第11話 保存箱の可能性
冬用保存インクの試作を始めて、三日が経った。
工房の隅には、何の変哲もない木箱が置かれている。
少し前まで鉱石を入れていた箱だ。
今は中をきれいに拭き、内側へ試作した保存術式を書いてある。
「これで、うまくいけばいいけれど」
私は箱の内側を確認する。
目的は、家庭でも使える簡易的な保存箱を作ること。
今ある保存用の魔道具は、冷却魔法をずっと動かし続ける。
そのため魔力消費が大きい。
けれど、この箱は違う。
箱の外側から温度の影響を受けにくくして、中では少量の魔力を循環させる。
必要な時だけ冷気を作り、一定の温度に保つ。
それなら、使う魔力をかなり減らせるはずだ。
私は術式へ少量の魔力を流した。
箱の内側に書いた線が、淡い青色に光る。
ひんやりとした空気が生まれた。
「……うん、動いている」
今のところは悪くない。
試験用に用意した人参と芋、それから葉物の野菜を入れる。
蓋を閉めて、あとはしばらく待つだけだ。
私は別の仕事を進めながら、時々箱の術式を確認した。
魔力の流れは安定している。冷気も出ている。
問題はなさそうだった。
そして、夕方。
「そろそろいいかしら」
蓋を開ける。
白い湯気が、少しだけ立ち上った。
「……湯気?」
私は目を瞬く。
箱の中に手を入れる。
冷たくない。
むしろ、ほんのり暖かい。
人参を一本取り出す。
指で押すと、少し柔らかかった。
「……なぜ?」
保存するつもりだった。
まだ食べる予定ではない。
術式を調べる。
冷気を作る部分は正常に動いている。
問題は、外気を遮断するために書いた保護術式だった。
冷気を逃がさないようにした結果、箱の内部で循環する魔力から生まれたわずかな熱まで、すべて中へ残してしまったらしい。
「守りすぎたのね……」
方向だけが少し違った。
私は柔らかくなった人参を見つめる。
「これは、失敗ね」
ちょうどその時、工房の扉につけた鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
「邪魔をする」
入ってきたのは、ルーカスだった。
その後ろには、最近何度か一緒に来るようになったアベルもいる。
ルーカスの側近らしい。
穏やかな表情をしているが、時々ルーカスへ妙なことを言う人だ。
「今日はどうされたのですか?」
「古代魔導書の進捗確認だ」
「先日も確認されましたね」
「三日前ほどだ、毎日ではない」
「そうですね」
最近は毎日ではない。
ただ、かなりよく来る。
領主というのは、思っていたより職人の工房へ足を運ぶ仕事なのかもしれない。
他の領主を知らないので、比較はできないけれど。
「進捗なら、昨日から少し進みました」
「後で見せてくれ」
ルーカスの視線が、工房の隅に置いてある木箱へ向く。
「それは?」
「新しい保存箱の試作品です」
「保存箱?」
「この辺りでは、冬の食料保存に困っている人が多いので」
私は、街の人から聞いた話を説明した。
外へ置けば凍る。
暖炉のある室内へ置けば、今度は腐りやすい。
だから、凍らない程度に冷たく保てる箱を作れないかと思ったこと。
「既存の保存用魔道具より、少ない魔力で使えるようにしたいんです」
「なるほど」
ルーカスが木箱へ近づく。
「それで、試験結果は?」
「今、出たところです」
「どうだった?」
「失敗しました」
「そうか」
私は箱の中から、人参を一本取り出した。
ルーカスへ差し出す。
「保存ではなく低温調理のようになっていますね」
ルーカスが人参を受け取り、指で押す。
「野菜は柔らかくなった」
「成果として数えたくありません」
「食べられるなら無駄ではない」
「領主様は随分と前向きですね」
「捨てるよりはいいだろう」
アベルが箱の中を覗き込む。
「芋もかなり柔らかそうですが」
「こちらも、もう少しで食べられそうです」
「試作品の確認へ来たはずですが、食事になりましたね」
静かな声だった。
ルーカスがアベルを見る。
「食べるのか?」
「捨てるよりはいいのでしょう?」
「そうだな」
どうやら、二人とも前向きらしい。
「では、軽い食事にしますか?」
私は少し温まった野菜を簡単に切り分けた。
芋は中まで完全には火が通っていなかったので、暖炉の上で少し焼く。
人参も塩を振る。
保存箱の試験だったはずなのに、工房の中に香ばしい匂いが広がった。
「美味しいですね」
アベルが芋を食べながら言う。
「保存箱は失敗ですが、昼食としては成功かと」
「やはり成果には数えません」
私は人参を一口食べる。
確かに、少し甘くなっていた。
悔しいけれど、美味しい。
「原因は?」
ルーカスが尋ねる。
「熱を箱の中へ残しすぎています」
私は紙を取り、簡単な術式を書く。
「外の温度を受けないようにするため、箱全体を保護する術式を入れました。ただ、それだと中で生まれた熱まで逃げません」
「冷やしているのに、暖まったのか?」
「冷気を作るために魔力を動かして、その魔力からわずかに熱も生まれます」
「それが箱の中へ溜まった?」
「はい」
冷やす。
冷気を逃がさない。
そこだけを考えていた。
でも、それでは足りない。
「必要なのは、保温ではなく温度の調整ですね」
「どう違う?」
「冷たくなりすぎた時だけ、外の冷気を遮ります。逆に箱の中が暖かくなりすぎたら、余った熱を外へ逃がすんです」
「温度に応じて、術式の働きを変える?」
「できると思います」
私は領主館から預かっている古代魔導書を開く。
修復した部分を見せる。
「この魔導書には、魔力を一方向へ流すのではなく、内側と外側を循環させる術式があります」
「前に話していたものか」
「はい。これを小さくして、箱の内側と外側を交互に魔力が流れるようにすれば」
冷えすぎれば、外からの冷気を遮る。
暖まりすぎれば、中の熱を外へ流す。
その中間なら、最低限の魔力だけを循環させる。
「それなら、消費する魔力も減らせます」
「試せそうか?」
「やってみます」
昼食が終わる頃には、次の術式がだいたい頭の中で形になっていた。
ルーカスとアベルが帰った後、私はすぐに試作を始める。
最初の術式を消す。新しい線を書く。
「……これで」
魔力を流す。
淡い青い光が箱の内側を走った。
一度目より、ずっと穏やかだ。
今度は野菜を入れ、丸一日。
翌日も確認して……。
そして、三日後。
人参を取り出した。
硬さは変わっていない。
葉物も萎れていない。
凍ってもいない。
「成功……かな」
状態は悪くならなかった。
少なくとも、野菜の保存には使える。
私は嬉しくなり、肉と魚も少量入れて試してみた。
しかし、こちらは問題があった。
傷んではいない。
けれど、もう少し冷たい方が長く保存できそうだ。
飲み物も入れてみた。
こちらは問題なく冷たい飲み物ができた。
「……全部同じでは駄目なのね」
野菜。肉。魚。飲み物。
保存したいものによって、適した温度が違うのだろう。
その日の午後。
再びルーカスとアベルが工房を訪れた。
「結果は?」
入って早々、ルーカスが尋ねる。
「野菜は成功しました」
「本当か?」
「はい。数日置いても、凍らず、ほとんど傷んでいません」
木箱を開ける。
ルーカスが中の人参を確認した。
「今度は硬いな」
「それが普通です」
「前回より食べにくい」
「食べる前に調理してください」
保存箱に調理機能まで求められても困る。
「ただ、問題もあります」
私は肉や魚を見せた。
「保存する物によって、必要な温度が違いますね」
「一つの箱ですべて保存するのは難しいか」
「同じ場所へ入れるなら、どれかに合わせるしかありません」
私は箱を見つめる。
一つの箱で一つの温度。それが問題なら……。
「……箱を、何段かにしてはどうでしょう」
ルーカスがこちらを見る。
「何段か?」
「野菜と、肉や魚と、あとは飲み物などを別々に入れます」
私は紙へ箱の形を書く。
縦長の箱。内部を三つに分ける。
「上は、野菜や果物です。冷やしすぎないようにします」
上段。
「真ん中は肉や魚。ここは、もう少し温度を低く」
中央。
「下は飲み物や、特に冷やしたいものです」
下段。
「冷たい魔力は、下へ集まりやすい性質があります。それを利用すれば、一つの魔力循環術式でも、段ごとに温度を変えられるかもしれません」
書きながら、少しずつ形が見えてくる。
上段へ流れる冷気は少なくする。
中央で一定量を残す。
余った冷気を下段へ集める。
三つの箱を別々に動かすより、魔力消費も少なくできるはずだ。
ルーカスは、私が書いた紙をじっと見ていた。
「これは……冬だけではなく、夏にも使えるか?」
「魔力を安定して流せれば、使えると思います」
「外が暖かくても?」
「外気を遮断する術式がありますから。冬よりは魔力を使うでしょうけれど」
「肉や魚を、今より長く保存できる?」
「おそらくは。野菜も今回は失敗しましたが、次は成功させます」
「十分だ。試す価値がある」
ルーカスの声が、少し変わった。
先ほどまでより真剣だ。
アベルも、紙の上の図を見る。
「これが完成すれば、かなり大きいのでは?」
「そうなのですか?」
私が尋ねると、二人がこちらを見る。
「そうなのですか、ではない」
ルーカスが言う。
「冬の食料保存だけではない。夏でも肉や魚を長く置けるなら、遠い村まで運べる」
「今は、傷みやすい食料は近場でしか売れませんからね」
「ああ。それか大規模な冷凍の魔道具で運ぶしかない。それにはコストがかかりすぎるが、これならかなり下げられる」
アベルも続ける。
「領主館の食料倉庫にも使えます。治療院で薬を保存する用途も考えられます」
「薬にも?」
「ああ」
ルーカスは設計図へ視線を戻す。
「完成したら、量産するべきだ」
「量産?」
「この辺境の地だけで使うには惜しい」
「まだ、三段に分ける案を思いついただけですが」
「だから試作品を作る」
「成功するとは限りませんよ?」
「成功する可能性は高いだろ」
「それは、そうですけれど」
「なら十分だ」
随分と話が早い。
私は、家庭で使える保存箱を一つ作ろうとしていた。
いつの間にか、領地全体へ、国全体へ配る話になっている。
「もし売れたら、私にも報酬は入りますか?」
念のため尋ねる。
ルーカスが少し黙った。
「そこが最初に気になるのか」
「工房の経営は大切なので」
「当然、開発者として支払う」
「それなら、ぜひ量産しましょう」
「急に積極的になったな」
「お金は大切です」
アベルが小さく笑った。
「非常にわかりやすいですね」
褒められているのかは、少しわからない。
ルーカスは私の描いた設計図を見る。
「領主館の木工職人へ話を通す。三段式の試作箱を作らせよう」
「大きさは、これくらいがいいと思います」
私は紙へ寸法を書き足す。
「扉も三つに分けた方がいいですね。一つを開けても、他の段の温度が変わらないように」
「必要な木材は?」
「厚すぎると魔力が通りにくいので、このくらいで」
「わかった。明日には職人へ渡す」
「明日?」
「早い方がいい」
「領主様の中で、最初の失敗はなかったことになっていますか?」
「先日のやつか? 食べたから無駄ではない」
「やはり前向きですね」
「失敗から今の案が出たなら、必要な失敗だっただろう」
そう言われると、反論しづらい。
私はもう一度、紙へ視線を落とした。
三段に分かれた箱。
今はまだ、紙の上にしかない。
けれど、もし本当にできたなら。
外へ出して凍らせる必要もない。
暖炉の近くで腐らせることもない。
冬だけではなく、夏にも使えるかもしれない。
そして、たくさん売れれば。
工房の家賃もしばらく安心できる。
「頑張りましょう」
「急にやる気が増したな」
「元からあります」
「報酬の話をしてから、少し増えたように見える」
「気のせいです」
私は新しい紙を取り出し、三段に分かれた箱の設計図を、今度は丁寧に描き始めた。




