それを、見失う
朝。
ポケットの紙はある。
でも昨日と違う。
重さが、微妙に変わっていた。
開く。
『そこ』
一文字だけ。
なのに、昨日より“強く”残っている。
文字じゃない。
“圧”みたいなものがある。
「……なんだよ、これ」
呟く。
もう驚きは薄れていた。
代わりに残っているのは、
嫌な確信だけだ。
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教室。
窓際の席。
そこに座る人はいない。
でも、
“空いている”とは違う。
まるで、
そこだけ最初から存在しないような空白。
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その席を見た瞬間、
頭の奥が軽く揺れた。
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——笑い声。
——隣にいた誰かの横顔。
——「お前またそれかよ」って声。
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一瞬だけ流れ込んで、
すぐに途切れる。
「……っ」
息が詰まる。
これは記憶じゃない。
思い出でもない。
もっと不安定な何か。
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机に手を置く。
冷たい。
でも一瞬だけ、
“誰かの体温”が混ざる。
すぐに消える。
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ポケットの紙が熱くなる。
開く。
『見て』
⸻
視線を上げる。
何もない。
教室はいつも通り。
でも——
違う。
空気の“層”が一枚だけズレている。
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「……いるんだろ」
声に出る。
返事はない。
でも、
机が鳴った。
ギシ、と。
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振り向く。
誰もいない。
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なのに、
黒板の端に一瞬だけ文字が浮かぶ。
『ここじゃない』
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息が止まる。
「じゃあどこだよ……」
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次の瞬間。
視界の端に、
“誰かが移動した”気配がした。
見えない。
でも確実に“動いた”。
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追う。
でも何も見えない。
ただ教室の空気だけが、
微妙に歪んでいく。
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机の配置。
椅子の影。
光の入り方。
全部は変わっていない。
なのに、
“誰か一人分の空白”だけが動いている。
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ポケットの紙が震える。
開く。
⸻
『見失う』
⸻
その瞬間、
頭の中で何かが切れかけた。
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——さっきまで確かにあった感覚。
——“そこにいる”という確信。
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それが一瞬で曖昧になる。
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「……待てよ」
声が震える。
⸻
見えない。
思い出せない。
でも確かに“いた”。
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なのに今、
その存在の位置がわからない。
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教室の空白が、
一つ増えた気がした。
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帰り道。
街に出る。
違和感はさらに広がっている。
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人が歩いている。
でもその間に、
“誰も見ていない場所”がある。
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誰も気づいていない。
でも全員が、
そこを避けている。
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ポケットの紙が重くなる。
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それはもう“紙”じゃない。
⸻
何かの方向を指すものに変わっている。




