第16話 アイ・ラブ・京都!
すべては順調に思われた。
――が。
近藤が五十一本目のみたらし団子を食っていた時のことである。
最後の一本を食って、あとはもう帰るだけ、金を払うのさえ忘れなければダ号作戦は大成功だという、まさにその時のことだった。
遠くの方から、
「ウォー!」
「キャー!」
人びとの叫び声が聞こえてきた。
近藤は他の客とともに身を乗り出し、首を伸ばし、一体何ごとかと様子をうかがった。
すると、五人の武士が鴨川沿いを走ってくるのが見えた。
しかも、
(ムムッ)
彼らは抜き身の刀を手にしていた。
近藤はピンときた。
(あれは不逞浪士!)
不逞浪士とは幕府の敵、新選組の敵である。
(ふーむ)
(あの切羽詰まった表情からして、人の二、三人は斬った後だな)
大方、どこかでトラブルを起こして逃げてきたのだろう。
浪士たちはチラチラッと背後をうかがいながら、「鴨葱」の方に走ってくる。
――近藤は考えた。
やつらの目的は、逃げることだ。
何もなければ「鴨葱」の前を通過してそのままどこかに消えるだろう。
つまり、ダ号作戦遂行中の近藤としては、放っておくのがベストということになる。
せっかく作戦が成功しそうなのだから余計なことはしない方がいい。
それはわかっていた。
そんなことはわかっていた。
しかし。
近藤は、手にしていた串をスッと口元に運ぶと、
(みんな、いまだけは約束を破ることを許してくれ!)
串には団子が二玉残っていた。
近藤はその二玉にまとめてかぶりつき、ゴクンと丸飲み。
そして縁台に腰かけたままグッと身を沈めると、
「いざ!」
跳んだ。
いや、飛んだ。
近藤の大きな体が、重力をものともせずに飛んだ。
まるで巨大人型ロボットが白煙を上げて飛び立つ発進シーンだが、では近藤の草履の裏にスラスターがあって、そこから炎が噴き出しているかといえば無論そんなことはなく、これはすべて、鍛え上げられた大臀筋と大腿四頭筋、それからハムストリングスと下腿三頭筋のなせる業だった。
近藤はバサバサッと羽織をはためかせ、浪士たちの前に降り立った。
仰天したのは浪士たちだ。
いかついオッサンがいずこからか降ってきたのだから、そりゃびっくりだ。
思わず足を止めた。
リーダーと思われる男が叫んだ。
「な、何やつ!?」
近藤は
「フッフッフッ……」
意味深な笑い声を漏らした。
それから、妙に芝居がかった口調でこう言った。
「問われて名乗るもおこがましいが、知らざあ言って聞かせやしょう。――この町を守護する盾になりたくて、やってきました東海道。京の人びと守るため、今日も振るおう正義の刃。新選組局長・近藤勇たあ、おれのことだ!」
近藤はカッと目を見開き、ドンと見得を切った。
それでもまだ足りなかったらしい、
「アイ・ラブ・京都!」
と最後に付け足した。
――土方は目を疑った。
(な、何だいまのは!? あんなの初めて見たぞ!)
じつは好感度爆上げ作戦が始まり、土方たちが奮闘する中、
(おれにも何かできないだろうか)
(おれだって新選組のために何かしたいのに)
近藤は悶々としていた。
そんな時に、あの窒息騒動だ。
団子が喉に詰まって死にかけた際、近藤はこの世とあの世のはざまとしか言いようがない場所で、金ぴかに輝く人物と出会ったのだった。
金ぴかの人は言った。
「近藤よ、『白浪五人男』を見に行きなさい」
「……はい?」
「絶賛ロングラン公演中の歌舞伎『白浪五人男』です。きっと悩みが解決しますよ」
(何のこっちゃ?)
困惑しつつも、近藤は根が素直だからその言葉にしたがった。
そして、
「問われて名乗るもおこがましいが」
から始まるあの有名な場面、主人公たちが格好よく名乗りを上げるあの場面を目にして、
(これだ!)
そこからは、辞書との格闘の日々だった。
辞書を引き引き、ああでもないこうでもないと頭を巡らせて口上を作り上げ、ついにいま、初披露に至ったという次第である。
さて、突然の口上に驚いたのは土方だけではなかった。
浪士たちも
「……へ?」
唖然としていた。
一方、その場に居合わせた京都の人びとの反応は違った。
すぐに
「オオー!」
とどよめきが上がり、
「待ってましたっ!」
だの、
「日本一っ!」
だのと、かけ声が飛んだ。
さらには、
「いよっ、新選組っ!」
「京の治安は任せたぞっ!」
――さすがは文化都市・京都の人びとだ。
普段から歌舞伎に親しんでいるだけのことはある。
おまけに、何を隠そう近藤がいまいる四条河原は、歌舞伎発祥の地。
そりゃ、かけ声だって飛ぶのである。
中には、
「いよっ、新鮮野菜っ!」
と間違った声も聞こえるが――いずれにしても近藤の口上は大ヒット、京都人にメチャクチャにウケたのだった。
◇◆◇◆◇
この近藤勇フィーバーに、
「ゲッ!」
愕然としたのは不逞浪士たちだった。
新選組にとっては敵にすぎない彼らだが、彼らには彼らなりの正義がある。
「真にこの国のことを考えているのはおれたちの方だ!」
という信念がある。
「おれたちは、この国の民のために戦っているんだ!」
という自負がある。
だから、
「ててて、てめぇら!」
群衆に向かって叫んだ。
「ふざけるな! なにが『日本一っ』だよ!」
別の浪士も、
「あんたら、わかっているのか!?」
唾を飛ばした。
「新選組ってのは幕府の犬だぞ! 権力の犬! 犬畜生! 恥ずべき犬っころなんだぞ!?」
その言葉に、
(おっとっと)
と土方。
(そのセリフは悪手じゃねーかなあ……)
と思った。
事実、悪手だった。
群衆の中にいた芸者が、
「ちょいとあんた!」
声を荒げた。
「さっきから犬、犬、犬、犬と……犬を侮蔑するのは、あたしが許さないよ!」
浪士は
「え!?」
びっくりして、
「……ち、違う!」
慌てて叫んだ。
「おれは犬を侮蔑しているんじゃない!」
(犬の扱いってのはほんと難しいよなあ)
土方は敵ながら同情してしまう。
浪士は誤解を解こうとして言葉を尽くした。
「おれが侮蔑しているのはあくまでも新選組。犬はメタファーとして取り上げたにすぎず……」
だがダメだった。
「フンッ! 難しいことを言って誤魔化そうとしたってそうはいかないよ!」
芸者が下駄を投げつけた。
「痛っ!」
群衆の中からまた声が上がった。
「不逞浪士ってのは、いつもこうなんだよ!」
ねじり鉢巻きの魚屋だった。
「自分たちだけが世の中をわかっているみたいな顔をしやがってさ。おれたちをバカにしているのさ。本当に嫌なやつらだぜ!」
吐き捨てるように言って、石を投げつけた。
「コ、コラッ!」
「あたしにも言わせておくれ!」
お次は茶屋の女将さんだ。
「本当にもう……天誅だかチューチューだか知らないけどさ、あんたらが暴れるせいでこっちは商売あがったりだよ!」
そうまくし立て、包丁を振りかぶった。
不逞浪士が悲鳴を上げた。
「ちょっ! それはマジで死ぬ!」
◇◆◇◆◇
暴動でも起こりそうな雰囲気だった。
いまは自制している浪士たちだって、このままではいずれ群衆に刃を向けかねない。そうなれば大惨事だ。
というわけで、
「待った!」
近藤が声を上げた。
「お待ちなさいよ、女将さん。そこのお兄さんもだ。はい、ストップストップ。拳なんて上げないの。下ろして下ろして!」
怒号が少し収まったところで、
「――ねえ、みなさん」
近藤は語りかけた。
「ここはおれに任せてくださいよ。みなさんの手は血で汚しちゃいけない。その手は何のためにあるんです? 大切な人を抱き締めるためでしょう? 涙をぬぐったり、誰かを支えたりするためでしょう?」
群衆の振り上げた拳が、一つ、また一つと下りていった。
近藤はそれを見届けると、
「なあ」
浪士たちに向き直った。
「あんたらも同意してくれるよな? 手を汚すのはおれたちの仕事だって」
浪士のリーダーが、
「フッ」
口の端で笑った。
「さすがは新選組の局長さんだな。気に入ったよ。――お言葉通り、やろうじゃないの」
リーダーが手で合図すると、浪士たちの刀が近藤に向けられた。
夕日を反射して、ギラギラと光っていた。
「さあ抜けよ、局長さん!」
これにはさすがの群衆も静まり返った。
みなが固唾を呑んで、近藤の抜刀を待った。
ところが、
「おれはいいよ」
と近藤。
呑気に笑いながら、腰にぶら下げた愛刀・長曽祢虎徹の柄をポンと叩いてみせた。
「あんたらみたいなチンピラ相手にこいつを抜いちゃあ、恥ってもんさ。――おれはこっちで十分だ」
近藤が、スーッと右手を伸ばした。
その手には、竹串が握られていた。
最後に食べたあのみたらし団子の串である。
群衆から、
「プー、クスクスクス」
笑い声が漏れた。
一方、浪士のリーダーはギリギリギリと奥歯を噛みしめ、
「殺す!」
と叫んだ。
「近藤、お前は必ず殺す!」
顔が梅干しのように赤黒くなっていた。




