ここの人じゃ、ないでしょう。
【前回のあらすじ】
噂の翌朝、月に一度の満足度会議。日野は善意から佐保を応対から外そうと提案し、発注元の黒岩は数字だけを理由にその案を潰した。「不審者」という言葉だけが、部屋に残った。
◇ ◇ ◇
その施設のロビーに、私の席はない。
それでも私は、土曜の昼から、そこに座っていた。入口の自動扉が開くたびに、外の寒さが足もとまで届く。一月の、いちばん底の寒さだ。この月も、もう終わる。私は、扉のほうを見ていた。誰かが通るのを、待っていた。誰、とは、自分でも、うまく言えなかった。
二か月、手紙が来ない。
会社に一つだけ残っている、紙で受ける窓口。
その窓口に、十年、毎月、同じ字の一通が届いていた。中津タエ、という署名だった。はじめは、洗濯機の相談だった。次は、炊飯器。その次は、時計付きのラジオ。品物は毎月違ったけれど、どれも、本当に聞きたいのは品物のことではない、と、字の運びで分かった。
困っている、とは、どこにも書いていない。書いていないから、余計に、分かる。それが、私の仕事だ。行の間にあるものを読む。中津さんの手紙は、いつも、用件のほうが短くて、そのあとの、天気のことや、窓から見える木のことのほうが、長かった。私は、返事を書いた。品物の直し方を、ていねいに書いて、その下に、いつも一行だけ、品物でないことを書いた。
『また書いてください。今日でなくて、かまいません』
すると、翌月、また来た。次の品物の、次の相談として。十年、そうやって、続いてきた。月に一度、私は、係として、中津さんに話し、中津さんは、それが誰なのかを知らないまま、私に話していた。声のいらない、文字だけの、往復だった。私に、いちばん向いた話し方だった。
その手紙が、十二月から、来ない。
十二月のはじめの一通が、最後だった。私は毎日、昼休みに棚を見ている。あの字は、来ていなかった。ほかの常連の紙は、たまに来る。けれど、毎月きちんと来るのは、中津さんの一通だけだった。それが来ない、というのは、私にとっては、いつもと同じ日が、いつもと同じでない、ということだった。
八十四歳、と手紙にはあった。八十四歳の人が、二か月書かない理由を、私はいくつも思いついてしまう。思いついても、確かめる方法が、なかった。会社に聞いても、係の話です、で終わる。中津さんの家族を、私は知らない。私は、どこにも、聞けなかった。聞けないまま、私は土曜に電車に乗った。
入口を入ってすぐのところに、記入台があった。来訪者の名簿が開いてある。日付、お名前、ご用件。ペンは、紐で結んであった。
日付は、書けた。
お名前の欄で、手が止まった。宇津木佐保、と書けば、それは私の名前だ。係の名前では、ない。
結局、お名前の欄には会社の名前だけを書いた。三葉コミュニケーションズ。嘘では、ない。あの手紙が届いていたのは、そこだ。ご用件の欄は、空のままにした。
中津さんの住所も、この施設のことも、封筒の裏で知っている。返事を書くのだから、知っている。けれど、受付では、何も聞けない。家族でも、友人でも、会社の人間でもない――『係の方へ』の係は、名前を持たない。その係が、入居者の安否を聞きにきました、とは、言えない。だから私はロビーに座って、扉を見ていた。中津さんが、通るかもしれない扉を。棚に手紙が来ているかを確かめにいくときと、同じ気持ちだった。ただ、確かめたかった。まだ、そこにいるのかを。
二時間ほど、座っていた。
そのあいだ、人が通るたびに、私はその顔を見た。中津さんの顔を、私は知らない。知っているのは、字と、八十四歳という数字だけだ。だから、通る人を一人ずつ見て、この人ではない、と決めていくしかない。車椅子の人。手すりを伝う人。職員に手を引かれて、ゆっくり歩く人。テレビの前に座って動かない人は、顔がこちらを向かないので、いちばん長く見ていた。私は、画面の向こうの困りごとには返事を書けるのに、目の前を通っていく困りごとには、一言も、かけられなかった。
職員が二度、私の前を通った。二度目に、少しだけ、歩く速さを落とした。私はうつむいて、鞄の持ち手を握った。係は、ロビーでは、ただの、動かない女だった。
三時をまわったころ、車椅子が一台、ロビーに出てきた。膝に、たたんだ膝掛けがのっている。押しているのは職員で、乗っているのは、小さな、白い髪の人だった。その人が、通りすがりに私のほうを見た。
目が合った。
合った、と分かった。十年、字だけを見てきた人の、目だった。字の運びから、私が勝手に思い描いていた顔とは、違った。手紙の字は、大きくて、まっすぐで、力があった。だから私は、大きな人を思い描いていた。実際の中津さんは、小さかった。膝掛けの下の体は、たたむと薄くなりそうなくらい、細く見えた。それでも、目だけは、字と同じだった。まっすぐで、力があった。その目が、私を見た。この人だ、と分かった。この人の字が、毎月、あの棚に落ちていた。この人に、私は、十年、一行ずつ、返事を書いてきた。
私は、立ち上がれなかった。声も、出なかった。私です、と言えばいい。あなたの手紙に、返事を書いていたのは、私です、と。けれど、私です、の、わ、の形すら、口の中でほどけなかった。それに、言ってはいけない、とも思った。あれは、規則の外でやっていたことだ。名前を持たない係が、名前を持ってはいけない。
車椅子は、止まっていた。
おかしなことだ、と思った。十年、私は、この人と、ちゃんと話してきた。文字で。文字なら、いくらでも話せた。用件の下に、一行、品物でないことを書くくらいの余裕も、あった。それが、私の話し方だった。なのに、その話し方が、いま、使えない。ここには、紙がない。あっても、書いて渡すには、時間がかかりすぎる。会話には、会話の速さがある。私の速さは、そこには、間に合わない。声で話せる人には、たぶん、分からない。書くことでしか話せない人間が、書けない場所に立たされる、ということが。
中津さんのほうが、先に口を開いた。
「あなた」
中津さんは言った。
「ここの人じゃ、ないでしょう」
私は、うなずくことも、首を振ることも、できなかった。中津さんは、それを、気にしなかった。私が誰なのかを、この人は知らない。見知らぬ、無口な女が、ロビーに座っている。それだけのことだ。中津さんは、少しのあいだ、私の顔を見て、それから、ひとつ、頼みごとをした。
その頼みを、私は、書き留めなかった。
書き留めるべきだった。私は、何でも書き留める。人に言えないことを、ぜんぶ、書いてきた人間だ。手のほうが、頭より先に動く。なのに、そのときだけ、手が動かなかった。中津さんの言ったことが、私の中の、どのひきだしにも、入らなかった。品物の相談でもない。安否でもない。私の持っている分類の、どこにも、その頼みの入る場所が、なかった。だから、指が止まった。止まったまま、その言葉は、通り過ぎていった。
私は、言った。
「はい」
その日、私が声に出した、ただ一つの言葉だった。何を頼まれたのかを、うまく取り込めないまま、私は、はい、と答えていた。承知したのだ。承知したのに、私は、それを、どこにも書いていない。いま思い出そうとしても、中津さんの唇の動きは見えるのに、そこから出た言葉が、聞こえない。聞いていたはずなのに。はい、と答えたはずなのに。
職員が、車椅子を、また押しはじめた。中津さんは、もう私のほうを見なかった。膝掛けの端を、指で、少し直していた。車椅子は、廊下の奥へ消えた。
私はしばらく扉を見ていた。それから立ち上がって、施設を出た。外は、もう暗くなりかけていた。一月の日は、短い。帰り道、いつものように立ち止まって一枚撮った。何を撮ったかは、覚えていない。手が、勝手に撮っていた。手は、いつもどおり動くのに、と思った。
その夜、部屋で私は手帳を出した。中津さんに頼まれたことを、書こうとした。私は、ペンを持って、待った。手が動くのを、待った。動かなかった。一行目が、出てこない。私は手帳を、白いまま、閉じた。十年で、はじめてのことだった。
翌週、私は、通報された。
ロビーに二時間、無言で座って、入居者を見ていた女がいる、と。間違ってはいない。私は、確かに、そこにいた。無言で、座って、見ていた。悪いことをしているつもりは、なかった。けれど、悪いことをしているつもりがない、というのは、通りすがりには、示せない。中身の見えない人が、中身の見えないことをしている。それだけで、人は、正しく、通報する。誰も、間違ってはいない。誰も、嘘をついていない。それでも、私は、不審な女になった。心配で来た、というのが、いちばん言えない理由だった。心配、という言葉は、係には、使えない。
その通報が、どこをどう通ったのかは、知らない。ただ、その通報から二か月ほどして、四月の夕方に、うちのフロアの電話が鳴る。受けるのは、日野さんだ。
◇ ◇ ◇
今日の返信、なし。
今日の発話、「はい」一回。




