第15話 人を雇う
冷蔵箱や冬用インクが売れ始めてから、工房は以前よりずっと忙しくなった。
注文書を確認する。
保存インクを調合する。
修復中の魔導書を見る。
冷蔵箱用のインクを作る。
その間、新たな客が来たら対応をする。
そして、気づけば日が暮れている。
「……今日も、よく働いたわね」
そう言いながら机を見る。
仕事は、あまり減っていなかった。
むしろ朝より増えている気がする。
机の右側には、簡易保存インクの注文書。
左側には、防水インクと乾燥インクの注文。
その奥には、修復を待っている古い魔導書が二冊置かれている。
三段式冷蔵箱の専用インクも、領主館へ納める分を作らなければならない。
「……よく働いたはずなのだけれど」
もう一度言ってみる。
もちろん、仕事があるのは嬉しい。
工房を開いたばかりの頃は、店を開けても誰も来ない日の方が多かった。
今では朝から客が来ることもある。
『リネットの魔法インク工房』
その名前を見て、わざわざ訪ねてきてくれる。
それは、とても嬉しいことだった。
だからこそ、頼まれた仕事はきちんとやりたい。
私は注文書を一枚取る。
今日中に終わらせる修復が一件。
明日は領主館へ冷蔵箱用のインクを届ける予定もある。
私は帳面を開いた。
「これは……」
無理ではない、たぶん。
少し急げば。
今日は夜まで働いて。
明日は朝から作業して。
領主館から戻った後に、箱へ術式を書けば。
「……いけるわね」
そう結論を出したところで、工房の扉につけた鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
「邪魔をする」
聞き慣れた声だった。
ルーカスが入ってくる。
その後ろにはアベルもいる。
「ルーカス様。今日はどうされたのですか?」
「冷蔵箱用のインクについて確認がある」
「明日、領主館へ持っていく予定ですが」
「その前に一度見ておこうと思った」
「わかりました」
私は立ち上がろうとした。
その時、肘が注文書の山へ当たる。
紙が数枚、床へ落ちた。
「あ……」
拾おうとすると、今度は机の端に置いてあった空瓶へ袖が触れた。
瓶が倒れそうになり、慌てて手を伸ばす。
なんとか落ちる前に掴んだ。
「……大丈夫です」
「何も聞いていないが」
「先に言っておこうかと」
ルーカスが注文書をちらっと見た。
その数に驚いたように目を少し見開く。
「随分と増えたな」
「ありがたいことです」
「仕事が?」
「はい」
「机の上の物も?」
「……そちらもです」
アベルが床へ落ちた注文書を拾ってくれた。
「こちらは明後日の納品ですね」
「はい」
「こちらは?」
「三日後です」
「こちらには今日と書かれていますが」
「今日?」
私は受け取る。
確かに、今日と書いてある。
一瞬慌てかけるが、内容を見てほっと息を吐く。
「……これは昨日終わらせたものです」
「では、なぜここに?」
「片づけ忘れました」
ルーカスがこちらを見る。
「人を雇った方がいい」
「私一人でも、まだ大丈夫です」
「そうは見えない」
「注文が少し増えただけです」
「少し?」
以前、老婦人に工房が少し散らかっていると言った時と似た反応だった。
どうやら私の中の『少し』は、他の人とは違うらしい。
「全部、期限には間に合わせます」
「今日の昼食は?」
「……食べました」
「何を?」
「保存箱の試験用の人参を」
「それを昼食とは呼ばない」
「人参も食事では?」
「食事の一部だ」
「では、芋も食べました」
「それらを増やせばいいという話ではない」
厳しい。
確かに今日は忙しかった。
でも人参も芋も美味しかった。
「夜は?」
「食べました」
「何を?」
「パンです」
「それだけか?」
「……チーズも」
ルーカスがため息をついた。
隣でアベルが小さく頷いている。
「閣下のおっしゃる通り、人を雇った方がよろしいかもしれませんね」
「アベル様まで」
「工房主が倒れると、注文がすべてが止まりますので」
それは困る。
私が倒れることより、注文が止まることの方が想像しやすかった。
「……確かに、一人で全部続けるのは難しいかもしれません」
「やっと認めたか」
「仕事を減らすのは嫌なので」
「そちらが理由か」
「せっかく注文していただいていますから」
私は机を見る。
インクを作る仕事は、自分でやりたい。
修復もそう。冷蔵箱の確認も必要だ。
でも、瓶を洗う。
材料を整理する。
注文書をまとめる。
客から注文を受ける。
そういう仕事まで、すべて自分でやる必要はないのかもしれない。
「領主館から、一人出そうか?」
ルーカスが言った。
私は少し考えてから、首を振る。
「いえ」
「嫌なのか?」
「私の工房なので、働く人も自分で雇いたいです」
領主館から人を借りれば、きっと楽だ。
信用できる人も選んでもらえる。
でも、この工房は、私が自分で始めたものだ。
誰と働くかも、自分で決めてみたい。
「商業ギルドへ相談してみます」
「そうか」
ルーカスはそれ以上勧めなかった。
少ししてから尋ねる。
「助手は、どんな人間を雇うつもりだ?」
「接客や在庫管理、計算ができて信頼できる方なら、男性でも女性でも」
「……男なのか?」
私は首を傾げる。
「まだ何も決まっていませんが」
「……そうか」
それだけ言って、ルーカスは黙った。
何だったのだろう。
隣を見ると、アベルが少しだけ笑っている。
「何ですか?」
「いえ、何も」
最近、周りの人がよくその言葉を使う気がする。
その後、ルーカスに冷蔵箱用のインクを見せる。
濃度と魔力の流れを確認してもらい、明日の納品予定について話した。
用件が終わると、二人は領主館へ戻っていった。
「人を雇う、か……」
静かになった工房で、私は呟く。
今まで、仕事はほとんど一人でしてきた。
実家の工房には職人がいたけれど、私が誰かへ仕事を教える立場ではなかった。
自分の工房に、他の人がいる。
まだ少し想像しにくい。
でも、この注文書を見る限り、必要なのだろう。
――翌日。
私は商業ギルドを訪れた。
「助手を募集したいのですが」
受付の女性へ伝えると、すぐに頷いてくれた。
「リネットさんの工房ですよね? 最近かなりお忙しいと聞いています」
「そんなに知られているのですか?」
「保存インクや防水インクの注文が増えていますから。冷蔵箱の話も聞いていますよ」
少し恥ずかしいが、嬉しい。
「どんな方をお探しですか?」
「まず、読み書きと計算ができる方です」
「はい」
「接客ができる方だと、さらに助かります」
「なるほど。では、工房仕事の経験者に限らず探してみましょう」
「お願いします」
条件を書いた紙を渡す。
受付の女性が確認して、少し考えた。
「何人か、合いそうな方がいるかもしれません」
「本当ですか?」
「はい。こちらで身元や以前の勤務先も確認してから、ご紹介します」
「助かります」
商業ギルドへ頼んでよかった。
一人で街中に張り紙を出していたら、相手が信用できる人なのか調べるところから始めなければならない。
そこまで自分でやっていたら、助手を雇う前にさらに仕事が増えていた気がする。
「早ければ数日中には、候補をご紹介できます」
「よろしくお願いします」
私は頭を下げた。
ギルドを出る。
工房へ戻れば、また仕事が待っている。
でも近いうちに、あの工房に自分以外の誰かが立つことになるかもしれない。
「……どんな方が来るのかしら」
少し不安で、それ以上に楽しみだった。




