↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/27

第18話 領主館で


 ――翌日から、私は午前中を工房、午後を領主館で過ごすようになった。


 朝はいつも通り工房を開ける。


 注文分のインクを作り、修復中の魔導書を確認する。

 昼になる少し前に、ノエルへ残りの仕事を伝える。


「保存インクの受け渡しが二件。新しい注文が来たら、こちらへ記入してください」

「はい!」

「修復の相談は、預からずに内容だけ聞いておいてください」

「わかりました!」

「それから、この棚の瓶は――」

「触りません」

「覚えましたね」

「毎日言われてますから」


 ノエルが少し得意そうに胸を張る。


 まだ工房のすべてを任せられるわけではない。

 でも、以前なら数時間空けることすら難しかった。


「では、行ってきます」

「いってらっしゃい!」


 誰かに送り出されるのも、まだ少し不思議だった。


 領主館へ到着すると、入口でルーカスが待っていた。


「来たか」

「はい。お待たせしました」

「いや、時間通りだ」


 そのまま領主館の奥へ案内される。

 普段通る執務室や応接室とは違う方向だった。


 廊下をいくつか曲がる。

 だんだん人の気配が少なくなっていった。


「こちらは使われていないのですか?」

「ほとんどな」

「なるほど、だからか随分静かですね」

「古い倉庫や工房が残っているだけだ」


 さらに奥へ進む。

 窓も少なくなり、石造りの壁が増えていく。


 最後に、ルーカスが重そうな木の扉を開けた。


「ここだ」


 中へ入ると、最初に見えたのは小さな工房だった。


 古い作業机。

 壁に掛けられたままの道具。


 棚には、埃をかぶった瓶や金属片。

 長い間、誰も使っていないらしい。


「かなり古いですね」

「ああ。少なくとも、私が領主になってからは使われていない」

「掃除も?」

「ほとんどしていないだろうな」


 棚を見る……確かに。


「よくわかります」

「何がだ?」

「埃の量です」


 ルーカスが少しだけ眉を寄せる。


 私は作業机へ指を置きそうになって、やめた。

 触れば、かなりわかりやすく跡が残りそうだ。


 工房の奥には、さらにもう一枚の扉があった。

 こちらは木ではなく、厚い石造りだった。


 ルーカスが鍵を開ける。


「この先が保存庫だ」


 中はひんやりしていた。

 石壁に囲まれた広い部屋。


 ただし、今まで見てきた保存庫とはかなり違う。


「……これは」


 壁一面に、術式が書かれている。

 床にも。天井の近くにも。


 青黒く変色した古い線が、部屋全体を包むように繋がっていた。


 そして中央。

 石造りの台の上に、大きな魔導書が置かれている。


 普通の魔導書より、何倍も大きい。

 厚さもある。


 表紙は金属で補強されており、四隅から細い術式線が伸び、床へ繋がっていた。


「これでは、持ち出せませんね」

「ああ」


 私は近づき、魔導書の周囲を見る。

 最初は固定されているだけかと思った。


 でも違う。

 魔導書そのものが、この部屋の術式の一部になっている。


「この本が中心ですね」

「そうらしい」

「開いても?」

「構わない」


 慎重に表紙を開く。


 紙はかなり古い。

 端が脆くなっている。


 ただ、完全に崩れてはいない。

 中には細かな術式と文字がびっしりと書かれていた。


「……似ています」

「やはりか?」

「はい」


 以前、ルーカスに依頼されて修復した古代魔導書。

 そこに書かれていた、魔力循環の術式。


 まったく同じではない。

 でも考え方は似ている。


 魔力を一か所に留めるのではなく、流す。

 必要な場所へ分配し、余った魔力を戻す。


「これも、循環させていますね」

「保存庫全体へ?」

「おそらく」


 私は壁を見る。

 術式は部屋全体へ広がっている。


 壁に直接書かれているのは、冷気や温度を調整するためだろう。

 魔導書が魔力を制御し、必要な場所へ送る。


 壁がそれを受け取り、また中央へ戻す。


「冷蔵箱に少し似ています」

「君が作ったものに?」

「考え方だけなら」


 むしろ。

 私が古代魔導書を参考にして冷蔵箱を作ったのだから、似ているのは当然かもしれない。


「ただ……」


 私は壁へ近づく。


 術式の途中で、線が消えている。

 文字も何か所か読めない。


 床にも大きな欠損があった。


「これでは動きませんね」

「直せそうか?」

「まだわかりません」

「そうか」


 ルーカスはあっさり頷く。

 私は横目で見る。


「期待されていませんか?」

「かなりしている」

「では、少しくらい隠してください」

「難しいな」

「即答ですね」

「君なら何か見つけると思っている」

「それは期待を隠す気がありませんね」

「最初からそう言っている」


 隠してほしいと言ったのだけれど。

 私は小さく息を吐き、もう一度魔導書を見る。


「まずは全部調べます」

「ああ」

「すぐに修復はしません。どこが壊れているか確認してからです」

「任せる」


 それから数日。

 私は毎日、午後になると領主館へ通った。


 古い魔導書の文字を一つずつ写す。

 壁の術式と照らし合わせる。


 消えた部分の前後を確認する。


 仕事は地味だ。

 でも面白い。


 少しずつ仕組みが見えてくる。

 ルーカスも、仕事の合間に顔を出した。


「これを見つけた」


 ある日は、古い記録を持ってくる。


「保存庫について?」

「昔の備品記録だ」


 読むと百年以上前、この部屋では食料だけでなく、薬草や魔法素材も保管していたらしい。


「種類ごとに場所を分けていますね」

「ああ。ここを見ろ」


 ルーカスが記録の一部を指す。


 『北壁側は低温。南壁側は乾燥保存』


「……部屋の中で分けていた?」

「そう読める」

「なるほど」


 私は壁の術式を見る。

 確かに、北と南で線の形が少し違う。


「よく気づきましたね」

「記録を読んだだけだ」

「でも、この文字はかなり読みにくいです」

「慣れている」

「古文書に?」

「多少はな」


 そして、別の日。


 術式の流れを追っていると、ルーカスが壁を指した。


「この線は、魔力を戻すためのものでは?」


 私は手を止めて確認する。


「……そうですね」


 中央から伸びる線。

 その外側に、細い線が一本戻っている。


 余った魔力を再び中央へ返すためのものだ。


「よくわかりましたね」

「基本的なものなら読める」

「基本的、ですか」

「何だ?」

「いえ」


 最初に会った時もそうだった。

 北門の結界。術式の流れ。


 あの時も、ルーカスはかなり詳しかった。

 私は最初、結界管理官か何かだと思っていたくらいだ。


「ルーカス様、職人でもないのに詳しいですね」


 そう言うと。

 ルーカスの視線が、少しだけ止まった。


「昔、少しな」

「昔?」

「ああ」

「何をされていたのですか?」

「……少し触っていただけだ」

「魔道具を?」

「そんなところだ」


 明らかに話を短くした。


「詳しく聞いても?」

「今は作業の話をしよう」

「逸らしましたね」

「作業は進んでいるのか?」

「かなり強引に逸らしましたね」


 ルーカスは答えなかった。

 少し気になる。


 でも、無理に聞くことでもないだろう。


 その日の昼食も、領主館の小さな部屋で一緒に取った。

 正確には、私は午後から来ているので少し遅めの昼食だった。


「ノエルに食べてから行けと言われなかったのか?」

「言われました」

「では、なぜここで食べている」

「時間がありませんでした」

「……」

「その顔は何ですか?」

「何も言っていない」

「言われる前からわかります」


 最近は少しわかるようになってきた。


 ルーカスが呆れている時。

 心配している時。


 少しだけ面白がっている時。


 以前なら、領主様と食事をするだけで緊張していたと思う。

 でも今は。


 仕事の続きを話しながら、普通にパンを食べている。

 不思議だった。


 それからさらに数日後。


 古い工房側の棚にも、何か資料が残っていないか調べることにした。


「こちらも見ていいですか?」

「構わない」


 棚を一段ずつ確認する。


 古い工具。

 空になった瓶。使いかけの金属板。


 そして、その奥。


「……これは?」


 小さな魔道具があった。

 手のひらに収まるくらい。


 簡単な魔力灯のようだ。


 かなり不格好。

 術式の線も、少し曲がっている。


 私は埃を払う。

 裏側に、小さな文字が刻まれていた。


 『ルーカス』


「……ルーカス様?」


 振り返るルーカスの動きが、ぴたりと止まった。

 視線が、私の手の中へ向く。


「それは……」


 珍しく少しだけ、嫌そうな顔をしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。