第19話 幼いころのルーカスと職人
「これは……」
私が手にしている小さな魔道具を見て、ルーカスは珍しく言葉を詰まらせた。
裏側には、幼い字で『ルーカス』と刻まれている。
「ルーカス様が作ったのですか?」
「……昔のものだ」
「やはり」
私は改めて魔道具を見る。
手のひらに収まる程度の、小さな魔力灯。
丸い魔石の周囲を金属で囲い、裏側に簡単な術式が刻まれている。
作りはかなり素朴だ。
というより。
「この線、かなり曲がっていますね」
「見るな」
「ここも途中で書き直しています」
「見るなと言っている」
「でも、ちゃんと動くようには作られています」
「……それは褒めているのか?」
「半分くらいは」
「残り半分は何だ」
「改善点と微笑ましさです」
ルーカスが嫌そうな顔をする。
こんな表情をするのは珍しい。少し面白い。
「いつ頃作ったものですか?」
「十歳になる前だったと思う」
「かなり昔ですね」
「ああ。だから、もう戻せ」
「少し待ってください」
「なぜだ」
「職人として気になります」
「君はこういう時だけ遠慮がないな」
「仕事なので」
「今は仕事ではないだろう」
確かに。
でも、気になるものは気になる。
私は魔力灯を持ったまま、古い作業机へ移動した。
埃を軽く払い、表面を確認する。
「魔石はまだ使えそうですね」
「直すつもりか?」
「少し見てみます」
「放っておいていい」
「せっかく見つけたので」
私は道具を取り出す。
ルーカスは諦めたように、小さく息を吐いた。
「昔、ここで魔道具を作っていたのですか?」
「作っていたというほどではない」
「でも、名前まで入っています」
「子供だったからな。自分のものには全部名前を書いていた」
「わかりやすいですね」
「言うな。結構恥ずかしい」
それは少しわかる。
私も幼い頃に書いた調合記録を今見せられたら、あまり嬉しくはない。
「魔道具が好きだったのですか?」
「……ああ」
ルーカスは少しだけ、遠くを見るような顔をした。
「剣術や領主としての勉強より、こちらの方が好きだった」
「意外です」
「そうか?」
「はい。今のルーカス様は、剣も領主のお仕事も得意そうなので」
「得意かどうかと、好きかどうかは別だ」
「なるほど」
それは確かにそうかもしれない。
私も貴族令嬢としての礼儀作法は一通りできる。
でも、好きなのはインクを作っている時間だ。
「……この工房には、当時一人の職人がいた」
ルーカスが言う。
「ガルトという男だ」
「魔道具職人ですか?」
「ああ。領主館で使う魔道具や、領地の結界の管理もしていた」
かなり腕のいい職人だったらしい。
無口で、愛想もあまりない。
けれど仕事は丁寧。
そして、領主の息子だからといってルーカスを特別扱いしなかった。
「最初に作った術式を見せたら、『線が曲がっている。やり直せ』と言われた」
「かなり率直ですね」
「私が辺境伯家の嫡男だと知っていて、それだった」
「頑固な職人の典型ですね。怖くなかったのですか?」
「むしろ気に入った」
そう言って笑うルーカス、彼らしい気もする。
「他の者は、私が何か作れば大体褒めたからな」
「子供の頃から?」
「ああ。多少失敗していても、『お上手です』と言われる」
「それは、成長しませんね」
「ガルトにも同じことを言われた」
少し笑ってしまう。
「それで、よくここへ来ていたんですか?」
「ああ。父の目を盗んでな」
「逃げていたんですね」
「言い方が悪い」
「領主教育より魔道具作りを優先していたのなら、逃げていたのでは?」
「……否定はしない」
少年時代のルーカスが、授業を抜け出してこの工房へ来る姿を想像する。
今の姿からは少し考えにくい。
「ルーカス様にも、叱られていた時代があったんですね」
「今もアベルにはよく言われる」
「それは少し違う気がします」
「あまり違わない」
そうなのだろうか、私にはわからないが。
私は魔力灯の裏側を確認する。
曲がった線。
何度か削って書き直した跡。
それでも、最後まで完成させている。
「ガルトさんは、もういらっしゃらないのですか?」
何気なく聞いた。
ルーカスの表情が少し変わる。
「ああ、亡くなっている」
短い答えだった。
私は手を止める。
「……すみません」
「いや。昔の話だ」
ルーカスは、保存庫の方へ視線を向けた。
「十五年ほど前、この領地の大結界が大きく損傷したことがある」
「大結界?」
「ああ。北側を中心に、かなり広い範囲でな」
冬を前にした時期だったらしい。
辺境では冬になると魔獣の動きも活発になる。
結界が壊れたままでは、街だけでなく周辺の村にも被害が出る可能性があった。
「修復を急ぐ必要があった」
「それで、ガルトさんが?」
「ああ」
当時の辺境伯。
つまり、ルーカスの父が修復を命じた。
領主館の職人だけでは足りず、街中から魔道具職人や術式師が集められた。
その中心にいたのがガルトだった。
「何日もほとんど眠らずに作業したらしい」
「何日も……」
「子供だった私でも、異常だとわかった」
ガルトは工房へ戻っても休まず、結界用の術式を書き続けた。
手が震えても。食事を取れと言われても。
「父も止めなかった」
ルーカスの声は静かだった。
「領地を守る必要があったからな」
責めるような言い方ではない。
でも、納得しているようにも聞こえなかった。
「結界は直った」
「では……」
「ああ。領地は守られた」
結果だけを見れば成功だった。
けれど。
「ガルトはその後、細かい術式を書けなくなった」
「……身体を?」
「壊した。目がかすれて手の震えが治らなかった」
長時間の作業と魔力の消耗。
手の震えが残り、以前のような仕事はできなくなった。
「それでも本人は、『間に合ったならいい』と言っていた」
ルーカスが少しだけ眉を寄せる。
「私は、それが嫌だった」
その言葉だけは、少し強かった。
「後から正式な記録も読んだ。そこには、『先代辺境伯の指揮により大結界を修復し、領地を守った』とだけ書かれていた」
「ガルトさんの名前は?」
「ほとんど残っていない」
私は何も言えなかった。
その話は……少しだけ、知っている感覚に似ていた。
自分が作ったもの。
自分が何日も考えて、失敗して、調整したもの。
それなのに、最後には別の人の名前だけが残る。
「父が悪人だったとは思っていない」
ルーカスが続ける。
「領主として、結界を直すしかなかったのもわかっている」
「はい」
「……だが」
少し間を置く。
「必要だからといって、誰か一人を使い潰していい理由にはならない」
私はルーカスを見る。
静かな顔だった。
でもきっと、ずっと忘れられなかったのだろう。
「それに」
ルーカスがこちらを見る。
「作った者の名は、絶対に残すべきだ」
その言葉を聞いて、私は今までのことを思い出した。
三段式冷蔵箱。
保存インク。修復した魔導書。
ルーカスは、いつも私の名前を出した。
『リネットの魔法インク工房』
わざわざ金属板にまで刻ませた。
「だから、私の名前を残してくださったんですね」
そう言うと、ルーカスは少しだけ考えた。
「ああ、それもある」
「……それも? 他にもあるんですか?」
「今は作業を続けよう」
「また逸らしましたね」
「そうか?」
「最近、少しわかるようになってきました」
「余計なところまで成長したな」
それ以上は教えてくれなかった。
少し気になる。
でも今は、それでいい気がした。
私はもう一度、手の中の魔力灯を見る。
曲がった術式。削って直した跡。
何度も失敗しながら作ったのだろう。
この小さな魔道具を作っていた頃のルーカスは。
今よりずっと幼くて。領主でもなく。
ただ、物を作ることが好きな少年だった。
そう思うと少しだけ、ルーカスが近くなったような気がした。
「……ここですね」
私は魔力灯の一部を細い道具で削る。
切れていた線を整える。
魔石そのものは生きている。
問題は、魔力を送る部分だ。
「直るのか?」
「たぶん」
「捨てても構わないぞ」
「嫌です」
「即答だな」
「せっかく作ったものですから」
少量の魔法インクを筆につける。
昔の線を消さないように、その上から最低限だけ補う。
最後に魔力を流した。
小さな魔石が、一度だけ瞬く。
そして、淡い光が灯った。
「つきました」
工房の薄暗い一角が、少し明るくなる。
私は魔力灯を持ち上げる。
「まだ使えますよ」
「そうだな」
「捨てなくてよかったですね」
「私は捨ててもいいと言ったが」
「せっかく作ったものですから」
「……君はそういうところだけ職人に甘いな」
「物には罪がありませんので」
「作った人間にはあるのか?」
「悪意を持って作っていれば。これに関しては改善点と微笑ましさだけです」
「まだ言うのか」
ルーカスが小さく笑った。
その顔を見て、私も少しだけ笑う。
魔力灯は、昔と同じだったのかはわからない。
でも、長い間埃をかぶっていた小さな光が。
また静かに、工房を照らしていた。




