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第24話 元家族の来訪


 家族が辺境へ向かっていると聞いてから、二日が経った。


 いつ来てもおかしくない。


 そう思うと、工房の扉についた鈴が鳴るたび、少しだけ身体が強張る。

 それでも、仕事はいつも通りだった。


 保存インクの注文や修復途中の魔導書があり、午後には防水インクの受け渡しもある。

 家族が来るからといって、それらがなくなるわけではない。


 むしろ、こうして筆を動かしている方が落ち着いた。


「リネットさん、保存インク三本、受け渡し終わりました!」

「ありがとうございます。防水インクは午後でしたよね」

「はい。そっちは準備できてます」


 ノエルが注文書に印をつける。

 私は修復中の魔導書へ視線を戻した。


 消えかけた文字へ細い筆を入れ、魔力の流れを確認する。


「……意外と普通ですね」

「何がですか?」

「もっとそわそわするのかなって思ってました。ご家族が来るんですよね?」

「していますよ。少しだけ」

「リネットさんの今回の『少し』は信用していいんですか?」

「今回はいいと思います」

「種類があるんですね」


 仕事量について『少し』を使うと、ほとんど信用されない。

 納得がいかないけど。


 その時……工房の外から、馬車の音が聞こえた。

 荷馬車より重い音。何頭かの馬が石畳を踏み、工房の前で止まる。


 ノエルが窓の方を見る。


「……立派な馬車ですね」


 私も顔を上げた。

 窓越しに見える黒い車体。その扉には、見慣れた紋章が刻まれている。


 エルフォード家だ。


「来ましたね」

「はい」


 自分でも驚くほど、声は普通だった。


 指先についたインクを布で拭い、立ち上がる。

 その間にも馬車の扉が開く音がした。


 ほどなくして、工房の鈴が鳴った。

 最初に入ってきたのは父だった。


 その後ろに母、マリエル、セドリックが続く。

 数か月ぶりに見る家族。


 父は少し痩せ、母の表情には余裕がなく、マリエルも以前より疲れて見えた。


「リネット、ようやく見つけたぞ」


 最初の言葉は、それだけだった。

 久しぶりだ、とも。

 元気だったか、とも。


 そんな言葉は一つもない。

 父は私より先に工房の中を見回した。


 そして、顔を歪める。


「随分、好き勝手に商売をしてくれたな」


 その言葉を聞いて、なぜか少しだけ安心した。

 何か変わっているかもしれないと思っていたけれど。


 そんなことはなかったらしい。


「ここは私の工房ですから」

「何?」

「自分の工房で仕事をしているだけです」


 父の眉が寄る。


 机の上には私の名前で受けた注文書がある。

 棚の商品も、全部私が作ったものだ。


 ここは、エルフォード家の工房ではない。


「商会の状況は知っているか?」

「はい、なんとなくは」

「なら話は早い。荷物をまとめろ。すぐに王都へ戻るぞ」

「戻りません」


 父が一瞬、黙った。

 まるで、その答えを想像していなかったようだった。


「……何だと?」

「戻りません」

「ふざけるな。商会では仕事が滞っている。保存インクも杖用インクも作り直さなければならん。お前が戻れば、すぐに立て直せる」


 父は工房の奥を見る。


「それから、冷蔵箱の術式と配合表も持って帰れ。あれも商会で扱う」

「それはできません」

「なぜだ」

「ここは私の工房です。冷蔵箱も、保存インクも、防水インクも、エルフォード商会のものではありません」

「誰のおかげで技術を学べたと思っている!」


 声が大きくなる。

 ノエルが少し身構えたのが見えた。


 私はその場から動かなかった。


「商会にいたことは事実です。でも、配合を考えたのも、失敗して作り直したのも私です」

「家の工房で作ったものだろう!」

「だから、家にいた頃の商品については何も持ち出していません」


 研究帳も。配合表も。道具も。

 持ってきたのは、自分で買ったものだけだった。


「冷蔵箱は辺境へ来てから作ったものです。エルフォード商会には関係ありません」


 父は何か言おうとして、言葉を詰まらせた。

 代わりに母が一歩前へ出る。


「商会が潰れてもいいの? 家族が困っているのよ。あなたが少し我慢すれば、みんな助かるのよ」

「……我慢、ですか」


 その言葉には聞き覚えがある。


 家族だから。姉だから。マリエルには才能があるから。

 私は少し我慢すればいい。


 ずっと、そうだった。


「私一人が我慢し続けなければ維持できない商会なら、最初から成り立っていなかったのだと思います」


 母の顔が強張った。


「何てことを言うの。家族でしょう?」

「ええ。家族だから、今までずっと我慢していました」


 それだけ答える。


 今さら、昔のことを全部並べるつもりはなかった。

 理解してもらうために話しているわけではない。


 戻らないと伝えるために話している。


「リネット」


 今度はセドリックだった。

 以前と同じ、少し困ったような顔で私を見る。


「君がマリエルを妬んでいることはわかる。婚約のこともあるだろう。だが、いつまでも意地を張っていても仕方がない」

「妬む?」

「ああ。今なら商会で以前より良い立場を用意してもらえるよう、私からオズワルド様にも話そう」


 私は少しだけ首を傾げた。

 どうしてこの人はまだ、自分の言葉なら私が聞くと思っているのだろう。


「必要ありません」

「リネット……!」

「あなたはもう、私の婚約者ではありません。私の人生を決める権利もありません」


 セドリックの表情が固まる。


「そんな言い方をする必要はないだろう」

「あります」


 私は隣にいるマリエルを見る。


「あなたが選んだのはマリエルです。今度こそ、あなた自身で支えてあげてください」

「……」


 セドリックは黙った。


 数か月前なら、もっと言葉を選んだと思う。

 傷つけないように、怒らせないように。


 でも、もう必要なかった。


「ひどい……」


 マリエルの声が聞こえた。


「お姉様、そんな言い方しなくてもいいじゃない。全部、私が悪いみたいに」

「そうは言っていないわ」

「言ってるじゃない!」


 マリエルの声が工房に響く。


「お姉様は、私が天才だから悔しいだけでしょう! 昔からそうだったわ。私の方が魔力が多くて、みんなに褒められて。それが嫌だったんでしょう!」


 そう言われても……不思議なくらい何も感じなかった。


「あなたが天才かどうかは、私には関係ないわ」

「……え?」

「ただ、あなたが天才と呼ばれるために、私が働く必要はないと言っているだけ」


 マリエルの顔が赤くなる。


「私一人でもできるわ!」

「そう」

「お姉様のインクなんてなくても!」


 そう言って、マリエルが杖を取り出した。

 その瞬間、嫌な予感がした。


 マリエルが取り出した杖を見た瞬間、私は眉を寄せた。


「……その杖」

「覚えてるでしょう?」


 もちろん覚えている。

 家を出る三日前、私が最後に調整した杖だった。


「だったら証明してあげる。お姉様のインクなんてなくても、私は天才魔術師なのよ!」

「待って。その杖はもう――」


 言い終わるより先に、マリエルが魔力を流した。

 杖の先に白い光が集まり、細長く伸びていく。


 それが翼になり、尾羽になり、やがて一羽の大きな鳥の形を作った。

 一瞬だけなら、以前と同じに見えた。


 けれど、私にはすぐに違いがわかった。

 以前なら杖の中で均等に分かれていたはずの魔力が、ところどころで詰まり始めている。


「マリエル、止めて!」

「嫌よ!」

「杖の調整が崩れてる。このまま魔力を流したら、形を保てなくなる!」

「そんなの関係ないわ!」


 マリエルは聞かなかった。

 むしろ、崩れかけた魔法を力で押さえつけようとするように、さらに魔力を注ぎ込んだ。


 それが一番いけないのに。


「私は天才なの! これくらい私一人で――!」

「マリエル!」


 次の瞬間、鳥の形を保っていた光が、一気に崩れた。

 残ったのは、制御されていない大きな魔力の塊だけだった。


 それが弾けるように横へ逸れ、工房の奥へ飛ぶ。

 その先にあるのは、私の作業机だった。


 研究帳も。調合道具も。預かっている魔導書も置いてある。


「っ!」


 考えるより先に身体が動いた。

 けれど、私が机へ向かうより早く、工房の扉が勢いよく開いた。


「――下がれ!」


 聞き慣れた声と同時に、強い魔力が横から走る。

 飛んできた光の塊を包み込み、その勢いごと押さえつける


 暴れていた魔力が一度大きく揺れた後、細かな光の粒になって散っていった。

 工房の中が、一瞬だけ白く明るくなる。


「きゃっ!」


 同時にマリエルの杖から乾いた音がした。

 柄の中央に亀裂が入り、そのまま手から滑り落ちる。


「ルーカス様……」

「危ないところだったな」


 入口に立っていたのはルーカスだった。

 その後ろにはアベルもいる。


 ルーカスは工房の中を一度見回した。

 表情そのものはいつもと大きく変わらない。


 でも、怒っている。

 最近はそれくらいなら、顔を見ればわかるようになっていた。


「天才魔術師を名乗るのは勝手だ」

「な、何よ……」

「だが、今の魔法を見て、自分一人の力だと言うつもりか?」

「これは、私の魔法よ!」


 マリエルはすぐに言い返した。


「私が魔力を出して、私が鳥を作ったの! お姉様は何もしてないわ!」

「なら、なぜ途中で崩れた?」

「それは杖が悪くて――」


 そこまで言って、マリエルが止まった。

 ルーカスは何も言わず、床に落ちた杖を拾い上げる。


 亀裂の入った柄を確認し、その表面に刻まれている細かな術式へ目を向けた。


「魔力をいくつかに分け、流れを整えてから先端へ送る術式だな」


 私は少し驚いた。

 そこまで見ただけで、ほとんど仕組みを理解している。


「この術式を書いたのは誰だ?」


 マリエルは答えない。


「杖用インクを調整したのは?」


 今度はルーカスが私を見る。


「リネット」

「はい。私です」

「いつだ?」

「家を出る三日前です。マリエルの魔力が一気に流れ込まないように術式を刻み直して、専用インクも調整しました」


 ルーカスが小さく頷く。


「今の魔法も、最初に鳥の形までは作れていた。古い術式とインクが、まだ完全には機能を失っていなかったからだろう」

「はい。ただ、長く調整されていないので、途中から魔力の流れが偏りました」

「それを力で押し切ろうとして、制御を失った」

「……はい」


 マリエルの顔が強張る。


「違うわ……」


 小さな声だった。


「私は、ちゃんと魔法を出せたもの……」

「魔力を出したのはお前だ」


 ルーカスの声は静かだった。


「だが、その魔力を安定させ、形にしやすくしていたのはこの杖だ。そして、その杖を作り上げたのはリネットだろう」

「違う!」

「何が違う?」

「だって、私は天才なのよ!」


 ルーカスはしばらくマリエルを見た。


「なら、なおさら他人の仕事まで、自分の才能に含める必要はないはずだ」

「……っ」


 マリエルが言葉を失う。

 その沈黙を壊すように、父が前へ出た。


「もういい!」


 工房の中に怒鳴り声が響く。


「これは家族の問題だ! 部外者が口を挟むな!」

「家族の問題?」

「ああ! リネットは私の娘だ。どうするかは我々で話す!」


 ルーカスの目がわずかに細くなった。


「なら、まず本人の話を聞いたらどうだ」

「何?」

「彼女は先ほどから何度も、戻らないと言っていると思うが」


 父が黙る。

 ルーカスはそのまま私の隣に立っていた。


 庇うように立ちながらも、代わりに答えることはしない。


「何度でも言いましょう」


 私は家族の前で宣言する。


「私は、戻りません。私の場所は、ここですから」


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― 新着の感想 ―
>母の顔が強張った >「何てことを言うの。家族でしょう?」 あなた方は家族(リネット)の為に何を我慢したの? >「だって、私は天才なのよ!」 天才なら一人でなんとかすれば?
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