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好きな人が義理の姉になった日から、距離感がバグり続けて毎日心臓が持ちません。  作者: あ


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13/22

第十三話 全部、嘘だったのか

 火曜日の昼休み、詩織は珍しく屋上ではなく教室で弁当を食べていた。

 悠馬が今日は帰宅部仲間と購買に行くと朝に言っていたので、屋上には行かなかった。ひよりは今日は別のクラスの子と約束があると言っていた。

 だから詩織は、同じクラスの女子数人と一緒に食べていた。

 話は弾んでいた。今度の文化祭の準備のこと、共通の知人の話、他愛のない話。詩織はいつもより少しだけ口数が多かった。悪くない時間だった。

 話の流れで、家族の話になった。

「うちの弟がさ、最近反抗期で全然喋ってくれないんだよね」

 一人が言った。

「わかる。年が近い兄弟ってそういうの多くない?」

「でも仲いい姉弟もいるよね」

 そこで一人が詩織を見た。

「一ノ瀬さんって、今義理の弟さんと一緒に住んでるんだよね?仲いいの?」

 詩織は箸を持ったまま頷いた。

「まあ、普通に暮らしていますよ」

「へえ、いいな。年近い姉弟って、どんな感じ?」

 詩織は少し考えて、自然に答えた。

「登下校のとき、手を繋いで歩いたりしますよ」

 一瞬、空気が止まった。

 聞いていた三人が、微妙な顔をした。

「……え、そうなの?」

「うちは絶対しない」

「うちも。てか、高校生でそれはちょっと」

 詩織の手が、弁当箱の上で止まった。

「……そうなんですか」

「うん。てか、年近い姉弟こそしないんじゃないかな。恥ずかしいし」

「そっか。私の感覚がおかしいのかな」

「地域によるのかもしれないけど、うちの周りにはいないかな」

 話は次の話題に移っていった。

 詩織は弁当の続きを食べた。

 口に何かを入れて、咀嚼して、飲み込んだ。

 味が、よくわからなかった。


 手を繋ぐのが姉弟として当然、というのは嘘だった。

 弁当を食べ終わって、詩織は静かにその結論を受け取った。

 受け取ってから、次に考えた。

 朝、悠馬の布団に入って起こすのも。

 屋上で弁当を持っていくのも。

 お風呂の扉をノックしたのも。

 全部、ひよりに「姉弟だから当然」と言われてやり始めたことだった。

 全部、嘘だったのか。

 詩織は机の上の、空になった弁当箱を見た。

 怒り、という感情が、静かに、でも確実に、胸の中から上がってきていた。


 午後の授業は、上の空だった。

 先生の声が聞こえていたが、内容が入らなかった。

 考えていることが多すぎた。

 「全部嘘だった」ということが、授業中ずっと頭の中にあった。

 でも考えていくうちに、もう一つの事実にぶつかった。

 嘘から始まった行動だった。でも、詩織はそれを続けた。

 手を繋いで歩くことを、一回目の翌日も、その翌日も、続けた。

 屋上でのお昼を、二回目も三回目も、続けた。

 朝の布団も、一度やってから、毎日続けた。

 ひよりが「やれ」と言い続けていたわけではなかった。一度目はひよりの言葉があった。でも二度目以降は、詩織が自分でやっていた。

 嘘から始まった。でも、続けたのは自分だった。

 その事実が、怒りの下に、静かにあった。


 放課後になって、詩織はひよりを探した。

 廊下で見つけた。ひよりが詩織に気づいて、いつものように手を振った。

「詩織、今日は一緒に帰れる?ゆーくんと」

「ひより」

 詩織の声のトーンに、ひよりが気づいた。手が、途中で止まった。

「……うん?」

「少しいい?」

「うん」

 二人は人の少ない踊り場に移動した。

 詩織はひよりの前に立って、ひよりを見た。

「手を繋いで登下校するのは、姉弟として当然じゃないって聞いた」

 静かな声だった。

 ひよりは一瞬、固まった。

 固まった顔を、詩織はじっと見ていた。

「……そうなの?」

 ひよりが言った。とぼけた言い方だったが、目が少し泳いでいた。

「ひより」

「うん」

「朝、布団に入って起こすのは?」

「……」

「屋上でお昼を届けるのは?」

「……」

「お背中を流すのは?」

 ひよりは答えなかった。

 答えない、というのが答えだった。

 詩織はひよりを見ていた。

 怒っていた。

 でもどう怒ればいいかがわからなかった。怒鳴りたいわけではなかった。説教したいわけでもなかった。ただ、ひよりが全部仕組んでいたという事実が、胸の中でぷりぷりと熱を持っていた。

「ひより」

「うん」

「最低」

 言いながら、詩織の右手がひよりの肩をポカポカと叩いた。

 強くはなかった。でも続いた。叩きながら、詩織の顔がどんどん赤くなっていった。

「全部嘘だったじゃない。私が信じたのに」

「……ごめん」

「ごめんで済むと思ってるの」

「ごめんなさい」

 ひよりは逃げなかった。叩かれながら、まっすぐ詩織を見ていた。その目に、笑いはなかった。

「詩織が怒るのは当然だと思う。ちゃんと謝る」

「謝ればいいってことじゃないんだけど」

「うん」

「私、恥ずかしかったんだよ。布団に入ったとき。お風呂のとき。全部、姉弟として当然だと思ってたから、恥ずかしいけどやれたの。でも本当は違ったんでしょ」

 ひよりは黙っていた。

「恥ずかしいのに、嘘ついてやらせたんでしょ」

「……うん」

「最低」

 もう一度叩いた。

 ひよりは「最低だね」と静かに言った。否定しなかった。

 詩織は叩く手を止めた。

 ひよりを見た。

 ひよりの目が、今日は少しだけ違った。笑っていなかった。でも後悔しているかと言われると、それも少し違った。複雑な目だった。

「ひより、なんで」

「詩織のためだよ」

「そんな言い方、ずるい」

「ずるいのはわかってる。でも、本当のことだよ」

 詩織はひよりを見続けた。

 怒りは、まだあった。でもその怒りの下に、もっと複雑な何かがあることに、詩織は気づき始めていた。


 踊り場を出てから、詩織は一人で廊下を歩いた。

 ひよりとは「また明日」と言って別れた。

 歩きながら、頭の中を整理した。

 ひよりの嘘から始まったことが、たくさんあった。

 全部、「姉弟として当然」という建前があったから、詩織はやれた。

 その建前が、嘘だった。

 じゃあ、二度目からは何だったのか。

 手を繋ぐことを、翌日も続けたのは。

 屋上のお昼を、毎日続けたのは。

 布団に入ることを、毎朝続けたのは。

 建前はすでに嘘だとわかっていた。わかっていて、詩織はやっていた。

 昨日気づいていたわけではなかった。今日初めて「嘘だ」と知った。

 でも、続けていた理由は、建前ではなかった。

 続けていた理由は、詩織の中にあった。

 それが何かを、詩織はもう知っていた。

 好き、という言葉が、もうそこにあった。


 昇降口で、悠馬が待っていた。

 いつも通りだった。

 詩織が出てくるのを、悠馬が待っていた。

 詩織は少しの間、その光景を見た。

 今日、ひよりの嘘を知った。

 手を繋ぐのは姉弟として当然ではなかった。

 屋上でのお昼も、朝の布団も、当然ではなかった。

 それでも詩織は、悠馬の隣に近づいた。

「お待たせしました」

「いいえ」

 昇降口を出て、歩き始めた。

 詩織の手が出た。

 悠馬の手と絡んだ。

 今日も、繋いだ。

 姉弟として当然ではない、とわかっていて、繋いだ。

 繋ぎながら、詩織は前を向いた。

 怖かった。

 でも、離さなかった。

 離す理由が、今日はひとつもなかった。


 夜、詩織は部屋で一人だった。

 布団に横になって、今日のことを最初から思い返した。

 昼休みのクラスメイトの言葉から、ひよりへの怒り、ひよりの顔、踊り場を出てから考えたこと、帰り道の手の温度まで。

 全部を並べて、見た。

 嘘から始まった。

 でも続けたのは自分だった。

 そして今日、嘘だとわかってもなお、手を繋いだ。

 それが、答えだった。

 言葉にしなくていい答えだった。誰かに見せなくていい答えだった。でも、詩織の中では、今夜はっきりと、形を持った。

 好きだから、続けていた。

 ひよりの嘘がきっかけだったとしても、好きだから、自分でやっていた。

 その事実が、怖くなかった。

 今夜は、怖くなかった。

 ただ、重かった。

 どこへも持っていけない重さが、胸の中にあった。

 でも、今夜のこの重さは、今までより少しだけ温かかった。


 同じ夜、悠馬の部屋では。

 俺は布団に入って、今日の詩織のことを考えていた。

 昇降口で待っていたら、詩織が出てきた。その顔が、少しだけいつもと違った。なんというか、何かを決めた後のような顔だった。

 繋いだ手が、今日はいつもより少しだけ力が入っていた。

 詩織の側から、力が入っていた。

 その感触が、今も右手に残っていた気がした。

 今日、詩織に何かがあったのだろうと思った。

 でも聞けなかった。聞く言葉が見つからなかった。

 ただ、今日の詩織の手の温度が、今夜は頭から離れなかった。

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