書かない。
【前回のあらすじ】
効率化の通達が届いた。応対の自動クローズ、旧マクロの一括削除、そしていちばん下に小さく、紙の受付の終了。中津さんの手紙が十年届いていた私書箱は、十月末で閉じる。佐保は意見フォームに一行も書けず、夜、名前の欄を空けたまま、ある人の取扱説明書を書きはじめた。
◇ ◇ ◇
決まったことの根拠は、決まったあとで検算する。
数字は、嘘をつく。正確に言えば、数字そのものは嘘をつかない。まとめた数字が、嘘をつく。平均、割合、見込み。数字を束ねる手つきの数だけ、嘘の型がある。決まる前の数字は、通したい人間の手でまとめられているからだ。
朝いちばんに、効率化の決裁書類の写しを机に置いた。三つの決定。応対の自動クローズ。ナレッジベースの刷新。それから、いちばん下に、紙の受付の終了。委託先のフロアには、もう通達が出ている。決まった話だ。決まった話の根拠を読むのは、趣味ではない。仕事だ。根拠の崩れた決定は、いつか必ず、数字の側から崩れる。崩れる場所を先に知っておくのが、お客様満足推進部という部署の仕事だと、少なくとも自分では、そう決めている。
根拠の表は、一枚だった。
柱は、平均処理時間。一件の応対を終えるまでにかかる時間の、フロア全体の平均のことだ。自動クローズを入れれば、返事のないまま開いている件が機械で閉じて、この平均が下がる。刷新で定型文を新しくすれば、探す時間が減って、また下がる。ただ、途中で切られた客の何割かは、納得していない。納得していない客は、また来る。いちど閉じた件が、また開く。再入電というやつだ。開けば、応対はもう一度、最初からやり直しになる。二度手間の分だけ、金がかかる。表の見込みの列には、下がった後の数字が並んでいた。きれいな表だった。きれいすぎる、と思った。
ノートを出した。会社の様式ではない、ただの私物のノートだ。様式に書けば、書いたものは様式の持ち主のものになる。ノートに書いたものは、書いた人間のものだ。検算は、いつもここでやる。
表の見込みの列を、端から端まで、二度見た。
再入電の列が、なかった。
平均処理時間は、下がる見込みが書いてある。下がった分の金額も書いてある。根拠に使われたのは、ダッシュボードの数字だ。ダッシュボード。フロアの数字を、列にして一枚の盤面に並べた画面のことで、毎月の検分で私が見ているのと同じものだ。同じ盤面から、都合のいい列だけが抜かれて、都合の悪い列が置き去りにされている。
ノートに、式を書いた。切られる件の数に、また開く割合を掛ける。掛けた分が、二度手間になって戻ってくる。割合の実数は、まだ誰にも分からない。分からないという事実ごと、書いておいた。見込みに欄のないものは、実績になってはじめて表に立つ。立ったときには、決めた人間は、たいていもう別の席にいる。
ついでに、いちばん下の項も見た。紙の受付の終了。根拠の欄は、空だった。数字が悪いから切るのではない。数字が、ないから切るのだ。あの受付に何が届いて、誰がどう受けていたのか、ダッシュボードのどの列にも載っていない。測っていないものは、守る理由も測れない。一行だけ、ノートに書いた。
『郵便の欄は、最初から、ない』
あの受付に、いま何が届いているのかは、知らない。調べなかったからではない。調べる場所がないからだ。測られていないものについては、この部署は、フロアの誰より無知になる。その一行も、ついでに書いておいた。
それから、いつもの検分をした。委託先のフロアの、番号ごとの数字だ。
速さの列のいちばん下に、いつもの番号がある。平均処理時間、フロア最下位。ここだけ見れば、切られる側の数字だ。その隣の列を見る。いちど閉じた件が、また開いた数。さかのぼれる限り、この番号だけ、ゼロ件。ほかの番号は、どれもゼロではない。遅い。しかし、この番号の客は、二度と困らない。一件を、二度手間にしない。二度手間にならない分の金額は、ダッシュボードのどこにも出ない。出ないが、ある。
会議のとき、この番号の枠を触るなと言ったのは、そういう算数だ。それ以上の理由は、言っていない。言う必要がない。数字で足りる説明に言葉を足すのは、数字に自信のない人間のやることだ。
ゼロの中身は、記録を読めば分かる。応対の記録は、全件残る。読むのも、この部署の仕事のうちだ。この番号の応対は、確かに遅い。遅さの中身は、待ちだ。客がうまく言えずにいるあいだ、この番号は、閉じずに待つ。待って、聞くことをひとつずつ狭めて、答えるべきことを答え終えてから、閉じる。閉じた件の、客の最後の行は、たいてい、礼か、得心の一言だ。得心して閉じた件は、また開かない。速い番号の記録には、逆の型が多い。答えは出ているのに、得心が出ていない。閉じたあとで、得心の足りないぶんが、また開いて戻ってくる。どちらが安いか。算数の話だ。感心の話ではない。
日ごとの処理件数も、ひととおり見た。この番号は、ふだん三十件前後で動く。会議のあった日に二十九まで落ちて、三十三の日もある。その振れ幅の中で、通達の出た日だけ、二十七だった。記録にある限り、いちばん低い。読んで、手が止まった人間が、フロアに何人かいた、ということだ。誰の手が、どれだけ止まったか。ダッシュボードは、そこまでは言わない。言わないが、二十七という数字は、言っている。
昼から、検収に入った。
検収。納品されたものが、発注のとおりにできているかを、受け取る側が確かめる作業のことだ。刷新を請けた業者から、新しい定型文のひと組が、先行して納められている。会議室で、業者の担当と、うちの若いのと、私とで、一件ずつ見た。
出来は、七割がた、悪くなかった。定型文の出来というのは、句読点の話ではない。その文を送ったあと、件がもう一度開くかどうかの話だ。閉じる文と、開かせる文がある。書いた本人たちは、その区別を知らずに書いている。
たとえば、締めの定型の何枚かに、機械的に足してあった。
『ほかにご不明な点はございませんか』
ぜんぶ、消させた。そう聞かれた客の何割かは、律儀に探す。探せば、何か見つかる。件が伸びる。閉じる直前の一文は、出口の広さを決める。広げていいのは、途中だけだ。
修理不能の案内で、手が止まった。
『補修用の部品の保有期間が過ぎているため、修理のご対応はいたしかねます。何とぞご了承ください』
それだけの文面だった。
間違ってはいない。だが、この文面は、二度手間を作る。直せないと言われた客の何割かは、納得しない。納得しない客は、言い方を変えて、もう一度来る。もう一度来られた応対者は、同じことを、もう一度言う。件は閉じて、また開く。この一枚は、再入電の製造装置だ。
赤で、後ろの一文を消した。それから、代わりの一行を書き入れた。
『直せなくて、すみません。ただ、それだけ長いあいだ、お手元で働いてきた品物なのだと思います』
考えて作った文ではない。覚えていた行だ。さて、これは、どこで覚えた行だったか。この行の後ろでなら、客は、直らないという事実を受け取る。受け取った件は、閉じたまま、開かない。それを、知っている。知っているから、書いた。
業者の担当が、赤字をのぞき込んだ。
「いい文面ですね」
それから、聞いた。
「これは御社の標準の文言でしょうか」
出どころを控えておきたいのだろう。納品物に混ざる文言の出どころを聞くのは、業者として正しい。標準ではない。かといって、どこの何だと言える筋のものでもない。覚えていた、では、控えにならない。
「そのまま使え」
それだけ言った。
担当は、少し待ってから、控えの欄に何か書いた。出典・指示による、とでも書いたのだろう。それでいい。
うちの若いのが、隣で赤字を写しながら、小さく言った。
「黒岩さんでも、こういう文、書くんですね」
「書かない」
若いのは、聞こえなかったような顔をして、写し終えた。書かない、は、事実だ。私は、こういう文を書かない。書けるのと、書くのとは、別の話だ。
検収は、夕方までかかった。赤を入れたのは、ぜんぶで十七か所。十六か所は、消すか、削らせる指示だ。書き足したのは、一か所だけ。その一行だけが、私の作った文ではない。納品のやり直しの期限を切って、会議室を出た。
席に戻って、ダッシュボードを開いた。
平均は、いちばん良い応対を消す。まとめた瞬間に、ゼロという値は、小さい割合の中に溶けて、どの資料にも立たなくなる。良い一行は、システムの外にある。刷新が消そうとしている古い定型文の側に、閉じる文があって、新しく納められた側に、開かせる文がある。
どちらも、書き込む欄がない。
再入電の列は、盤面には、ある。ゼロも、出ている。この業界の人間なら、意味を説明される必要もない数字だ。それでも、決裁を通った表には、その列が、なかった。
この盤面を根拠に使った人間は、誰もその意味を拾わなかった。拾わないまま、決定は決裁を通って、通達になって、フロアに落ちた。落ちた日の処理件数が、二十七件。
ノートの前のほうには、これまでの検算が並んでいる。合っていた式と、合っていなかった式が、同じ字で書いてある。どちらも、消していない。消さないでおくと、自分の外し方の癖が分かる。
ノートを閉じた。刷新にどう動くかは、まだ決めていない。数字のほうが、長く残る。残った数字を、どの側から読むかは、これから決める。




