この分け方で進めます。
【前回のあらすじ】
私書箱が十月で終わるので、総務の人が、終わりの案内を出す先を知っている人はいないか、とフロアに聞きに来た。知っているのは佐保だけで、声は出なかった。三日の昼休みをかけ、十年ぶんの返信の控えから二十六人の宛先を拾った。作成者の欄を空けたまま、佐保はその紙を郵便の棚に置いた。
◇ ◇ ◇
土曜の朝、窓の下の紙が、床に落ちていた。
壁には穴を開けられないので、突っ張った柱にコルクの板を留めてある。撮った写真を印刷して、そこに貼ってきた。
窓の下の一角が、そっくり空いていた。十年、同じあたりにピンを刺してきた。穴は、重なって、広がっていた。湿気を吸った紙は、反って重くなっていた。夜のうちに、まとめてずり落ちたのだと思う。音には、気がつかなかった。
貼ったものを、はがしたことはない。下のほうの紙を見るのは、貼った日以来だった。
しゃがんで、拾いはじめた。
上になっていた紙は、色がはっきりしていた。下になっていた紙ほど、窓からの光で色が抜けていた。
最初に拾った紙は、ドアノブだった。握るところだけ、金色がはげていた。撮った日は、まだ明るかった。はげた金色を見て、何人が握ったのだろう、と思った。数えなくても、握った数がそこに残っている。数えているのは、私のほうだけだ。その日も、そう思って、しゃがんだ。
次の紙は、蛇口だった。ひねるところが、十字になっていた。回す向きは、どこにも書いていない。はじめての人でも、手をかければ、回る。聞かなくていい。この蛇口の前で、私は、たぶん、そう思って止まった。
郵便受けもあった。差し込み口の縁が、さびている。入れる向きは、口の形で決まっている。四月のものだ。まだ、色が抜けていない。
同じドアノブが、何枚も出てきた。夏の光のもの。雨にぬれているもの。同じ物を、何度も撮っている。撮った日のことは、思い出せない。同じ物の前で、その日の私がまた止まった、ということだけが、紙に残っている。
どれも、いつものところで撮ったものだ。古い集合住宅の入口の前で、立って見まわせばどれかが目に入る。毎日そこに立って、毎日、どれかで止まってきた。
私は、聞けない。だから、聞かなくていい物の前で、止まるのだと思う。
止まる理由は、そこまでだ。撮って、印刷して、十年貼ってきた理由には、まだ届かない。
重なった紙のあいだに、ピンが一本残っていた。
「あ」
指の先に、赤い点ができた。
拾った紙は、床に並べた。窓の下の一角は、空けておいた。刺しても、もう効かない。
昼前に、スマホを見た。金曜の夜に、一通来ていた。差出人は、梶亮太だった。
三週間、返事は来ていなかった。急がなくて、大丈夫です、と書いたのは私だ。だから急いでいないのだと、思っていた。
『宇津木様
先日お送りした目次案、届いていますでしょうか。
お返事がないので、この分け方で進めます。
名義だけは、八月のうちに決めてください』
目次案は、受け取っていない。
届かない、と書いてくる客には、迷惑メールのフォルダをご確認ください、と返してきた。自分のフォルダを開いたことは、一度もなかった。私に宛てて何かが来る、と思って開ける箱を、私は持っていない。
開いた。同じ差出人の一通が、そこにあった。日付は、あのメールを送った週だった。急いでいなかったのでは、なかった。その週のうちに、返してあった。
『宇津木様
目次案をお送りします。二十四に分けました。本に入れるのは、そのうち十と少しです。
入れる分に、印をつけてあります。この印でよいか、今月のうちに教えてください』
十と少し、と、あの人は信号で言った。それが二十四になって、そこから、十と少しを選んである。分けたのも、選んだのも、あの人だ。私は、まだ何も言っていない。
添付を開いた。見出しが、縦に並んでいた。見出しだけを、上から読んだ。その下に何が入っているかは、見出しで分かる。私が書いたものだ。読み返さない。
『修理ができないと言われたとき』
『長く使ってきた品物』
『夜、ひとりのとき』
三つとも、印がついていた。ラジオの人の夜だ。冷蔵庫の人の夜だ。埋めた行が、いまは、見出しの下にいる。
二通目に戻った。この分け方で進めます、のところを、もう一度読んだ。聞かれては、いない。この印でよいか、と聞いたのは六月で、その答えを、あの人は三週間待たなかった。進める、と書いてある。私に、答える欄はない。
「はい」
信号では、口の形だけだった。誰もいない部屋では、声が出た。
返信の欄は、開かなかった。聞かれたのは、名義だけだ。八月のうちに、と書いてある。本名か、サイトの名前か。どちらを書いても、二十四に分けたあの一覧のいちばん上に、字が乗る。乗せる字を、私はまだ、決められない。
午後は、床の紙を分けた。目次案を見たあとだった。あれが二十四に分かれるなら、これも分かれる気がした。
ドアノブを寄せていくと、途中から蛇口が混じった。蛇口のあとに、郵便受けが来た。混ぜたつもりは、なかった。
付箋を一枚はがして、いちばん端の山の前に置いた。ドアノブ、と書けば、この山に蛇口は入らない。蛇口、と書いても、同じだ。見出しは、書けなかった。あの人の二十四は、困りごとの種類で分けてある。
ほかのところに重ねて戻そうとして、手が止まった。どれが上だったのか、分からない。紙の裏に、日付はない。手帳にも、帳簿にも、墓地の一覧にも、日付はある。これにだけ、書かなかった。
夕方に床の山を一つに重ねて、机の上に置いた。
横から見ると、色の抜けた紙が、束のところどころに白く挟まっていた。
◇ ◇ ◇
今日の返信、なし。
今日の発話、なし。(独り言は、別)




