく上下に揺らしながら、それでもリーディスの腕を振りほどこうともがく。


「医師として、こればかりは止めざるを得ません」


 ロゼスタもリーディスを支持した。


「毒を――白砒を飲んで助かったのが奇跡です。

 まだ、急変する可能性だってあるのです」


 その言葉に、リーディスの手の力がますます強くなる。ライカは首を左右に振った。


「ナザリウス国王陛下にお会いしなくてはならないのです……」

「陛下にだと?」


 リーディスが困惑した顔を返す。


「お前の謁見はなかなか通らないぞ。

 陛下が拒否なさっているから」

「それでも……!」


 ライカは震える声で懇願した。


「会ってお話ししなくてはならないのです……!」


 毒を飲んだライカは瀕死だ。呼吸は荒く、体の中は鈍い痛みがあり、眩暈と吐き気、そして激しい頭痛に襲われていた。


「会いたまえ」


 長い腕が伸び、ライカの細い手首を掴む。


「どうせ死ぬかもしれないのだ。――その前に」


 そう言って、ウェンセムがライカを引っ張った。

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