第9話 壁にぶつかる。よじ登る
西に続いて、翌日には杉も到着。
ここに幕末屈指の頭脳派チームが誕生した。
彼らはすぐに仕事に着手したが、いろいろと準備があるらしく、成果が出るのはいましばらく先になるだろうとのことだった。
(そういうことなら……)
土方は腕まくりした。
ただ待っているだけでは時間がもったいない。
(よっしゃ、おれが先行しよう)
(言葉遣い改革を始めるぜ!)
まずはテストケースとして若手隊士を十人選抜し、
「いいか、おめぇら!」
ジロリと睨みつけた。
「バカ。アホ。ドジ。間抜け。オタンコナス。うすのろ。うすのろ間抜け。へっぽこ。すっとこどっこい。クソ。能なし。役立たず。死ね。……あと何だ、『クソ』はもう言ったか?」
「へい、うかがいました!」
「よし。じゃあいま言った言葉は、今後禁句とする」
「き、禁句!?」
「そうだ。万が一にも口にした場合には」
「口にした場合には……」
「切腹だ」
「だと思った!」
十人は悲鳴を上げた。
◇◆◇◆◇
その日の夜。
若手隊士十人がパトロールから戻ってくると、
「おーい!」
土方は、同行していた沖田を呼び寄せて、
「連中はどうだった?」
と尋ねた。
すると沖田は、
「そうですねえ」
意味深な笑みを浮かべた。
「パトロール中に怪しいやつを見かけたら、普段は『おぅ、そこのクソ野郎。おめぇだよ。こっちにこい。殺すぞ!』と声をかけますよね?」
改めて聞かされると、
(……だいぶひでぇな)
ちょっと戸惑ってしまう土方だったが、
「まあ、そんなものだろう」
「それが今日は『そこのお兄さん、ちょっといいかな。ちょっとだけだからさ。ね、いまならちょっとだけだからさあ!』――とまあ、こうでさあ」
土方は呆れる。
「まるで客引きじゃねーか!」
「まるで客引きでさあ」
「ふーむ……」
「あるいは別のやつは、『あ、う……』と言ったきり口を閉じちまった。いまにも例の禁句が出てきそうだってんで、あとは全部、身振り手振りでさあ」
「……」
「不審者が気を回してくれましてね、『おや、この人は声が出せないのかな』と思ったんでしょうね、手話で対応してくれやした」
(親切な不審者だな……)
「それから」
沖田があごでしゃくった。
「ほら、やつらの顔を見てやってくださいよ」
土方が視線を向けると、
(え!?)
十人の顔は鬱血したように黒ずみ、おまけにフグのように膨らんでいた。
「おい、悪いものでも食ったのか!?」
「違いますよ」
沖田が笑った。
「『クソ』だの『死ね』だの、喉元まで出かかった言葉を必死に飲み込み続けた結果がアレでさあ」
「……」
「やつら、健気でしたよ。言いつけを守ろうとして必死でした。――禁句ってのは、どうもうちには合わないかもしれませんねぇ。さもないと、みんな病気になっちまう」
沖田の報告を受けて、
(やれやれ……)
土方は大きくため息をついた。
そもそも、新選組に入ろう、対テロ戦争の最前線に立とうなんて考えるやつは、気性の荒い者が多い。
言葉遣いを無理に正そうとすれば、なるほど、病気になってしまうというのもわかる気がする。
とはいえ、言葉遣いが荒すぎる、好感度アップのためには看過できないというのもまた事実だ。
あっちを立てればこっちが立たず、である。
(はて、どうしたものか……)
壁にぶち当たった土方だった。
◇◆◇◆◇
山南たちの前にも様々な課題が立ちはだかった。
しかし、だからといって諦めるような連中ではない。
新選組の拠点の一室にこもりきり、知恵を振り絞った。
行き詰まった時にはいつも、
「思い出すんだ!」
西がみなを鼓舞した。
「私たちは何をしているんだっけ? そう、『京都の人が新選組をどう見ているか』を明らかにしようとしているんだ。これってつまり、他人の頭の中を覗き見ようということだぞ。――どうだい?」
西はニヤリと笑った。
「そう考えると、たぎってくるだろ?」
「ウヘヘヘヘ!」
杉や秋月、さらには山南、それから助手たちが一斉に下卑た笑みを浮かべた。
たまたまその様子を見ていた原田は、目を丸くして、
「へ、変態がいますぜ!」
土方にささやきかけた。
知識人というのは、総じて変態なのかもしれない。
土方個人としては、変態だろうが何だろうが成果を出してくれればそれでいいのだが、とはいえ、
「おぅ、原田」
「へい」
「窓を全部閉めて、それから雨戸も引いてくれ」
「……目張りもですね?」
「だな」
「尻選組」の二の舞はごめんだった。
◇◆◇◆◇
山南たちの仕事をざっくり整理すると、以下のようになる。
まずは、アンケートを作る。
並行して、誰に訊くかを決める。
最後に、調査員がアンケート用紙を持って町を回り、回答を集める。
言ってしまえば、ただそれだけだ。
ただそれだけなのだが――これが一筋縄ではいかなかった。
特に厄介なのは、二番目の「誰に訊くか」。
そもそも、京都に住む三十万人全員にアンケートを行うのは不可能だ。
あまりにも時間がかかりすぎる。
お金だってかかりすぎる。
かといって、目についた人にテキトーに声をかければいいというものでもない。
もしも暇な人ばかりにアンケートを行ったら?
当然、暇人の頭の中しかわからない。
もしも商家の旦那にばかり訊いたら?
旦那の頭の中しかわからない。
今回目指しているのは「京都の旦那衆百人に訊きました」みたいなアンケートではないのだから、これではダメだ。
ではどうすればいいのか?
(どうすればいいんだ!?)
杉は頭を抱えた。
欧米の専門書を繰ってみた。
答えは見つからなかった。
鞍馬山の滝に打たれてみた。
何も閃かなかった。
杉は心の中で叫んだ。
(クソが!)
(このクソ本が! クソ滝が!)
(どいつもこいつも役に立たねー! みんなまとめて死んじまえ!)
――ひどい暴言である。
じつは、新選組の影響だった。
一緒に仕事をしているうちに悪影響を受け、こんな風になってしまったのだ。まったく新選組というのは病原菌みたいな連中である。近寄らないに限る。
(何かないか!)
(何かアイデアはないのか!)
昼夜を問わず考え続ける杉。
心労で三キロ痩せた。
そして、そんなある日のことだった。
杉が一人でウンウンうなっていると、
「ちょっとお邪魔しますよ」
どこからともなく謎の人物が現れた。
その人は、全身から金色の光を放っていた。
どう見てもこの世の者ではない。
ということは――、
(ゲッ!)
杉は腰が抜けるかと思った。
というか抜けた。
ヘナヘナとその場にしゃがみ込んでしまった。
「ああ……私は死んだのですね……」
あの世からのお迎えに違いない。
杉はガックリとうなだれた。
「妻よ許せ。思えば私はいい夫ではなかった。もっと優しくすればよかった。結婚記念日には花の一つも買って帰ればよかった。お前は尻が大きくて恥ずかしいとよく言っていたが、恥ずかしいものか、むしろそこがいいんじゃないかと伝えればよかった。ああ、まだまだ研究したいこともあったが、いまとなってはすべてが虚しい。諸行無常の響きあり……」
泣き出した。
それを見て、
「またこれだよ」
苦笑したのは金色の人。
「本当にやりにくいよなあ。知恵を授けに降臨したら、すぐに誤解されるんだもん。そして始まる涙ながらの人生反省会、ってね」
彼はしばしぼやくと、
「やれやれ」
首を二、三度振り、
「あのねぇ、私は天使ではありませんよ」
「えっ。で、では、死神!?」
「死神でもなくて」
「……私の魂を迎えにいらしたんですよね?」
「なんで私が、そんな配送業者みたいなことをするんですか」
「はあ……」
ここに至って、
(何か変だぞ)
杉は目を細め、ジッと相手を観察した。
すると、
(……あれ)
(この中性的で幼い顔立ち。団子状に結った髪。どこかで見たことがあるぞ)
で、気づいた。
「あなたはもしかして……文殊菩薩さまではありませんか? 知恵を司るというあの文殊菩薩さまでは!?」
いつだったか寺で見た文殊菩薩像にそっくりだったのだ。
「フフッ」
金色の人が笑った。
「ようやく気づいてくれましたか。いかにも私は文殊菩薩です」
文殊菩薩は、杉に知恵を授けにきたのだという。
「いいですか、杉よ」
「は、はい!」
杉は姿勢を正し、文殊菩薩の言葉を一言一句聞き漏らさないように意識を集中した。
「例えばですね」
「はい!」
「そうですねえ、京都に住む人の男女比が五対五だったとしましょうか」
(……ん!?)
菩薩の知恵ということで、不老不死の薬の作り方でも教えてくれるのだろうと思い込んでいた杉は、
(え、京都? 男女比?)
一瞬困惑したが、
(あ、そうか! 私は、誰にアンケートをすればいいのか悩んでいたのだった)
というわけで改めて背筋を伸ばし、
「京都に住む人の男女比が五対五だった場合、ですね?」
「ええ、そうです」
文殊菩薩は軽くうなずき、話を続けた。
「その場合には、アンケートの回答者の男女比も五対五になるように調整するのです」
「ほお……」
「性別だけではありませんよ。年齢。居住地。職業。それらの割合もすべて、現実と同程度になるように調整する。いわば『現実の京都の縮小版』を作るつもりで、回答者を決めなさい。そうすれば――」
「あ、もしかして」
「ええ、そうです。千人ほどの回答を集めるだけで十分。それだけで、三十万人にアンケートを実施したのに匹敵するほど信頼できる結果を得られるでしょう」
シンプルにして斬新なそのアイデアに、杉は目を見開いた。
「おん・あらはしゃのう!」
で、翌日である。
杉から話を聞いた原田は、
「へー!」
感嘆の声を漏らした。
「ねえ、副長! いまの聞きました? 文殊菩薩さまのお言葉って、えらい具体的で、実践的なんですねぇ。今日から使える豆知識、みたいな」
「うん、豆知識ではないけどな」
「神仏のお言葉なんてのは、もっとふんわりしたものだと思っていましたよ。すげーなあ、文殊菩薩さま!」
なお、文殊菩薩が教えてくれたやり方は、七十年後にアメリカで生まれることになる「クォータ・サンプリング法」と呼ばれる技法によく似ていた。
さすがは文殊菩薩、時を越える。




