第9話:ローレンツの処刑台
「――ライフ、ゼロ。お前らの未来、相転移(字余り)」
店の外の暗闇から、冷徹な、そして絶望的にセンスの無い五・七・五の川柳が、風に乗って聞こえてきた。
新たなる刺客――新選組三番隊組長・斎藤が、万福定食を包囲していた。
「『細胞内のミトコンドリア』って、頭痛が痛いみたいな二重表現になってんだよナレーターのバカ野郎ォォォォ!!!」
万福定食の床に這いつくばったまま、宗矩は涙目で虚空に向かってキレ散らかした。
ミトコンドリアは元から細胞の中にしか存在しない。
わざわざ『細胞内の』とつけたら、まるで『今日は渋谷の中の渋谷に行ってきました☆』という小洒落たサブカル女子の散歩ロケみたいになる。
「ちょっと神野、お前さっきまで『私は人間を殺したくない(シリアス顔)』みたいな走馬灯モードに入っていただろ」
残電力量1.8%の土方が、壁に寄りかかったまま呆れた声をあげる。
なんでそこから急に生物基礎の教科書みたいな細かいツッコミで正きに戻っているんだ。
情緒の相転移が早すぎて俺の冷却システムがついていかない。
「人間の細胞にミトコンドリアがないって、お前は15億年くらい前の単細胞生物からタイムスリップしてきたんかワレェェェェ!!! あるわ! むしろなかったら私ら今ごろ酸素呼吸できなくて全員3秒で窒息死しとるわ!! 中学校の理科の教科書をメルカリで買い直してこい!!」
宗矩はあまりの衝撃発言に、凍傷の激痛も過去のトラウマも完全に忘れて跳び起き、床を激しく叩いた。
ミトコンドリアというのは、人間を含むすべての真核生物の細胞内に存在する、独自のDNAを持った細胞小器官だ。
酸素を使って効率よくATP(アデノシン三リン酸)という生命のエネルギー通貨を鋳造する、いわば細胞内の『中央銀行』なのだ。
「おい神野、ちょっと待て」
土方が、カチカチと歯を鳴らしながら割り込んだ。
「お前、いま自分の能力で『1億度のプラズマ』とか操っていただろ。そんな宇宙規模の熱量、細胞内のミトコンドリアのATPごときで賄えるわけがない。熱力学のエネルギー保存の法則はどうなっているんだ。お前のミトコンドリアはハイパーインフレでも起こしているのか」
「それは……!! それを言われたら、そもそも私の持ってるこの『錆びついた柄』がどうやって精神力で強力な磁場(テスラ級)を発生させてんのかって話になるから、そこは少年漫画的ファンタジーと科学のグレーゾーンとして、読者の皆様の『脳内等価交換』に委ねるしか……ッ!!」
「メタいこと言うなァァァ!!! 言い訳のキレが完全にジャンプの打ち切り寸前漫画のそれなんだよ!!」
土方のチタン合金の顎が外れそうなほどのツッコミが高架下に響き渡る。
しかし、そんな限界状態のギャグの掛け合いも、店の自動ドアを外からミシミシと押し潰す「現実の質量」によって一瞬でかき消された。
バキィッ!!!
不気味な金属疲労の音を立てて、ついに万福定食のドアが限界を迎えた。
「――おやおや。実にもったいないエネルギー(熱量)の無駄遣いをしているね、諸君」
凍てつく霧を切り裂いて現れたのは、黄金色に輝く最高級のナノファイバー外套を羽織った大柄な男、新選組局長――近藤。
彼の背後には、統括局の完全自動人型兵器が数十機、静かに浮遊しながら、その冷徹なガトリング砲の砲口を店内に向けていた。
「局長……」
土方が、信じられないものを見る目で近藤を見つめた。
「なぜ、あなたがここに。まだセクターの『間引き率』は予定の30%に達していないはずだ」
「簡単なことさ、土方」
近藤は優しげな、しかし完全なサイコパスの笑顔を浮かべて宗矩を見た。
「我が局のメインサーバーが、神野宗矩くんの『トカマクの熱量』が限界値に達したと計算したのだよ。一番隊(沖田)も三番隊(斎藤)も、君の能力を『最大出力まで引き伸ばすための薪』に過ぎない。さあ、宗矩くん。かつて君が織田信長様と共に犯した『12万人の融解』の続きをはじめよう。君が大人しく中央融解炉のコア(心臓)になれば、今外で凍えているネズミたちのうち、少なくとも40%は今夜の暖房を手に入れられる。……これほど合理的な数式が他にあるかね?」
近藤の言葉は、宗矩のさっきのフラッシュバック(過去のトラウマ)の傷口に、直接塩を、それも化学的に純度の高い塩化ナトリウムを100%の濃度で擦り込むような、最悪の精神的暴力だった。
「自分が死ねば、この人たちは助かるのか」
そんな不条理な正義が、ボロボロの少女へと牙を剥く。
「さあ、おしゃべりは終わりだ」
近藤が、その巨大なサイボーグの右腕を、垂直に掲げた。
ガトリング砲の鉛弾など、ただの質量兵器に過ぎない。
「我が新選組の真の力、その身に刻むがいい」
近藤の右腕から、バチバチと紫色の狂暴な火花が散る。
周囲の空間に、肉眼で見えるほどの強烈な「磁場」の歪みが発生した。
「電磁気学の基本、『ローレンツ力』だ。磁場の中を動く電荷には、その速度と磁場の強さに比例した、不可避の推進力が加わる」
近藤が手を静かに下ろす。
次の瞬間、店の周囲に浮遊していたドローンたちの銃口が、一斉にプラズマ化された金属弾を撃ち出した。
だが、その弾丸は直進しなかった。
近藤が空間に構築した「巨大な磁場」の誘導線に沿って、直角に、そして螺旋を描きながら、オヤジと土方の死角へと急激にカーブしたのだ。
「なっ……、軌道が歪んで――」
土方が叫ぶ。
「逃げるな、土方! お前のその脂質の防壁ごと、電磁誘導で沸騰させてやる!」
シュゴォォォォオオオン!!!
超高速でカーブしながら襲いかかる電磁弾。
それは触れたコンクリートを一瞬で融解させ、鉄骨を飴細工のようにへし折る。
逃げ場のない万福定食の店内で、オヤジはボロボロの中華鍋を前に突き出した。
「嬢ちゃん、下がってろ! この鍋の鉄が、磁力を吸い取る! 『電磁シールド』だ!!」
オヤジが吼える。
鉄は磁気を通しやすい性質を持つため、強力な磁場を自らの肉体(鍋)へと引き寄せ、宗矩への直撃を逸らすことができる。
だが、それは同時に、近藤の放つ数万ボルトの生体電流を、オヤジ自身がすべて生身で受け止めることを意味していた。
「が、は、ああああああああああああああッ!!!」
オヤジのバンダナが弾け飛び、エプロンから黒い煙が上がる。
鉄鍋を通じて流れ込んだ電流が、彼の筋肉組織を激しく痙攣させ、内臓の水分を沸騰させていく。
あまりの残酷な光景に、宗矩は叫んだ。
「オヤジさん!! やめて、もうやめて!! 私が、私が出頭すればいいんでしょう!?」
「バカ、言え……、嬢ちゃん……」
オヤジは白目を剥き、口からどす黒い血を溢れさせながらも、鉄鍋を絶対に離さなかった。
「料理人が、客を、空腹のまま……追い返せる、かよ……お前は、まだ……チャーハンを、食って、ねえ……」
「フン、見苦しいな」
近藤がさらに右腕の出力を上げる。
「マクスウェルの方程式は裏切らない。すべての電荷は、私の計算通りに収束する。神野宗矩、これで終わりだ」
近藤の指先が、宗矩の眉間に向けられた。
その指先には、空気中の重水素を一瞬でプラズマ化させるほどの、超高電圧の電磁球が形成されていた。
「また、私のせいで。私のせいで、みんながボロボロになっていく」
宗矩のメモリが、再び絶望で満たされようとした、その時。
カチャリ、と。
彼女の足元で、一つの「金属の音」が響いた。それは、先ほどオヤジが治療で使った、アルコールランプで熱せられたままの中華包丁だった。
(電磁気学……。磁場と、電流の、相互作用……。もし、この包丁の『温度』が、限界を超えていたら――)
ボロボロの赤ジャージの少女が、ゆっくりと、その包丁を右手で拾い上げた。
(第9話・了)




