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好きな人が義理の姉になった日から、距離感がバグり続けて毎日心臓が持ちません。  作者: あ


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14/22

第十四話 言い訳のない朝に、それでも行った

 翌朝、六時半前に目が覚めた。

 天井を見た。

 今日は昨日と違う朝だ、と思った。

 昨日、ひよりの嘘がわかった。手を繋いで歩くのは姉弟として当然ではなかった。朝の布団も、屋上のお昼も、扉越しのあの言葉も、全部「姉弟だから」という建前の上に成り立っていた。

 その建前が、昨日の昼休みに崩れた。

 詩織は布団の中で、少しの間動かなかった。

 今日の朝は、どうするか。

 考えるまでもなかった。

 今日も行こう、と思った。

 思ってから、今日初めて、その「行こう」が何に基づいているかを正面から見た。

 姉弟だから、ではない。

 ひよりに言われたから、でもない。

 行きたいから、だ。

 その答えが、今朝は怖くなかった。昨日の夜に一度受け取ったものだったから、今朝はもう馴染んでいた。

 起き上がった。

 顔を洗った。廊下に出た。

 悠馬の部屋の扉の前まで来た。

 昨日まであった「姉弟だから」という言い訳が、今日はなかった。

 その代わりに、ただ自分がいた。

 ノックした。

「悠馬さん」

 扉を開けた。

 近づいた。

 布団を持ち上げた。

 入った。

 入りながら、詩織は今までと違うことに気づいた。

 今日は、入ることに理由がなかった。

 あったのは、入りたい、という気持ちだけだった。

 その気持ちだけで、詩織は今日、悠馬の布団の中に入った。

「おはよう」

 悠馬が目を開けた。

 目が合った。

 今日の詩織の目に、何かが違うものが入っていたかもしれない。自分ではわからなかった。でも、今日だけは、目を逸らすのが今まで一番遅かった。

 四秒。いつもの二秒を、二倍越えた。

 逸らしてから、布団を出た。

「朝ごはん、作ります」

 言って、扉を閉めた。


 廊下で、詩織は一度だけ深呼吸した。

 今日の自分が、昨日の自分と少し違った。

 言い訳のない朝に、それでも行った。

 その事実が、廊下の空気の中に静かにあった。


 朝ごはんを食べながら、悠馬が言った。

「今日、詩織さんの目、いつもと少し違いましたね」

 詩織は箸を止めた。

「違いましたか」

「なんか、直接見てくる感じがして」

「……そうですか」

「はい。なんか、今日は少し、目が逸れるのが遅かった気がしました」

 悠馬は何でもない顔で言った。でも耳が少し赤かった。

 詩織は「そうでしたか」と言って、味噌汁を飲んだ。

 気づかれていた。

 気づかれていたことが、怖いとは思わなかった。

 むしろ、なんとなく、胸の中が少しだけ温かくなった。


 学校に着いて、一時間目が始まるまでの間に、ひよりが来た。

 詩織の席の隣に来て、静かに立った。いつものひよりと少し違って、今日は遠慮がちな立ち方だった。

「詩織」

「うん」

「昨日は、ごめん」

 詩織はひよりを見た。

 ひよりの顔が、今日は真剣だった。笑みがなかった。

「ちゃんと謝りたくて。嘘ついてごめん。詩織の気持ちを勝手にどうにかしようとして、ごめん」

 詩織は少しの間、ひよりを見ていた。

「ひより」

「うん」

「なんで、あんなことしたの」

「……詩織がゆーくんのこと、気にしてるの、最初から見えてたから」

 詩織は黙った。

「気にしてるけど、詩織は自分から動けない。それはずっとそうじゃん。好きな人の前でも、苦手な人の前でも、詩織はいつも同じ顔してる。それが詩織の良いところでもあるんだけど、私にはもったいなく見えて」

「だから嘘ついた?」

「嘘をついたのは、よくなかった。でも、詩織に動いてほしかったのは本当だよ。詩織が自分の気持ちに気づいて、自分で動けるように」

 詩織はひよりの目を見た。

 まっすぐな目だった。謝りながら、でも後悔しきってはいない目だった。

「ひよりは、私がゆーくんのことが好きだって、最初からわかってたの?」

「最初からではないけど、早い段階で」

「私より先に?」

「うん」

 詩織は少しの間、その事実を処理した。

 ひよりが自分より先に、気づいていた。

 それが悔しいかと思ったら、悔しくなかった。むしろ、なんとなく、おかしかった。自分の気持ちを、自分より先に親友に見られていた。

「……ひより、次に嘘ついたら許さないから」

 詩織が言った。

「うん。もうしない」

「本当に」

「本当に。もう必要ないし」

 最後の言葉の意味を、詩織は聞き返さなかった。

 代わりに、右手を伸ばして、ひよりの肩を一回だけ軽く叩いた。

 昨日のポカポカではなく、一回だけ、静かに。

 ひよりが「ありがとう」と言った。

 詩織は「昨日のは謝って」と言った。

「ごめんなさい」

「よし」

 チャイムが鳴った。


 昼休み、詩織は屋上に来た。

 悠馬がすでにいた。弁当箱を膝に置いて、空を見ていた。

 詩織が来たことに気づいて、こちらを向いた。

「今日は来るかと思いませんでした」

「なぜですか」

「なんか、今日は一人で考えたいことがある顔をしていたので」

 詩織は悠馬の隣に座りながら、その言葉を少し考えた。

「よく見てますね」

「……そうですか」

「今朝も言われましたよ。目が違うって」

 悠馬が少し固まった。

「それは、朝のことを言ったわけでは」

「いいえ。さっきのは別の話です」

 詩織は弁当箱を開いた。

「でも、よく見てるんですね、悠馬さんは」

 言いながら、顔には出さなかった。でも胸の中は、ちょうどいい温度だった。

 悠馬は何も言わなかった。

 耳が赤かった。

 二人で弁当を食べた。今日の空は少し雲があって、でも晴れていた。


 午後の授業が終わって、詩織は一人で廊下を歩いた。

 今日一日のことを、頭の中で整理していた。

 ひよりの嘘がわかった。

 怒った。

 でも許した。

 ひよりが最初から自分の気持ちに気づいていた、ということも知った。

 そして、言い訳のない朝に、それでも布団に入った。

 全部が、今日一日で起きた。

 じゃあ今まで自分は何をしていたのか。

 詩織は廊下を歩きながら、その問いに向き合った。

 手を繋いで歩いていた。毎日。

 屋上で弁当を食べていた。毎日。

 布団に入っていた。毎朝。

 嘘の建前があったから、できた。

 でも続けたのは、自分だった。

 嘘の建前があっても、自分の中に何もなければ続けられなかった。恥ずかしくて、やめていたはずだった。

 続けた理由が、自分の中にあった。

 その理由は、今は名前を知っている。

 好き、という名前だった。

 詩織は廊下の窓から外を見た。校庭の木が風に揺れていた。

 ひよりの嘘が、詩織に「動く理由」を与えた。でも動き続けたのは、詩織の中にあった気持ちだった。

 嘘がなければ、最初の一歩はなかったかもしれない。

 でも、嘘だけでは、こんなに続かなかった。

 その両方が本当だった。


 帰り道、手を繋いで歩いた。

 今日の手は、昨日より少しだけ違った。

 違う、というのは、詩織の中の話だった。

 今日は言い訳なしで繋いでいた。姉弟だからでも、ひよりに言われたからでもなく、ただ繋ぎたかったから繋いでいた。

 その違いは、悠馬には見えないかもしれなかった。

 でも詩織には、大きかった。

 悠馬は前を向いて歩いていた。

 詩織も前を向いて歩いた。

 夕方の住宅街を、二人で歩いた。


 夜、詩織は布団の中で今日のことを思い返した。

 ひよりが言った言葉が、頭の中にあった。

「詩織がゆーくんのことが好きなの、最初から見えてた」

 最初から。

 詩織には見えていなかったのに、ひよりには見えていた。

 ということは、詩織の気持ちは、詩織が気づく前からそこにあったということだ。

 ひよりの嘘が生まれる前から、詩織の中に何かがあった。

 ひよりはそれを見て、動かそうとした。

 嘘という方法は間違っていた。でも、見えていたものは本物だった。

 詩織は天井を見た。

 好き、という言葉の輪郭が、今日はいつもより少しだけくっきりしていた。

 嘘から始まったかもしれない。でも、今ここにあるこの気持ちは、嘘ではなかった。

 それだけは、確かだった。

 壁の向こうが静かだった。

 悠馬がそこにいた。

 詩織は目を閉じた。

 今夜は、早く眠れる気がした。


 同じ夜、悠馬の部屋では。

 俺は布団の中で、今朝のことを考えていた。

 今朝の詩織の目が、いつもと違った。目が逸れるのが、いつもより遅かった。

 それを朝ごはんのときに言ったら、詩織は「そうですか」と言った。

 驚いた顔でも、慌てた顔でもなかった。

 どこか、受け入れているような顔だった。

 昼休みに屋上で言った言葉も気になっていた。

「よく見てるんですね、悠馬さんは」

 責めているわけではなかった。でも確認するような言い方だった。

 俺はあれにうまく返せなかった。耳が赤くなるのがわかった。

 よく見ている、というのは本当だった。

 今日の詩織が、昨日と何かが違って見えた。何が違うのかはうまく言えなかったが、何かが変わっていた。

 変わった詩織が、今日は少しだけ、近かった気がした。

 距離が縮まったわけではない。でも、何かが近かった。

 その近さが、今夜は眠れない理由になっていた。

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