第13話 エルフォード商会の衰退
エルフォード商会の応接室に、会長のオズワルドの怒鳴り声が響いた。
「契約を打ち切るだと!?」
机の上には、一通の書状が広げられている。
長年、エルフォード商会の商品を扱ってきた大手商会からのものだった。
来月以降、魔法インクの年間契約を更新しない。
理由も、はっきりと書かれている。
品質が安定しない。
以前より効果が落ちている。
同じ価格で買い続ける価値がない。
今月に入って、これで三社目だった。
「またなの?」
少し離れた椅子に座っていたマリエルが、不満そうに眉を寄せた。
以前なら、こんな話を彼女が聞かされることはなかった。
商会の経営は父がするもの。
自分は魔法を磨き、貴族たちの前で結果を出せばいい。
そう思っていた。
けれど最近は、父が苛立つたびに家族全員が呼ばれる。
「また、ではない!」
オズワルドが書状を机へ叩きつける。
「保存用インクも、魔力軽減用インクも、杖用の増幅インクもだ! どの商品にも苦情が来ている!」
「職人たちに作り直させればいいでしょう?」
「何度作り直させたと思っている!」
マリエルは口を閉じた。
父の機嫌が悪い時に言い返しても、さらに声が大きくなるだけだ。
それくらいは、最近よくわかるようになった。
「先方には値引きを提案したのでは?」
母のヴィオラが尋ねる。
「した。だが断られた」
「どうして?」
「安さの問題ではなく、品質や信用の問題だと言われた!」
その言葉に、部屋の空気が重くなる。
以前のエルフォード商会なら、あり得ないことだった。
魔法インクならエルフォード商会。
王都では、そう言われていた。
多少値段が高くても、品質がいい。
大切な魔導具や杖には、ここの商品を使う。
それが当たり前だった。
けれど今は違う。
性能が落ちた。
品質にばらつきがある。
他の商会でも十分だ。
そんな噂が広まり始めている。
「競合の商会まで、うちの取引先へ営業をかけているらしい」
「卑怯ね」
ヴィオラが吐き捨てる。
「弱っているところへ入り込むなんて」
「商売なら当然のことだろう……」
オズワルドの声にも余裕がない。
マリエルは、机の上の書状から目を逸らした。
商会のことより、彼女にはもっと気になることがあった。
今日の午後。
王宮で、小規模な魔術披露会が開かれる。
若い貴族や魔術師たちが集まり、それぞれ成果を見せる場だ。
マリエルも招かれていた。
最近、失敗が続いている。
だからこそ、今日は成功しなければならない。
商会の職人たちには、今作れる中で最も品質の高い専用インクを用意させた。
これなら大丈夫。今日こそ、自分が天才だと改めて証明できる。
マリエルはそう信じていた。
そして、数時間後。
「――マリエル・エルフォード様」
名を呼ばれ、マリエルは会場の中央へ進み出た。
周囲には、多くの視線が集まっている。
少し前までなら、その視線が心地よかった。
誰もが自分の魔法を待っている。
自分が杖を振れば、歓声が上がる。
それが当然だった。
今日も、そうなるはずだった。
マリエルは杖を構える。
術式へ魔力を流す。
淡い光が集まり、一羽の鳥の形を作っていく。
以前、何度も成功させた魔法だ。
「ほら……」
やっぱりできる。
失敗していたのは、たまたま調子が悪かっただけ。
そう思った、その瞬間だった。
光の鳥が飛び立つ。
一度、大きく旋回する。
次の瞬間。
片方の翼が崩れた。
「え?」
魔力の流れが乱れる。
鳥は大きく傾き、そのまま壁へ向かって飛んだ。
マリエルが慌てて杖を振る。
壁へぶつかる寸前で、光の鳥は弾けるように消えた。
静寂。
会場が、しんと静まり返る。
マリエルの頬が熱くなる。
「……少し、術式が乱れただけですわ」
誰に言うでもなく、そう口にする。
けれど、周囲から小さな声が聞こえた。
「また失敗?」
「最近、多くないか?」
「もう実力は以前ほどではないのかしら」
聞こえないふりをした。
けれど、耳にははっきり届いている。
「インクの問題でしょう」
セドリックが前へ出た。
婚約者であるマリエルを庇うように、周囲へ言う。
「マリエルの実力に問題があるわけではありません。使用したインクの品質が安定しなかったのでしょう」
その言葉に、マリエルは少しだけ安心する。
だが……。
「そのインクは、エルフォード商会の商品では?」
誰かが言った。
セドリックの表情が止まる。
「以前、マリエル嬢ご自身が改良に関わったと発表されていたような」
「魔力軽減用の技術も、マリエル嬢の発案だと聞きました」
マリエルは言葉を失った。
父がそう発表した。
セドリックも、それを誇らしげに周囲へ話していた。
自分も否定しなかった。
むしろ、当然のように受け入れていた。
「それは……」
何か言わなければ。
けれど、何を言えばいいのかわからない。
その時、別の貴族が小さく笑った。
「セドリック殿は、その才能を高く評価して婚約相手まで変えられたのでしたか?」
柔らかな声だった。
だからこそ、余計に刺さる。
セドリックの顔が強張った。
「その話は今、関係ないでしょう」
「失礼。ただ、随分と思い切った決断だったと有名でしたので」
周囲に、控えめな笑いが広がる。
マリエルは俯いた。
少し前まで、自分たちは羨ましがられる側だった。
才能ある天才魔法使い。
その才能を選んだ婚約者。
そう見られていたはずだった。
なのに今は。
自分を見る目も。
セドリックを見る目も。
以前とは違っていた。
帰りの馬車の中は、重い空気に包まれていた。
「どうして、もっと上手く庇ってくれなかったの?」
先に口を開いたのはマリエルだった。
セドリックが眉を寄せる。
「私が何を言えばよかったんだ」
「インクが悪いと言えばよかったでしょう!」
「言っただろう、聞いていなかったのか?」
「なら、もっと強く言えば!」
「その結果、君がそのインクを作ったという話まで出ただろう」
マリエルは唇を噛む。
「それは、お父様が勝手に……」
途中で止まった。
セドリックがこちらを見る。
「勝手に、何だ?」
「……何でもないわ」
「マリエル」
「何でもないと言っているでしょう!」
声が大きくなる。
セドリックも、以前なら宥めてくれた。
大丈夫だと言って。
マリエルは天才なのだから、次は成功すると。
でも今日は違った。
「私の評判まで落ちている」
低い声だった。
マリエルが顔を上げる。
「何よ、それ」
「今日も聞いただろう。君を選んだ私の判断まで笑われている」
「私が失敗したから、婚約したことを後悔しているの?」
「そうは言っていない」
「同じでしょう!」
「違うと言っているだろ!」
馬車の中に、セドリックの声が響く。
二人とも黙った。
こんなふうに言い争ったことは、以前ならほとんどなかった。
けれど最近は増えている。
魔法が失敗するたび。
商会の問題が話題になるたび。
少しずつ、確実に。
セドリックと別れて屋敷へ戻ると、さらに悪い知らせが待っていた。
「王宮への納品候補から外された?」
ヴィオラの声が裏返る。
「品質が安定するまで、大規模な発注は見送るそうだ」
オズワルドは机へ両手をついていた。
朝より、さらに疲れた顔をしている。
「そんな……」
「今日の披露会のことも、もう噂になっている」
ヴィオラがマリエルを見る。
「社交会でも、皆が遠回しに聞いてくるのよ。マリエルは最近お疲れなのですか、商会も大変だそうですね、って」
「私だって好きで失敗しているわけじゃないわ!」
マリエルは思わず叫んだ。
「インクが悪いのよ!」
「だからリネットを探している!」
父のオズワルドが怒鳴り返す。
部屋が静かになる。
「王都周辺にはいない。近隣の街も調べさせた。職人ギルドにも商業ギルドにも問い合わせている」
「見つからないの?」
「居場所を教えないところもある!」
オズワルドが拳を握る。
「家族だと言っているのに、すでに商会所属の職人ではないから教えられないなどと……!」
「では、もっと遠くに?」
「捜索範囲を広げる」
以前なら、リネットを探すという言葉にも余裕があった。
戻ってくればいい。
叱って、家族なのだから許してやって。
また以前のように働かせればいい。
その程度だった。
でも今は違う。
商会の契約が減っている。
評判も落ちている。
マリエルの魔法も失敗する。
セドリックとの関係まで悪くなっている。
「どこへ行ったんだ、あいつは……!」
オズワルドの声には、苛立ちだけではなく焦りが混じっていた。
その夜。
マリエルは一人、自室で杖を握っていた。
もう一度だけ。
そう思い、魔力を流す。
光が集まる。
以前、姉のリネットが調整した古い術式の部分までは、滑らかだった。
しかし、新しく塗り直した箇所へ魔力が入った瞬間。
光が揺れる。
「……また」
小さな鳥の形すら作れず、光が消えた。
マリエルは杖を見つめる。
何度試しても同じだった。
偶然。
自分の調子が悪い。
職人の腕が悪い。
そう思おうとしてきた。
けれど。
「……お姉様が、いないから?」
口にしてしまった。
すぐに首を振る。
「違う。そんなはずない」
姉のリネットは、ただインクを混ぜていただけ。
魔法を使っていたのは自分。
天才だと言われていたのも、自分だ。
父も。
母も。セドリックも。
皆がそう言っていた。
なのに、最近は誰も以前のような目で見てくれない。
今日、セドリックが向けてきた冷たい目を思い出す。
胸の奥がざわついた。
「お姉様さえ戻ってくれば……」
インクも。
商会も。自分の魔法も。
全部、元に戻る。
マリエルは、そう思った。
そう思うしかなかった。
けれど、その姉が今どこにいるのか。
エルフォード家の誰も、まだ知らなかった。




