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好きな人が義理の姉になった日から、距離感がバグり続けて毎日心臓が持ちません。  作者: あ


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12/22

第十二話 外から見た私たちの話

 木曜日の午後のことだった。

 五時間目が終わって、詩織はトイレに立った。

 廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから声が聞こえた。クラスメイトの声だった。二人か三人、まとまって話しているようだった。詩織の足音は上履きで静かだったから、向こうは気づいていなかった。

 角を曲がりかけて、止まった。

 自分の名前が聞こえた気がしたからだ。

 立ち聞きしようとしたわけではなかった。ただ、足が止まった。

「一ノ瀬さんって、佐伯くんと義理の姉弟なんだって」

「知ってる。苗字一緒になったじゃん」

「屋上でいつも二人でお昼食べてるって聞いたよ」

「え、二人で?」

「うん。毎日らしい」

 しばらく間があった。

「なんか、意外だよね」

「何が」

「一ノ瀬さんが、毎日誰かと二人でご飯食べてるって。あの人ってなんか、いつも綺麗にまとまってるじゃん。クラスの中心にいても、どこか遠い感じがあって」

「わかる。話しかけにくいっていうか」

「でも最近、なんか違くない?」

「違う?」

「なんか、ちょっとだけ、人間っぽい気がする。前は完璧すぎてちょっと怖かったけど、最近は、たまに表情が崩れる瞬間があって」

「それ私も思った。この間廊下で、すっごい慌てた顔してた。あんな顔するんだって思って」

「佐伯くんのこと見てるときって、なんか、ちょっと違う感じがするんだよね」

「え、それどういう意味」

「うまく言えないんだけど。なんか、普通の人みたいな顔するっていうか」

 笑い声がした。悪意のない笑い声だった。

「別に、义理の姉弟なんだから仲いいのは当然じゃないの」

「そうなんだけど。なんかね、見てると、ちょっと気になるんだよね。二人が廊下ですれ違うとき、佐伯くんがちょっとだけ詩織さんの方見るんだよ」

「え、そうなの」

「うん。本人気づいてないと思うけど」

 また笑い声がした。

 詩織は廊下の角で、動けなかった。


 声が遠ざかっていった。

 詩織はしばらく、その場に立っていた。

 心臓が、少しだけ速くなっていた。

 聞こえた言葉を、頭の中で反芻した。

 人間っぽい、という言葉が、妙に引っかかった。

 自分がそんな風に見られていたとは思っていなかった。クラスの中心にいて、何でもこなして、感情をあまり表に出さない、と自分では思っていた。でも外から見ると、それが「完璧すぎて怖い」に見えていたらしかった。

 そして、悠馬の前では「普通の人みたいな顔をする」と言われた。

 普通の人みたいな顔。

 詩織はその言葉を、もう一度頭の中でなぞった。

 自分ではわかっていなかった。でも外からは見えているらしかった。悠馬の前でだけ、顔に何かが出ている、ということが。

 悠馬がちょっとだけ詩織の方を見る、とも言っていた。

 本人気づいていないと思うけど、と。

 詩織はゆっくり歩き出した。

 トイレに向かいながら、聞いてしまったことを整理しようとした。

 整理できなかった。


 トイレから出て、廊下を歩きながら、詩織は今度は別のことを考えていた。

 外から見た、自分と悠馬の話。

 毎日屋上で二人でお昼を食べている。廊下ですれ違うとき、悠馬がちょっとだけ詩織を見る。詩織の顔が、悠馬の前でだけ変わる。

 全部、詩織の中では「当たり前のこと」だった。

 屋上のお昼は、一緒に住んでいるから。廊下ですれ違うときに顔を見るのは、同じ家の人間だから自然なことだと思っていた。顔が変わる、というのは、自覚はなかった。

 でも外からはそう見えているらしかった。

 外から見ると、自分と悠馬は、普通の義理の姉弟とは少し違って見えるらしかった。

 詩織は教室の前まで来て、扉に手をかけた。

 かけて、少しの間そのままでいた。

 悠馬がちょっとだけ詩織の方を見る。

 その言葉が、まだ頭から出なかった。


 六時間目の授業中、詩織は黒板を見ていた。

 見ていたが、内容は半分も頭に入っていなかった。

 窓の向こうに、校庭が見えた。

 外から見た自分たちの話を、ずっと考えていた。

 考えながら、気づいたことがあった。

 今まで詩織は、自分の気持ちのことだけを考えていた。自分が好きだということ。自分がどうするかということ。自分がどこまで行動できるかということ。

 でも今日初めて、外から見たという視点が入ってきた。

 外から見たとき、どう見えるか。

 そして、悠馬から見たとき、どう見えるか。

 悠馬は詩織のことをどう思っているのか。

 今まで考えないようにしていたことが、今日の廊下での会話をきっかけに、頭の中に入ってきた。

 チャイムが鳴った。

 詩織はノートを閉じた。

 今日初めて、悠馬の気持ちのことを、真正面から考えた。


 放課後、ひよりが来た。

 いつものように詩織の隣に来て、「帰ろ」と言った。

 昇降口まで並んで歩きながら、ひよりが言った。

「今日なんかあった?顔がいつもと違う」

「……少し、聞いてしまったことがあって」

「聞いた?」

「クラスメイトの話を」

 ひよりは詩織を横目で見た。

「私たちの話?」

「私と、悠馬さんの話」

「ふうん。何か悪いこと言われてた?」

「いいえ。悪意は全然なかった。でも」

 詩織は少しの間黙った。

「外から見ると、私と悠馬さんは、少し変に見えるみたい」

「変、じゃなくて?」

「変、というより、普通の義理の姉弟と少し違って見える、ということ」

 ひよりは何も言わなかった。

「私が悠馬さんの前で顔が変わるって、言われた。それと、悠馬さんが、廊下で私を見るって」

「へえ」

「本人気づいていないと思うけど、って言ってたけど」

「うん」

「どう思う?」

 ひよりは昇降口の扉を開けながら、少し考えた。

「どう、って言われても」

「悠馬さんは、私のことを、どう思ってると思う?」

 扉を抜けながら、ひよりはその問いを受け取った。

 詩織がひよりに「悠馬の気持ち」を聞いてきた。

 今まで一度もなかったことだった。

 ひよりは靴を替えながら、少しの間黙っていた。

「詩織」

「うん」

「それは、私に聞くことじゃないと思う」

 詩織は靴ひもを結ぶ手を止めた。

「ひよりなら知ってるんじゃないかと思って」

「知ってるかどうかより」

 ひよりはまっすぐ詩織を見た。

「それは、ゆーくんに聞くか、自分で感じるしかないことだよ」

 詩織はひよりを見た。

 ひよりは続けた。

「私が答えを教えたら、詩織が自分で感じたことじゃなくなる。それは、よくないと思う」

 詩織は少しの間黙って、靴ひもを結んだ。

「……そうだね」

「うん」

「でもひより、知ってるんでしょ」

 ひよりは一瞬だけ、口端が動いた。

「知ってるかどうかは言わない」

「ずるい」

「親友だから言わないの」

 詩織はため息をついた。ひよりは「帰ろ」と言って外に出た。


 帰り道、悠馬が昇降口の前で待っていた。

 いつも通りだった。詩織が出てきて、悠馬が気づいて、並んで歩き始めた。

 手が来た。指が絡んだ。

 今日の詩織は、繋いだ手を、今まで見たことのない目で見た。

 外から見たら、これはどう見えるのだろう。

 住宅街を歩く男女が、手を繋いでいる。義理の姉弟だと知らない人が見たら、何に見えるのだろう。

 知っている人が見たら、どう見えるのだろう。

 詩織は前を向いた。

 悠馬の横顔を、二秒だけ見た。

 廊下ですれ違うとき、悠馬がちょっとだけ詩織の方を見る。本人気づいていないと思うけど。

 あの言葉が、今この瞬間もまだ頭の中にあった。

 悠馬は前を向いて歩いていた。

 今も、詩織の方を見ているのか、見ていないのかは、わからなかった。


 夜、詩織は部屋で一人だった。

 布団に横になって、天井を見ていた。

 今日の廊下での会話を、もう一度最初から思い返した。

 人間っぽい、という言葉。

 普通の人みたいな顔をする、という言葉。

 悠馬が詩織の方を見る、という言葉。

 全部を並べて、見た。

 詩織は今まで、自分の気持ちのことだけを考えてきた。好き、という言葉を受け取ってから、その重さと一緒に毎日を過ごしてきた。

 でも今日、初めて、外から見た視点が入った。

 外から見ると、何かが見えているらしい。

 そして、悠馬の側にも、何かがあるかもしれないらしい。

 詩織はそれを考えると、胸の中に、今まで感じたことのない種類の緊張が生まれた。

 今まで「自分だけが知っている」と思っていた。自分の中だけにある言葉だと思っていた。

 でも、外からは何かが見えている。

 それは、詩織の思っていた以上に、二人の間に何かがある、ということかもしれなかった。

 あるかもしれない、という言葉が、怖かった。

 怖かったのと同じくらい、どこかで息ができるような気がした。

 自分だけが抱えているわけではないかもしれない、という感覚が、初めて来た。

 来て、詩織はそれを受け取った。

 今夜も、来た言葉を全部受け取ることにしていたから。


 同じ夜、悠馬の部屋では。

 俺は布団に入って、天井を見ていた。

 今日、六時間目が終わってから廊下を歩いていたとき、クラスメイトの男子に声をかけられた。

「佐伯ってさ、一ノ瀬さんと本当に義理の姉弟なの?」

「そうだけど」

「なんか、一緒にいるところよく見るから。廊下でも、なんか、お前気づかないうちに見てるよ」

 俺は「そうですか」と言った。

 それだけで話は終わった。

 でも、「気づかないうちに見ている」という言葉が、今も頭の中にあった。

 気づいていなかった。

 自分では、そんなつもりはなかった。でも、外からそう見えているなら、おそらくそうなのだろう。

 俺は天井を見ながら、そのことを考えた。

 気づかないうちに見ている、ということは、見たくて見ているのか、それとも目が勝手に向くのか。

 どちらだろうと思った。

 しばらく考えて、わからなかった。

 わからなかったが、どちらだとしても、見ているのは本当だろうと思った。

 詩織の方を、俺は見ている。

 それは、たぶん本当だった。

 その事実を、今夜初めて、ちゃんと受け取った。

 受け取って、どうするかはわからなかった。

 ただ、受け取った。

 壁の向こうが、静かだった。

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