第16話 ノエル
商業ギルドから連絡が来たのは、それから三日後だった。
条件に合いそうな人が何人か見つかったので、一度会ってみてほしいという。
私は午前中の仕事を早めに片づけ、商業ギルドへ向かった。
面談用に用意された小さな部屋へ入る。
机を挟んで椅子が二つ。
その横には、商業ギルドの職員が一人座っていた。
「本日は三名、ご紹介できます」
「お願いします」
最初に来たのは、二十代半ばくらいの男性だった。
以前、魔道具工房で働いていたらしい。
読み書きも計算もできる。
魔法インクについても、多少の知識があった。
条件だけを見れば悪くない。
「冷蔵箱の術式も、こちらで学べるのでしょうか?」
「簡単な作業はお願いするつもりですが、重要な術式や配合については、すぐにお教えする予定はありません」
「そうですか」
男性の表情が、少しだけ曇る。
「いずれは、自分でも冷蔵箱を作れるようになりたいと思っていまして」
「……なるほど、向上心豊かですね」
「はい。せっかくなら、今注目されている技術を身につけたいので」
独立でも考えてそうな野心家だ。
正直ではある。
ただ、今欲しいのは職人ではない。
私が技術的な仕事へ集中できるように、工房そのものを支えてくれる人だ。
それにまだ量産を始めたばかりの技術を、すぐに外へ持ち出される可能性があるのも困る。
面談を終え、次の人を待つ。
二人目は、以前薬屋で働いていた女性だった。
こちらも経験は十分。
ただ、細かな作業より接客中心の仕事を希望しているらしい。
「瓶を洗ったり、材料を量ったりする仕事も多いのですが」
「毎日ですか?」
「はい、かなり」
「……そうですか」
少し残念そうだった。
こちらも、お互いに合わなさそうだ。
二人目が退室すると、私は小さく息を吐いた。
「人を雇うのも、難しいですね」
隣の職員が笑う。
「長く一緒に働く方ですからね。条件だけでは決められません」
「そうですね」
「では、最後の方をお呼びしますね」
「お願いします」
しばらくして、扉が開いた。
「失礼します!」
明るい声と一緒に、一人の女性が入ってくる。
年齢は私より少し下だろうか。
二十歳くらい。
肩の辺りで切り揃えた明るい栗色の髪。
琥珀色の瞳が、部屋へ入った瞬間から忙しそうに動いている。
小柄で、表情がよく変わる人だった。
「ノエルです。よろしくお願いします!」
「リネットです。どうぞ座ってください」
「はい!」
返事が大きい。
この方が来たら少しだけ、工房が賑やかになりそうだと思った。
ノエルは椅子へ座る。
職員から渡された記録を見る。
この辺境で生まれ育ち、少し前まで街の雑貨屋で働いていた。
店が親族の都合で閉まったため、新しい仕事を探しているらしい。
「雑貨屋では、どんな仕事をしていたのですか?」
「接客と、お会計と、在庫の確認です。あと、仕入れた品を棚に並べたり」
「計算は?」
「できます。間違えると店主のおじさんに三回確認させられていたので」
「三回も?」
「私が一度、銀貨と銅貨を間違えたからです」
「なるほど」
「あ、それからは間違えてません!」
胸を張る。
失敗したことまで隠さないらしい。
「魔法インクについては、どのくらい知っていますか?」
ノエルは少し考えてから答えた。
「正直に言うと、インクについては色が違うくらいしかわかりません」
「なるほど、正直ですね」
「わからないのに、わかりますと言った方が危ないかなって」
その言葉に、私は少しだけ興味を持った。
「魔法インクは、扱い方を間違えると危険なものもありますからね」
「ですよね。だから、知らないものは触らない方がいいかなと」
「怖くはありませんか?」
「少しは。でも、教えてもらえば頑張って覚えます」
そう言って笑う。
表情が本当にわかりやすい。
面談が終わった後。
商業ギルドの職員から、改めてノエルについて話を聞いた。
「以前の勤務先にも確認しています。真面目に働いていたそうですよ」
「金銭関係の問題などは?」
「ありません。遅刻もほとんどなかったそうです」
「接客については?」
「評判はよかったようです。少しお喋りだとは言われていたそうですが」
「そこは、見ればなんとなくわかりました」
職員が笑う。
私はもう一度、三人の記録を見る。
経験だけなら、最初の男性の方が上だった。
でも、私は職人を探しているわけではない。
工房で一緒に働ける人。
知らないことを、知らないと言える人。
確認してくれる人。
それなら。
「ノエルさんにお願いしたいです」
「承知しました。では、こちらからお伝えしますね」
「お願いします」
――そして、翌日。
「今日からよろしくお願いします!」
ノエルは朝から元気だった。
「よろしくお願いします」
工房へ入ると、まず店内をぐるりと見回す。
「わあ……本当にインクがいっぱいですね」
「インク工房なので」
「あははっ、そうですよね」
棚には、材料。完成した商品。修復用の道具。
最近は少し整理したつもりだけれど、それでも物は多い。
「最初は、簡単な仕事からお願いします」
「はい!」
「まずは瓶を洗ってください」
「わかりました!」
「こちらは保存用。こちらは調合用。洗い方が少し違います」
「もうそんなに違うんですね」
「違います」
説明しながら、順番に教えていく。
瓶の洗浄。乾燥。材料の整理。
注文書を日付順に並べる。客が来た時の受け答え。
完成品の保管場所。
ノエルはよく聞く。
そして、よく質問する。
「これは?」
「あまり触らないでください」
「はい」
「こちらは?」
「触っても大丈夫です」
「わかりました」
「これは?」
「絶対に振らないでください」
「……何が起きるんですか?」
「振ると泡が出ます」
「それだけですか?」
「瓶から溢れます。それに溢れたところがヌルヌルになります」
「地味に嫌ですね」
「かなり嫌です」
午前中だけで、質問は相当数になった。
でも、不思議と嫌ではない。
むしろ説明しているうちに、自分の仕事を改めて確認できる。
「では、この粉は三瓶分に分けてください」
「どのくらいずつです?」
「このくらい」
私は指先で量を示す。
ノエルが首を傾げた。
「このくらいとは?」
「……このくらいです」
「同じ言葉が返ってきました」
私は自分の指を見る。
自分しか使わないので、感覚的なものを説明する必要がなかった。
「少し待ってください」
秤を出す。
いつもの量を乗せる。
「……八グラムですね」
「なるほど。じゃあ八グラムで覚えます」
「はい」
次の材料。
「こちらは少し多めに」
「何グラムです?」
「……量ります」
言葉にしようとすると、思っていたより難しい。
「人に教えるというのは、大変ですね」
「私が質問しすぎですか?」
「いえ。むしろ助かります」
「助かるんですか?」
「自分が何を見て作っていたのか、初めて考えているので」
ノエルが目を丸くする。
「リネットさんも、全部わかってやってるわけじゃないんですね」
「……わかってはいます」
「今、ちょっと間が」
「感覚でわかっています」
「なるほど。職人って感じですね」
褒められたのだと思う。
たぶん。
午後になる頃には、注文書の山がかなり綺麗になった。
納期順。商品別。受け渡し済みは別にまとめてある。
「……見やすい」
「雑貨屋でずっとやってましたから」
「すごいですね」
「リネットさんに褒められた!」
「そんなに珍しいですか?」
「今日ずっと『そこは触らないでください』ばっかりだったので」
「それは危ないので」
「わかってます」
ノエルが笑う。
工房の中に、今までなかった声が響く。
少し賑やかだ。
でも、不思議とうるさくは感じなかった。
夕方。
最後の客を見送り、私は扉を閉めた。
「今日はここまでにしましょう」
「はい!」
ノエルが外套を羽織る。
「どうでしたか? 私、役に立ちました?」
「はい、とても」
「よかったー」
素直に喜ぶ。
「明日からもよろしくお願いします、親方!」
「……親方?」
「工房の主なので」
「リネットでいいです」
「えっ、でも雇い主ですよ?」
「リネットで大丈夫です」
少し考えて、ノエルは笑った。
「じゃあ、リネットさん!」
「はい」
「明日もよろしくお願いします!」
「こちらこそ」
ノエルが工房を出ていく。
静かになり、私は机を見る。
注文書は綺麗に並んでいる。
洗い終わった瓶も、種類ごとに分けられていた。
一日だけなのに、随分違う。
「……助手がいるというのも、悪くないわね」
何より……明日また、誰かがこの工房へ来る。
一緒に仕事をするために。
それが少しだけ、嬉しかった。




