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第23話 元家族の現状を知る


 体調を崩してから数日が経ち、私はようやく工房へ戻っていた。


 熱も下がった。身体も重くない。

 もう普通に働ける、そう思っていたのだけれど……。


「リネットさん」

「はい?」

「今日は何本作る予定ですか?」


 ノエルが、作業机の上に並んだ空瓶を見ながら聞いてくる。


「保存インクを五本です」

「三本にしてください」

「注文は五本あります」

「では、二本は明日のリネットさんにお願いします」

「同じ私ですが」

「今日のリネットさんより、明日のリネットさんの方が休んでいます」

「……なるほど」


 少し納得しそうになった。

 でも、よく考えると仕事が二本残るだけだ。


「明日の私が困りませんか?」

「明日のリネットさんなら大丈夫です」

「随分信頼されていますね」

「今日のリネットさんよりは」


 厳しい……。

 私が工房主のはずなのだけれど、最近はノエルの方が、私の仕事量を決めている気がする。


「ルーカス様からも、無理をさせないように言われていますから」

「ルーカス様が?」

「はい。アベル様からも」

「いつの間に……」

「リネットさんが寝ている間です」


 私の知らないところで、監視体制が強化されていたらしい。

 仕方なく空瓶を二本、棚へ戻す。


「三本だけにします」

「よろしいです」

「ノエルさんは、だんだん私への扱いが雑になっていませんか?」

「仲良くなった証拠ですよ」

「そういうものですか?」

「そういうものです」


 ノエルが笑う。なら、悪くはないのかもしれない。

 私は三本分だけ材料を並べた。


 ちょうど一本目を調合し始めた時。

 工房の扉につけた鈴が鳴る。


「いらっしゃいませ!」


 ノエルが店先へ向かう。

 すぐに、聞き慣れた声がした。


「邪魔をする」

「ルーカス様?」


 声に反応して顔を上げる。

 ルーカスが工房へ入ってきた。後ろにはアベルもいる。


「体調は?」

「もう大丈夫です」

「本当に?」

「はい」

「今日は何本作る?」

「三本です」


 ルーカスが少し意外そうな顔をする。

 ノエルが横から言った。


「私が減らしました」

「そうか」


 なぜ少し安心した顔をするんだろうか。


 ただ今日は、いつものように商品を確認しに来たわけではないらしい。

 ルーカスの表情が少し硬い。


「リネット。話がある」

「何でしょう?」

「少し時間をもらえるか」

「はい、奥を使いますか?」

「そうしてもらえると助かる」


 ノエルを見ると、彼女は一つ頷いた。


「わかりました。お店は見ておきます」

「お願いします」


 私はルーカスとアベルを、工房の奥にある小さな作業部屋へ案内した。

 机の上を片づける。


 そこへアベルが、何枚かの書類を置いた。


「これは?」

「エルフォード商会について調べたものだ」


 その名前を聞いただけで、胸の奥が少しざわついた。


「私の実家を?」

「ああ」

「どうして……」

「以前から調べさせていた」


 ルーカスは隠さなかった。


「君が自分の技術についてほとんど話さないこと。それだけの腕があるのに、王都で名前が知られていなかったことが気になっていた」


 私は資料を見る。

 一枚目。


 『魔力軽減インク、考案者マリエル・エルフォード』


 二枚目。

 『保存用魔法インク、エルフォード商会独自開発』


 三枚目、杖用インクの性能について。

 こちらも、マリエルの魔法理論を応用したものとして紹介されていた。


「……」


 知っている、全部。

 どれも、自分が作ったものだから。


 さらに資料をめくる。

 魔導書修復。


 『会長オズワルド・エルフォードの指導の下、商会技術部門が独自の修復技術を確立』


 そこにも、私の名前はなかった。


「報酬記録も調べた」


 アベルが静かに言う。


「リネット様個人へ、開発者として支払われた記録はありません」

「……そうでしょうね」


 思ったより、声は落ち着いていた。


「家の仕事でしたから」

「君は、それでいいと思っていたのか?」


 ルーカスの問いに、私は少し考える。


「昔は……家族のためなら、それでいいと思っていました」


 マリエルが褒められる。

 父が喜ぶ。商会の売り上げが伸びる。

 それが自分の仕事なのだと思っていた。


「でも最後は、婚約者までマリエルに渡されました」


 ルーカスの顔が止まる。


「……婚約者?」

「はい」


 そういえば、詳しく話したことはなかった。


「セドリックという方と婚約していました。でも、マリエルの方が相応しいと言われて」

「誰に?」

「父にも、本人にも」


 アベルも黙っている。

 私は続ける。


「婚約を破棄された後、父から言われたんです。マリエルの次の発表に使うインクを作れ、と」


 今でも覚えている。

 婚約者を奪われた。功績も奪われた。

 それでも、仕事だけは続けろと言われた。


「その時、初めて嫌だと思いました」


 言葉にすると、自分でも少し不思議だった。

 ずっと耐えてきたはずなのに。

 最後の一言で、全部が切れた。


「家を出ると言った時も、父が心配したのは私ではありませんでした」

「……インク、商品か」

「はい」


 ルーカスは何も言わない。

 でも、明らかに怒っている。


 表情は静かで声も出していないのに、わかる。

 古い工房で職人のガルトの話をしてくれた時と、少し似ていた。


「エルフォード商会は、今かなり危険な状態にある」

「危険?」

「破綻寸前だ」


 アベルが別の資料を出す。

 契約解除、返品、損害賠償、借金、などなど……。

 そこに並ぶ数字を見る。


「……かなりですね」

「ああ」

「あと数か月持つかどうか、と見ています」


 アベルが言う。

 私は資料を見たまま、しばらく黙った。


 驚きはある。

 でも、かわいそう、とはすぐには思えなかった。


「ルーカス様」

「何だ?」

「いつから、このことを調べていたんですか?」

「少し前からだ」

「どうしてですか?」

「不自然だったからだ」

「不自然?」

「君ほどの腕がある職人なら、王都で何かしら名前が残っているはずだ」


 ルーカスは資料を一枚取る。


「だが、調べても出てくるのはエルフォード商会と、マリエル・エルフォードの名前ばかりだった」

「……」

「だから、何か事情があるとは思っていた」

「それなら、どうして私に聞かなかったんですか?」


 ルーカスは少しだけ考える。


「君が話したくないことなら、無理に聞く必要はないと思った」

「……そうですか」

「調べたのも、君の過去を暴くためではない」


 ルーカスの視線が、机の上の資料へ落ちる。


「君の技術が、この先また誰かのものとして扱われる可能性がないか確認したかった」


 その言葉で、冷蔵箱に取りつけられた金属板を思い出した。


 『術式・専用インク製作、リネットの魔法インク工房』


「だから……私の商品には、必ず工房の名前を入れてくださったんですね」

「ああ」


 ルーカスが頷く。


「作った者の名前は、作った者のものだ」


 以前、古い工房で聞いた言葉。

 ガルトという職人の話をしてくれた時と、同じだった。


「君の名前が、また誰かに奪われることだけは避けたかった」


 胸の奥が、少しだけ強く鳴った。

 私はルーカスを見る。


 ただ腕のいい職人だから、大切にされている。

 今までは、そう思っていた。


 でも、私が知らないところで。

 過去のことまで考えてくれていた。


「……ありがとうございます」

「ああ」


 目が合う。

 なぜか、そのまま見ているのが少し落ち着かなくなって、私は資料へ視線を戻した。


 きっと、嬉しかったからだ。

 自分の仕事を守ってもらったことが。

 それ以上の意味に考えてはいけない。


 ルーカス様は領主様で。

 私は、この土地で工房を開いている一職人なのだから。


「それと」


 ルーカスの声が少し低くなる。


「君の家族が、こちらへ向かっている」

「家族が?」

「ああ」

「……どうして私の居場所が?」

「冷蔵箱だ」


 ルーカスが机の上の資料を指す。


「辺境で新しい保存用魔道具が売られているという話が、王都の商人にも届き始めている。その資料に、君の工房の名前が載っていたらしい」

「……なるほど」


 『リネットの魔法インク工房』


 今では冷蔵箱にも、保存インクにも。

 きちんと私の名前がついている。


 それを嬉しいと思っていた。

 でも当然、王都の家族が目にする可能性もあったのだ。


「早ければ、数日中にはこちらへ着くだろう」

「そうですか……」


 胸の奥が、少しざわつく。

 父なら、きっと商会へ戻れと言う。


 マリエルのためにインクを作れ。商会を立て直せ。

 以前と同じように。


「会いたくないなら、会う必要はない」


 ルーカスが言った。

 私は顔を上げる。


「領主館から、そう伝えることもできる。だが、会って話したいなら止めない」


 ルーカスは私の代わりに決めようとはしなかった。


「君は、どうしたい?」


 今度は、迷わなかった。


「戻りません」


 はっきり答える。


「エルフォード商会にも、家にも」

「そうか」

「もう、マリエルのためにインクを作るつもりもありません」


 私は工房の方を見る。

 扉の向こうから、ノエルが客と話している声が聞こえる。


 棚には、自分で作った商品。

 机には、自分の名前で受けた注文書。

 以前の家にはなかったものが、ここにはある。


「私は、ここで仕事を続けたいです」

「ああ」


 ルーカスは、それ以上何も聞かなかった。


「わかった。なら、そうすればいい」


 あまりにも簡単に言われて、私は少しだけ目を瞬く。


「……それだけですか?」

「他に何か必要か?」

「いえ」


 思わず、小さく笑ってしまう。

 ルーカスもわずかに口元を緩めた。


「家族が来た時に、君が自分で話したいならそうすればいい。話したくないなら、私が追い返す」

「追い返すんですか?」

「私の領地だからな」

「領主様は便利ですね」

「こういう時くらいは使ってくれ」


 少しだけ、肩の力が抜けた。


「ありがとうございます」

「ああ、ただし」

「はい?」

「今日は仕事を三本で終わらせろ」

「……今、その話に戻りますか?」

「重要な話だ」


 奥の扉の向こうから、すぐに声が飛んできた。


「ルーカス様、その通りです!」


 私は扉を見る。


「ノエルさん、聞いていたんですか?」

「最後のところだけです!」

「どこからが最後ですか?」

「……戻りません、くらいから?」

「かなり前ですね」


 絶対に、ほとんど聞いている。

 私は小さく息を吐いた。


 家族が来ることへの不安は、まだ消えていない。

 でも、一人で向き合わなくていいと思えるだけで。


 さっきより少しだけ、胸の奥が軽くなっていた。



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