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第22話 元家族の足掻き


 エルフォード商会の会長室に、重い沈黙が落ちていた。


 机の上には、何冊もの帳簿。

 その横には、返品された商品の一覧。


 損害賠償の請求書。契約打ち切りの通知。

 どれも、見なかったことにはできないものばかりだった。


「……これは、どういうことだ」


 会長のオズワルドが、低い声で言う。

 向かいに立っていた経理担当の男は、視線を落とした。


「先月分まで含めますと、保存インクの返品が四十八件です」

「四十八?」

「はい。大口の食品商からの注文分も、ほぼすべて戻されています」


 保存していた野菜が傷んだ。薬草が駄目になった。

 冷暗所で保管していたはずの商品に異常が出た。

 そうした苦情が相次いでいる。


「さらに、食品商二社と薬師組合から損害賠償を求められています」

「そんなもの、インクだけが原因とは限らないだろう!」

「先方は、同じ条件で他社製品へ切り替えた後は問題が出ていないと」

「っ……」


 オズワルドの顔が歪む。

 それだけではない。


 魔力軽減インクを使った魔道具でも、不具合が続いていた。

 本来なら魔力消費を抑えるはずが、逆に流れが不安定になる。


 杖用インクも以前ほどの増幅効果が出ず、長年契約していた魔術師たちが次々に離れている。

 そして……。


「こちらは、昨日届いたものです」


 経理担当が一通の書類を差し出した。


「王宮納品分について、契約解除の正式通知です」

「……王宮、だと?」

「はい」


 オズワルドは紙を掴む。

 文字を追う。


 品質の安定性に疑問がある。納期の遅れも続いている。今後の調達先を見直す。

 丁寧な言葉で書かれていたが、内容は明確だった。


 もう、エルフォード商会の商品は要らない。


「ふざけるな……」


 紙を机へ叩きつける。


「たった数か月で、なぜここまで落ちる!」


 誰も答えなかった。

 答えられないのではなく、答えを知っているからだった。


「魔導書修復の件もあります」


 別の職人が言った。

 年配の男だった。以前から商会の工房で働いている。


「何だ」

「先日預かった伯爵家の魔導書ですが……修復に失敗しました」

「何?」

「消えた文字を戻そうとして、術式が崩れました」

「直せ!」

「もう無理です」


 男は静かに答える。


「修復ではなく、損傷になっています」


 オズワルドの顔色が変わる。


「貴族から預かった品だぞ!」

「……存じています」

「では、なぜそんな失敗をした!」

「リネット様が使っていた修復用インクを、今の職人では再現できないからです」


 会長室の空気が止まる。


「また、その名前か……!」


 オズワルドが吐き捨てる。


「何でもかんでもリネットのせいにするな!」


 職人が顔を上げた。


「逆です」

「何?」

「今まで、何でもリネット様がやっていたのです」


 オズワルドの眉が寄る。


「保存インクも。杖用インクも。修復用インクも」

「職人は他にもいただろう!?」

「いました」

「なら――」

「ですが、最後の調整はほとんどリネット様でした」


 男の声は淡々としている。


「他の職人が作ったものも、最後に確認していた。配合がずれていれば直していた。術式の流れがおかしければ修正していた」

「そんなことは聞いていない!」

「誰も聞かなかったのでしょう」


 オズワルドが睨む。

 だが、男は目を逸らさなかった。


「娘一人がいなくなったくらいで、商会が傾くなどあり得ん」

「その娘一人が、商会の技術部門をほとんど支えていたのです」

「……」

「もう、私たちにも限界です」


 その言葉に、オズワルドが反応する。


「限界とは何だ」

「今月で辞めさせていただきます」

「は?」

「私だけではありません」


 工房の職人は、この数か月でかなり減っていた。

 注文は減っている。

 それなのに、失敗した商品の作り直しは増える。


 客からは怒鳴られる。

 給金の支払いも遅れ始めている。

 残る理由がなかった。


「恩知らずが……!」


 オズワルドが吐き捨てる。

 職人は何も答えず、頭を下げて部屋を出ていった。


 扉が閉まって残ったのは、帳簿と請求書だけだった。


 その日の夕方。

 オズワルドは屋敷の応接室に、ヴィオラとマリエルを呼んだ。

 少し遅れて婚約者のセドリックも来る。


「あと三カ月ほどだ」


 開口一番、オズワルドが言った。


「何がですの?」


 ヴィオラが首を傾げる。


「商会だ」

「商会?」

「このままなら、三カ月も持たん」


 マリエルの顔から笑みが消える。


「……そんなに?」

「損害賠償。借金。返品。契約解除……」


 帳簿を机へ置く。


「屋敷の一部と、郊外の土地を売っても足りない」

「でも、また融資を受ければ……」


 ヴィオラが言う。


「素材商からも、今後は前払いでなければ売らないと言われた」

「そんな……!」


 信用がなくなれば、金だけでは済まない。

 今までなら後払いで仕入れられていた魔法素材も、先に現金を出さなければ買えない。

 だが、その現金がない。


「商業組合からも通知が来た」


 オズワルドが紙を見せる。


「次の支払いができなければ、営業資格を停止するそうだ」

「そんなの酷いわ!」


 ヴィオラが眉をひそめる。


「長年あれだけ取引してきたのに……!」

「金を払えない商会に、長年も何もないんだってな」


 珍しく、オズワルドが妻へ苛立った声を向ける。

 ヴィオラは不満そうに口を閉じた。


「どうしてこんなことになったのよ」


 マリエルが呟く。


「……お姉様が、途中で投げ出したからよ」

「そうだ……!」


 オズワルドがすぐに頷く。


「リネットが最後まで責任を持っていれば、こんなことにはならなかった!」


 誰も、リネットへ仕事を押しつけていたからだとは言わなかった。

 そこへ――。


「マリエル」


 セドリックが低い声で呼ぶ。


「先日の披露会のことだが」


 マリエルの顔が強張る。


「今、その話をするの?」

「無関係ではない」


 数日前。マリエルは、王都の貴族たちが集まる魔法披露の場へ招かれていた。

 以前は天才魔術師と、そう呼ばれていた。

 だが、今回も違った。


 『また失敗?』

 『最近、多くないか?』

 『リネット嬢がいなくなってからでは?』


 会場で響く小さな声。

 けれど、マリエルにははっきり聞こえた。


「杖が悪かったのよ」


 思い出しただけで、苛立ちが込み上げる。


「今の杖用インクがおかしいの。前みたいに魔力が流れないもの」

「そのインクも、エルフォード商会の商品だろう」


 セドリックが言う。


「だから困っているのよ!」

「周囲では、別の噂も出ている」

「何?」


 少し言いにくそうにしてから。

 セドリックは口を開いた。


「君の魔法は、リネットがいなければ成立しなかったのではないかと」

「……は?」

「私は違うと言った」

「当たり前でしょう!」

「だが、最近失敗が続きすぎている」


 マリエルは立ち上がる。


「私の魔法が悪いわけじゃない!」

「座れ、マリエル」


 オズワルドが言う。


「だって!」

「今は言い争っている場合ではない」

「全部、お姉様が最後にちゃんと仕上げなかったせいなのに……!」


 マリエルは唇を噛む。

 以前使っていた杖なら、もっと簡単だった。


 魔力を流せば必要な分だけ、自然に術式へ入っていった。

 今は違う。


 強く流せば崩れる。弱ければ届かない。

 毎回、自分で調整しなければならない。

 そんなこと、以前は必要なかった。


「リネット嬢を連れ戻すしかない」


 セドリックが言った。


「……え?」

「商会も、マリエルの魔法も。リネットが戻れば、以前の状態へ戻せますよね」

「当たり前だ」


 オズワルドが頷く。


「問題は、どこにいるかだ」


 これまでにも探した。

 王都。周辺の街。職人組合。商業ギルド。

 だが、見つからなかった。


 その時、使用人が部屋へ入ってくる。


「旦那様。グレイ商会の会頭がお見えです」


 オズワルドの表情が変わる。


「通せ!」


 最後に融資を頼んでいた相手だった。

 グレイ商会の会頭は、話を長引かせなかった。


「申し訳ありませんが、融資はお断りします」

「待ってくれ!」

「こちらも商売ですので」

「返済の見込みはある!」

「どこに?」


 穏やかな口調だった。

 だからこそ、返す言葉がない。


「それに、今後うちは別の商品を扱う予定です」

「別の商品?」


 会頭が一枚の資料を机へ置く。


「辺境で販売され始めた保存用魔道具です」


 描かれているのは、大きな箱。

 三つの扉。


「三段式の冷蔵箱だそうです」

「冷蔵箱……?」

「野菜、肉、飲み物。それぞれ異なる温度で保存できる」


 オズワルドが眉をひそめる。


「そんなもの、魔力消費が大きすぎるだろう」

「従来品より遥かに少ないそうです」

「馬鹿な……!」

「簡易型の保存箱もある。そちらは普通の家庭でも使える価格だ」


 会頭が資料を指す。


「保存性能も、エルフォード商会の旧商品より優れている」


 旧商品。その言い方に、オズワルドの顔が引きつる。


「今後はこちらを扱うつもりです」


 そう言われ、オズワルドは資料を奪うように手に取った。

 詳細へ目を通す。


 術式。専用インク。製造元。

 そして、そこに書かれた名前で、手が止まった。


 『専用インク開発・製造。リネットの魔法インク工房』


「……リネット?」


 ヴィオラが立ち上がる。

 マリエルも資料を覗き込む。


「お姉様……?」


 さらに読むと、保存インク。魔導書修復。結界修復。

 リネットの魔法インク工房が手掛けている仕事は、どれもよく知っている技術だった。


「ここにいたのか……」


 オズワルドの手が震える。

 ようやく、見つけた。


 しかも、商会が潰れかけている間に。

 リネットは別の土地で、自分の名前の商品を売っていた。


「商会の技術を勝手に……!」


 オズワルドが歯を食いしばる。

 そこに――リネットが一人で築いたものだという考えはなかった。


「今すぐ連れ戻せば、まだ間に合う」

「そうね」


 ヴィオラも頷く。


「家族全員で迎えに行けば、さすがに折れるでしょう」

「お姉様なら……」


 マリエルは資料に書かれた名前を見る。


「私たちが困っていると知ったら、きっと戻ってくれるわ」


 セドリックも腕を組む。


「私からも話そう」

「セドリックが?」

「ああ。私が冷静に説明すれば、リネットも聞き分けるだろう」


 誰一人……謝る、とは言わなかった。

 功績を奪ったことも。婚約を取り上げたことも。

 家を出るまで追い詰めたことも。


 問題だとは思っていない。

 ただ、戻ってくればいい。

 また以前のように働けばいい。


 それだけだった。


「支払い期限まで、あと十日だ」


 オズワルドが立ち上がる。


「明朝、出るぞ」


 資料に記された辺境の地名を見る。

 そして、口元を歪めた。


「見つけたぞ、リネット」


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