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赫鋼のレクイエム  作者: セキマツ


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第17話:熱核のゆりかご

大東亜統括局の中央タワーへと続く巨大な鋼鉄のゲートは、最高情報統制部隊である吉良と赤穂浪士たちの全滅に伴うシステムエラーによって、ミリミリと不気味な金属の摩擦音を立てながら、ゆっくりと開放されていた。


その開放された暗黒の奥底からは、極東セクターの全住民から吸い上げられた生体エネルギーが、肉眼で見えるほどの巨大な青白い光の川となって、タワーの心臓部へ向かってごうごうと流れ込んでいた。


その光の川は、凍え死にかけた住民たちの脳の電気信号や、心臓を動かすための微弱な生体電流を、文字通り物理的な燃料として強制収穫した、この世界の残酷な合理性の結晶そのものだった。


光の川が流れるたびに、大気中に飽和した重水素の霧がパチパチと不気味な静電気の音を立て、セクター全体から完全に「生命の熱」が失われていく。


その無機質な輝きは、冷え切ったセクターの最底辺で生きる人々から最後の温もりを毟り取る、冷徹な統括局の支配構造をそのまま肯定するかのように、高架下の暗闇を容赦なく暴き出していた。


「はは……、本当に、容赦がないなぁ……、大東亜統括局ってやつは……」


神野宗矩は、感覚の消え去った右腕で『トカマクの柄』を握りしめ、ボロボロの赤ジャージの膝を激しく震わせながら、一人きりでその巨大なゲートの敷居を跨いだ。


彼女の背後、凍りついたアスファルトの上には、残電力量が完全にゼロになり、左目の緑色の光を完全に失った土方のチタン合金の肉体が、無残なジャンクパーツの塊となって転がったままだった。


彼の身体の隙間からは、役目を終えた電子冷却水が、涙のようにポタポタと黒い油となって滴り落ち、そのまま極寒の大気によって凍りついていく。


土方が命を懸けて撒き散らしたマヨネーズの焦げた臭いだけが、宗矩の鼻腔に、彼が生きてそこにいた唯一の証明として、痛々しく残っていた。


その脂質の臭いを肺の奥へと吸い込むたびに、宗矩のボロボロの胸は、千切れんばかりの痛みを伴って激しく上下した。


一歩、タワーの内部へと足を踏み入れるたびに、周囲の空間を支配する「冷徹な静寂」が、宗矩の鼓膜から脳の全ワーキングメモリへと、直接的な精神的圧迫を加えてくる。


タワーの内部構造は、人間が住むための建築物では決してなかった。


壁面はすべて、鈍い黄金色の光を放つ超微細ナノカーボン構造の回路基板で埋め尽くされており、そこを流れる無数のデータログが、まるで電子の血管のように明滅している。


空気は完全に無菌化され、熱の対流すらも計算機によって制御された、絶対的な管理空間。


そこには、万福定食の厨房にあったような油の爆ぜる臭いも、1玉98円の重水素キャベツの泥臭さも、何一つ存在しなかった。


無駄なエントロピーの発生を極限まで嫌うシステム。


その空間に立っているだけで、宗矩のまとっている芋ジャージの赤は、まるで世界にとって最も有害なバグであるかのように、黄金色の電子光によって冷酷に照らし出されていた。


「う、あ……、あ、が……っ」


宗矩は胸を押さえ、その場に激しく血を吐いてうずくまった。


彼女の細胞内ミトコンドリアは、すでに能力の過負荷によって、細胞壁が内側から自食作用を起こし始めるほどの限界値に達していた。


右腕の熱傷は完全に皮膚を突き破り、筋肉の繊維が剥き出しになってピクピクと醜く痙攣している。


左腕の凍傷の跡は、タワー内部の均一な温度変化に反応して、肉が内側からミリミリと爆裂していくような激痛を再発させていた。


動くたびに、全身の神経細胞が「直ちに全機能を停止せよ」と絶止の警告を脳へ送り続けてくる。


床に広がる血溜まりを、虚ろな目で見つめながら、彼女の意識は何度も深い気絶の闇へと引きずり込まれそうになった。


それでも、彼女は錆びついた柄を杖代わりに床へ突き立て、ギチギチと奥歯を鳴らしながら、再び泥臭く立ち上がった。


「私は……まだ、倒れるわけにはいかない。土方さんが、自分の電子脳を焼き切ってまで私に繋いでくれた、このバトンを、ここで虚しいゼロの数字に戻してまるものか。オヤジさんが仕込んで待ってくれている、あの320円のチャーハンを、もう一回美味いと言って食べるまでは、エントロピーの法則にだって、統括局の方程式にだって、絶対に負けてやらない……!」


宗矩は、涙と汗でドロドロになった顔を上げ、タワーの中央にそびえ立つ、巨大な螺旋階段を見上げた。


その階段の遥か最上階、雲を突き抜けた天守閣の真ん中には、極東セクターの全住民から吸い上げられた生体エネルギーが、巨大な黄金色の光の繭となって収束していた。


そして、その光の繭の真ん中に、生身の肉体と大東亜統括局の最高中枢サーバーを直接結合させた、本物の真の最高執行官――織田信長の本尊が、冷酷なまでに美しい戦闘思考を走らせながら、静かに君臨していた。


信長の本尊の背後には、地球全土のエネルギー循環を司る、巨大な計算機ネットワークの最高意思決定アルゴリズム『徳川』のメインサーバーが、数万本の超微細光ファイバーの束となって結合されていた。


そのサーバーが明滅するたびに、極東セクターの全住民の脳が強制的に並列接続され、彼らの自我や記憶という名のデータが、システムのエントロピーを減少させるための情報の薪として、次々と処理されて消去されていく。


吉良や近藤たちの敗北すらも、信長にとっては、宗矩の放つ量子力学的な不確定性のデータを100%完全に収集し、その対策プログラムを構築するための、単なる前処理に過ぎなかったのだ。


その圧倒的なハードウェアの質量を前にして、宗矩の小さな肉体は、ただの「消去されるべき1ビットのエラー」のようにも見えた。


「よくここまで辿り着いたね、宗矩。君が撒き散らしたエントロピーのノイズは、すべて我が『徳川』の方程式の糧として、今、完璧な正解へと変換されたよ」


タワーの全壁面、無数のスピーカーと回路基板から、セクター全域の地殻を振動させるほどの、信長の圧倒的な本物の声が響いてきた。


その声は、アバターのそれとは比較にならないほどの精神的な質量を伴っており、聞くだけで宗矩の生体電流が恐怖によって強制的に減衰させられていく。


「信長、様……。私は、もう……、あなたの計算機には戻らない。私はこのボロボロの赤ジャージを着て、人間のくだらない、あったかい日常を守るために、あなたを、その世界システムごとぶっ壊す……!」


宗矩は、震える両手でトカマクの柄を上段に構え、信長のいる天守閣の玉座へと向けて、最後の一歩を踏み出した。


「悲しいね、宗矩。君がそこまでして守ろうとしている人間の日常とは、熱力学的に見れば、ただのエネルギーの無駄な拡散に過ぎないのだよ」


信長の本尊が、黄金色の光の繭の中からゆっくりと立ち上がった。


彼の肉体は、大部分が超微細ナノファイバーとチタン合金の複合フレームへと完全に置き換えられており、その胸部には、極東セクターの全電力を一手に制御する、巨大な『熱核融合炉コア』が、太陽の如き眩い輝きを放って脈動していた。


その純白の輝きは、セクターの暗闇を吸い尽くして肥大化した、絶対的な合理性の塊だった。


「人間という物質はね、わずか数十年の寿命を維持するために、大量の有機物を消費し、非効率な熱を撒き散らす、極めて不完全なシステムだ。彼らをそのまま放置すれば、地球の有限な資源はあと100年持たずに枯渇し、人類という種そのものが完全な熱的死を迎える。……だから、私たちが効率化してあげるのさ。完璧な計算式で、彼らの存在を均一なクリーン・エネルギーへとコンバートする。すべての人類が、私のこの胸の融解炉の中で一つの巨大な燃料になれば、格差も、格差による戦争も、そして君が苦しんでいるような家計簿の赤字すらも、すべて永遠に消滅する。……これほどエレガントな正解が、他にあるかね?」


信長が黒い手袋に包まれた右手を、優雅に、しかし絶対の命令として宗矩へと突き出した。


その瞬間、彼の胸のトカマク・コアから、宗矩の能力を遥かに凌駕する、純白の超臨界プラズマの熱線が放たれた。


その熱線は、単なる一億度の火柱ではない。


アインシュタインの一般相対性理論に基づき、空間のエネルギー密度を局所的に無限大へと書き換えることで、光すらも曲げて吸い込む『事象の地平面』の歪みを伴った、物理的な絶対の暴力だった。


大気がその圧力によってギチギチと軋み、螺旋階段の鋼鉄のフレームが、触れてもいないのに自重でグニャグニャと歪み始める。


「『活人剣・量子跳躍』――最大指向性出力ォォォッ!!」


宗矩は絶叫し、自身の生体電流を心臓の鼓動と完全に逆位相で同期させ、不確定性の霧となって信長の防壁をバイパスしようと試みた。


大気から彼女の肉体の座標が完全に消失し、確率の霧となって、信長の事象の地平面の内側へと滑り込もうとする。


だが、その瞬間、信長の背後の『徳川』メインサーバーが、バチバチと凄まじい演算音を立てて発光した。


「無駄だよ、宗矩。君の放つ量子力学的な不確定性の波形は、先ほどの吉良との戦闘データによって、すでにすべて我が局のアルゴリズムに解析されている。確率がどれほど不連続に変化しようとも、その出現確率の確率密度関数を先回りして計算してしまえば、それは完全に予測可能な決定論の方程式へと引き戻されるんだよ」


次の瞬間、宗矩の不確定性の霧は、信長の構築した『量子デヒーレンス電界』に接触した瞬間、空間の分子との強制的な相互作用によって波動関数が強制的に崩壊させられ、ただの予測可能な直線軌道へと引き戻されてしまった。


空間に強制的に「再実体化」させられた彼女の座標を、信長の冷徹なシステムは見逃さなかった。


「なっ……、クァンタム・リープが……、位置が特定されて――」


宗矩の瞳が、驚愕に揺れる。


防壁の内側に回り込むはずだった宗矩のプラズマは、信長の右手の事象の地平面へと、等速直線運動で吸い込まれるようにして完全に軌道を曲げられ、そのまま虚空へと廃棄された。


それと同時に、信長の放った純白の超重力熱線が、宗矩の脆弱な肉体を直撃した。


「がああああああああああああああああああああああああッ!!!!」


万福定食のフロアを引き裂いた時以上の、この世のものとは思えない凄惨な悲鳴が、タワーの内部に響き渡った。


宗矩の赤ジャージの右袖が一瞬にして灰へと変わり、剥き出しになった右腕の皮膚と肉が、一億度の熱によってジクジクと音を立てて炭化していく。


細胞内の水分がジュール熱によって一瞬で沸騰し、細胞膜を内側から暴力的に破裂させる水蒸気爆発の破壊音が、彼女の腕の中でミリミリと連続して鳴り響いた。


骨の髄まで焼き尽くす圧倒的な熱量が、彼女の生体神経を強制的に焼き切り、脳へと文字通り絶する苦痛のシグナルを送り続ける。


宗矩の身体は、強烈な衝撃波によって天守閣のコンクリート壁へと叩きつけられ、そのまま床へと崩れ落ちた。


「……っ、が、はっ……、ひ、ふ……」


床に広がる、彼女自身の焦げた肉の臭いと、脂の混じった赤黒い血液の濁流。


右手にある『トカマクの柄』は、彼女の生体電流の完全な消失に伴って、ただの錆びついた冷たい鉄の塊へと戻っていた。


両腕は完全に機能停止し、全身の骨は砕け、彼女の細胞内のミトコンドリアは、今度こそ完全に生命のエネルギー通貨の新規鋳造を停止した。


死のカウントダウン。熱力学第二法則に従い、彼女の体温が、タワーの冷徹な空気と完全に平衡状態へと向かって冷え切っていく。


床のナノカーボン回路が、彼女の流した血を冷酷にスキャンし、ただの「排出されるべき有機廃棄物」としてそのデータを処理していく。


「終わりだよ、宗矩。君の命の数式に、最終的な解をくれてやる。君のその優秀な熱量を、極東セクターの向こう100年間の電力を合わせるための、高潔な燃料として査収しよう。それが、大人たちの世界の、最も合理的な正義だ」


信長は冷酷に言い放ち、胸のトカマク・コアの出力を、最後の融解処分のために最大へと引き上げた。


彼の指先から放たれる青白い電磁の光が、倒れた宗矩の眉間を完全にロックオンし、トリガーが引かれようとした。


その絶対的な合理性の前に、人間の個としての尊厳など、ただの一時的な計算エラーに過ぎなかった。


死の瞬間。


完全に機能停止しかけた脳のワーキングメモリの片隅から、走馬灯のように、あのくだらなくて、あったかい日常の数字が、再び溢れ出してきた。


(……収入、月額12,000セクターポンド。家賃、4,500ポンド。重水素水の水道代、1,200ポンド。電気代ペナルティ、6,800ポンド。……昨日のキャベツが98円。半額コロッケが60円。……商して、万福定食での、先月からのツケの合計金額が、32,000ポンド。……今日の緊急オペ代を合わせて、合計82,000ポンドの、大赤字……)


(……あはは。やっぱり、私の家計簿は、いつだって計算が合わなくて、マイナスだらけのボロボロだ。……だけどね、信長様。私はね……、お前の言う完璧なプラスの正解の数字の中に閉じ込められて、感情を奪われて、燃料にされて生きるより……。この、マイナスだらけで、不条理で、計算が合わなくて、それでもみんなで『ツケが溜まってんだよバカ娘!』って笑い合いながら食べる、あの320円のチャーハンの大赤字の数字の方が、1億倍生きてる価値があるんだよォォォォオオッ!!!)


「――何が合理的な正義だ、この科学のバケモノがぁぁぁッ!!! 私はね!! 完璧な数字のために生きてるんじゃない!! 泥まみれの98円のキャベツの、生のまま凍らされたあのシャキシャキ感を、もう一度取り戻すために生きてるんだよォォォォオオッ!!!」


宗矩は、感覚の消え去ったはずの、骨まで炭化した右腕を、猛烈な執念の力だけで泥臭く突き動かした。


彼女の全細胞、体内のすべての真核生物の起源であるミトコンドリアが、その日常への不条理な執着という名のエラーログに呼応して、大東亜統括局の方程式の限界値を遥かに超えた、未知の『超・超臨界熱核融合反応』をその肉体の中で紡ぎ出し始めた。


炭化していたはずの彼女の肉体組織が、量子力学的な確率の壁を強引に突破し、彼女の意思そのものを物理的な熱量へと変換していく。


「生体電流が……、測定不能へと急増しているだと……!? 『徳川』のメインサーバーの計算が……追いつかない……!?」


信長の複眼が、初めて本物の恐怖のエラーログを網膜上に乱打させ、驚愕に歪んだ。


完璧に管理された世界システム『徳川』の光子回路が、宗矩の撒き散らす大赤字の日常の前に、ミリミリと音を立てて内側からショートを起こし始める。


彼女の放つ非線形なエネルギーの奔流は、統括局のすべての予測関数を完全に破砕し、タワー内部のナノカーボン壁面を内側からボロボロに爆裂させていった。


宗矩は、錆びついた柄を両手で、肉が剥き出しになった指先で力強く握りしめ、天守閣の玉座に君臨する信長の本尊へ向けて、最後の、本当の『活人剣』の構えを構え直した。


その構えから放たれる青紫色の光は、もはや統括局のどんな磁気バリアでも、どんな事象の地平面でも制御できない、絶対的なカオスの熱量だった。


「理系の皆さんなら分かりますよね、なんて……、もう二度と言わない。……文系も、理系も、統括局も、新選組も、全部まとめて私の100円分の温かい熱量の渦の中に、叩き落としてやるよォォォォオオッ!!!」


少女の命のすべてを賭した、世界のルールを完全にブチ壊すための本当の最終決戦の方程式が、今、最も熱く、最も不条理な光を放って、極東セクターの天守閣の真ん中で臨界点を突破した。


タワーのすべてのシステムが、そのエネルギーのインフレに耐えきれずに激しいスパークを散らし、世界の終わりと始まりを告げる熱核のゆりかごが、轟音と共にその真の輝きを放ち始めた。


(第17話・了)

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