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赫鋼のレクイエム  作者: セキマツ


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第18話:不条理の臨界点

極東セクターの中央タワー最上階、天守閣の全空間が、世界システム『徳川』の光子基板から噴き出す凄まじい青紫色の逆流電圧によって、目も眩むような光の海と化していた。


神野宗矩の、炭化したはずの両腕から解き放たれる未知の『超・超臨界熱核融合反応』。


それは、合理性という名の正解だけで世界を塗りつぶそうとしていた大東亜統括局の方程式を、内側からミリミリと力任せに圧砕していく、人間の生への執念そのものだった。


彼女の全細胞、体内のすべてのミトコンドリアが放つ生体電流のインフレは、すでに決定論的な物理法則の枠組みを完全に突破し、測定不能の無限大(インフィニティ)を網膜のエラーログへ刻み続けている。


「……あり得ない。君の肉体は、さっきの事象の地平面の熱線によって、すでに細胞膜の99%が熱変性を起こし、機能停止(シャットダウン)しているはずだ。なぜ、その状態からマクスウェルの予測限界を超える『非線形な熱量』が出力できる……!? 確率密度関数を先回りした我が『徳川』の計算式に、なぜこれほどの膨大なノイズ(大赤字)が累積していくんだ……!」


織田信長の本尊は、その美しいチタン合金の顔面に埋め込まれた無数の光学レンズを激しく点滅させ、初めて本物の焦燥、そして生物としての原初的な恐怖のコードを叫んだ。


彼の背後で黄金色の光を放って脈動していた最高意思決定サーバーは、宗矩が撒き散らす「大赤字の日常」という名の不規則な乱数(カオス)の前に、急激な熱クエンチ(超伝導崩壊)を起こし、中央回路からバチバチと緑色のショート光を派手に吹き散らし始めていた。


「言ったでしょう、信長様。私はね、完璧な数字のために生きてるんじゃない」


宗矩は、肉が剥き出しになった指先で錆びついた柄をギチギチと握りしめ、一歩、また一歩と、血の足跡を鈍い黄金色の床に刻みながら、信長の玉座へと這い上がっていった。


一歩を踏み出すたびに、彼女の組織は内側から熱変性を起こして崩壊しかけている。

だが、その痛みの数式すらも、今の彼女の執念は完全に「無視」していた。


「1玉98円のキャベツのシャキシャキ感も、業務スーパーの半額アイスのバニラの味も、明日のジャンプの発売日に命を懸けるバカバカしさも! 全部、お前の綺麗な融解炉の中に入ったら、ただの無機質な『電気信号(ゼロとイチ)』に変えられちゃうんだよ!! そんな、格差も戦争も家計簿の赤字もない代わりに、キャベツの美味さすら感じられない死んだ世界なんて、私は絶対に認めない!!」


「それが人間の傲慢(エゴ)だというのだ、宗矩!!」


信長は絶叫とともに、胸部の熱核融合炉コアの出力を、自己崩壊を承知で限界の200%へとオーバードライブさせた。


彼のナノカーボン骨格が熱膨張によってミリミリとひび割れ、露出した超伝導磁気コイルが一瞬にして大気中の重水素を圧縮する。


彼の右腕から放たれたのは、先ほど宗矩の右腕を炭化させたものとは次元が違う、時空そのものを完全にねじ曲げて光すらも永遠に閉じ込める、真の『事象の地平面(イベント・ホライズン)』の暗黒の渦だった。


光すら曲げるアインシュタインの一般相対性理論。その重力崩壊の暴力が、天守閣の空間そのものを真っ二つに引き裂きながら、宗矩の眉間へと殺到する。


「『活人剣・一刀両断』――熱力学第三法則の完全全壊(絶対零度への反逆)ォォォッ!!」


宗矩は、錆びついた柄を信長の暗黒の渦に向けて、真っ直ぐに突き出した。


彼女が放ったのは、一億度という「高熱の刃」ではない。


熱力学における絶対的な限界、すなわち『物質の温度は決して絶対零度には到達しない』という熱力学第三法則の逆理。空間の分子運動の乱雑さ(エントロピー)を、彼女自身の精神的なノイズによって局所的に無限大へと増大させ、信長が空間に展開した「整然たる重力歪み(エネルギー運動量テンソル)」を、完全に電気的な無秩序へと叩き落とす、不条理なプラズマの衝撃波だった。


ドガァァァァァァァァァァァンッ!!!!!


天守閣の全空間が、完全に2つの極端な物理法則の衝突によって爆裂した。


信長の操る、すべてを吸い込む決定論の暗黒。


そして、宗矩の操る、すべてを吹き飛ばす確率論の青紫色の光。


2つのエネルギーが接触した境界線では、空間の光の屈折率が狂乱を起こし、万福定食のコンクリートの残骸も、タワーの最高級ナノカーボン回路も、すべてが一瞬にして分子レベルで熱分解され、ただの光子(フォトン)の塵となって四方へと霧散していった。


衝撃波の物理的な質量が、宗矩の赤ジャージを完全に引き裂き、彼女の肋骨を内側からミリミリとへし折る。だが、彼女は視線を一切逸らさなかった。


「な……に……!? 私の事象の地平面が……、空間のエントロピー増大によって、吸い込むベクトルを失って……相転移(爆縮)している……!?」


信長の複眼レンズが、爆光の中でパリンと音を立てて派手に砕け散った。


彼の胸のトカマク・コアが、宗矩の放つ予測不可能な熱対流に逆流され、内部の冷却液が一瞬で気化して水蒸気爆発を起こす。


信長の美しい白磁のフレームが、自身の放った熱の逆流によってミリミリと炭化し、大東亜統括局の中枢へと直結していた光ファイバーの束が、一本、また一本と、暴力的なアーク放電を散らしながら焼き切れていった。


「これで、終わりだァァァッ!! 信長様ァァァッ!!」


宗矩は、ボロボロの右腕を限界まで伸ばし、信長の胸の熱核融合炉コアの、まさにその中心点へと、錆びついた柄の先端を泥臭く突き立てた。


彼女の体内のすべての真核生物の起源であるミトコンドリアが、その一撃に呼応して、最後の生命のエネルギー通貨(ATP)を激しくスパークさせる。


シュウゥゥゥゥゥ――――ッ!!


音は、驚くほどに静かだった。


だが、その一撃は信長の本尊の胸部装甲を完全に貫通し、彼の核融合炉の磁気籠を、内側から完全に中和(破砕)した。


「……見事、だね、宗矩。……大赤字の、日常、か。……私は、世界のすべてを計算し尽くしたと、思っていたが……。君たちの、そのくだらなくて、あったかいノイズだけは……、私の正解には……入っていなかった、ようだ……」


信長の本尊は、その美しい顔を苦痛に歪めながらも、かつての師としての、どこか哀愁に満ちた満足げな笑みを浮かべ、そのまま静かに、黄金色の光の繭と共に地面へと崩れ落ちていった。


最高執行官・織田信長の本尊、完全機能停止。


それと同時に、彼の背後にあった『徳川』のメインサーバーが、世界の全電力を失って、ブツン、と不気味な音を立てて完全にシャットダウンした。


極東セクターを支配していた冷酷な合理性の檻が、今、完全に文字通り崩壊した瞬間だった。


「はは……、やった、よ……。オヤジさん……、土方さん……」


宗矩は手から柄を落とし、その場に大の字に崩れ落ちた。


天守閣の崩壊した天井の向こう、極東セクターの冷え切った空から、これまで見たこともないような、灰色の霧が完全に晴れた美しい「本当の青空」が、ゆっくりと広がっていくのが見えた。


彼女の体内の生体電流は今、完全に「0.0%」を刻み、世界のすべてがゆっくりと遠ざかっていく。呼吸をするたびに、肺の奥が焼けるように冷たい。


だが、大東亜統括局の真の絶望は、最高執行官の死亡ごときでは、まだその計算(アルゴリズム)を停止してはいなかった。


ブゥゥゥゥゥゥン――――。


天守閣の崩壊したフロアの中心。


信長が倒れたその場所から、突如として、信長のものとは比較にならないほどの、冷徹な「空間の質量」を持ったホログラムの映像が、何もない空間に巨大に投影された。


そこに映し出されたのは、人間をエネルギーに変換するシステムの真の創始者であり、大東亜統括局の全権を実質的に裏で統御する最高評議会の本尊――徳川家康の、冷酷なまでに合理的な老人の戦闘思考(メインプログラム)だった。


『――実に見事な解(サクセス)だ、神野宗矩くん。織田信長の本尊の喪失すらも、我が大東亜統括局の方程式においては、全体の資産計算のわずか1.2%の減価償却に過ぎない。君が信長様を撃破したその最新の『超・超臨界熱核融合』の物理データは、今この瞬間をもって、我が『徳川』のグローバルサーバーへ100%完全に同期(インプット)されたよ』


家康のホログラムは、慈愛に満ちた、しかし完全なサイコパスの笑みを浮かべて、満身創痍の宗矩を見下ろした。


『さあ、最終フェーズを始めよう。君のその計算不可能なノイズ(確率の乱数)ごと、世界システム『徳川』の真の融解炉へと査収させてもらう。極東セクター全住民の生命維持電力を、今から0%へと完全にパージ(間引き)する。数字を完全にゼロにすれば、世界のエントロピーは永遠に減少するのだからね』


タワーの底辺、極東セクターの全街並みから、再び、すべてのインフラの明かりが一斉に消え去り、真の死の暗黒が世界を包み込もうとしていた。


ボロボロの少女の前に、世界そのものの不条理な正義が、最終的な最大の壁となってその爪を剥く。


全20話構成のクライマックスへのカウントダウンが、今、最も残酷な数式と共に、残り2話の死闘へと突入しようとしていた。


(第18話・了)

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