第6話 採石場の魔物は、剣より先に足元を見る
翌日の採石場では、工事が半分ほど止まっていた。作業員たちが坑道の入口から離れ、地面に並んだ工具を数えている。昨日応対した現場監督のダンが、レインたちを見つけて手を上げた。
「来てくれたか。今日は工具の数を数えてほしいんじゃない。坑道に変なのが住み着いた」
ダンは古い坑道の入口を指さした。夜間に保管していた鉄のくさびや小型のつるはしが消え、朝には奥の通路から金属を叩く音がするという。
「人の泥棒なら警備員を呼ぶ。だが、見張りが見たのは四つ足の黒い影だった」
「魔物なら討伐依頼になるんじゃありませんか」
「腕の立つ冒険者は別の現場に行ってる。お前さんには、まず入口まで来て調べてほしい。危険なら引き返して構わん」
レインはリシアを見た。医者の許可は街歩きと軽作業までで、まだ前線で戦える状態ではない。
「奥には入らない。様子だけ確認して、必要なら専門のパーティを呼ぼう」
リシアも頷いた。
現場を確かめる前に、レインはダンから被害の記録を見せてもらった。盗まれた道具の数だけでなく、なくなった場所と時間も書いてある。近くに置かれていた木の柄や革袋は無事なのに、金属製のくさびだけが消えていた。
「見張りが最後に見たのは?」
「日の出前だ。黒いものが一つ、坑道の入口を横切ったという。犬だと思ったが、足音が違ったらしい」
「昼間に人が作業していた時は出なかったんですね」
「そうだな。音が静かになると出てくるようだ」
レインは入口から離れた場所へリシアを誘導した。彼女の左腕にはまだ新しい包帯があり、いざという時に庇いながら戦えるとは思えない。
「調査だけで報酬がもらえるんですか」とリシアが尋ねた。
「依頼書にはそう書いてある。魔物の正体を確かめて、危険度を報告するまでが俺たちの仕事だ」
「もし人が襲われていたら?」
「助ける。でも無理に倒そうとはしない。誰が何をできるか考えよう」
彼女は頷きながら、地面の石を靴先で軽く動かした。
「それなら、私は人を逃がす道を確かめておきます」
良い考えだった。レインも採石場の配置を教えてもらい、作業小屋の裏から広場へ抜ける通路を頭に入れた。戦う前の準備は地味だが、こうしたことが一番役に立つ時がある。
二人は坑道の前で足跡を調べた。泥の上に小さな爪痕が残っている。犬よりは大きく、狼ほどではない。何より奇妙なのは、足跡が現場のあちこちへ向かっているのに、餌を探した形跡がないことだった。
「肉や食べ物は盗まれていないんですね」
「そこが妙なんだ。鉄の道具ばかりだ」
ダンが答えると、レインはかがんで地面の砂を拾った。黒い粉が指につく。坑道の入口近くに、細かい鉄屑が線のように続いていた。
「鉄を食べる魔物かもしれない」
「そんなものがいるんですか」
「いる。山側の鉱山で一度見たことがある。でも、ここの足跡は少し違う」
暁の剣にいた頃、レインは魔物の図鑑を読む役目も担っていた。前衛が何を狙って攻撃すべきか、採集地で何を避けるべきか。そうした知識が今も役に立つ。
足跡の幅を測ると、予想していた鉱山の魔物より小さいことが分かった。それでも鼻先の硬さを思えば、木材の柵ぐらいなら簡単に破られるだろう。レインは地面に落ちた錆びた釘を一本拾い、袋の中へしまった。
「その釘、返却してみますか」
「持ち主も分からないし、今は使わないよ」
「そうでした。見つけた物が全部返せるわけじゃないんですよね」
「うん。持ち主の分からない物を勝手に動かせたら、便利どころか危ないだろうね」
リシアは納得したように口を閉じ、足跡の先を眺めた。二人ともこの依頼では《返却》を使う場面がないかもしれないと理解していた。それでもレインは、スキルが役に立たなければ仕事もできないとは思っていなかった。
採石場の作業員が遠くで鉄材を運び始めると、坑道の中から短い音が返ってきた。偶然かと思ったが、同じ音が三度続く。誰かが奥で金属を噛み砕いているような、嫌な響きだった。
坑道の奥から、金属の擦れる音がした。ダンが身を引き、リシアが無意識に右手を腰へ動かす。
「下がろう。今は無理に戦わなくていい」
レインが言いかけた時、入口の石が崩れた。黒い塊が地面を転がるように飛び出し、作業場の鉄材へ向かった。
それは岩のような甲羅を持つ四つ足の魔物だった。首が短く、鼻先には固い突起がある。魔物は人間には目もくれず、地面に落ちた錆びた釘を噛み砕いた。
「鉄喰いだ!」
作業員が叫んで逃げ始めた。
魔物は音に驚いたのか、頭を振って木箱を弾き飛ばした。中の刃物が散らばる。レインはリシアに後退を促し、近くの作業員を安全な場所へ誘導した。
「攻撃してこないなら、しばらく様子を見るべきだ。こっちから刺激しないように」
しかし、工具を守ろうとした若い職人が、木の棒で魔物の甲羅を叩いてしまった。鉄喰いは振り向き、鼻先を低くして突進の姿勢を取る。
レインが声をかけるより早く、リシアが職人の上着をつかんで引き倒した。魔物は背後の板壁に突っ込み、木材を割った。
「リシア、腕は!」
「今のは右手だけです。それより、あれを止めないと」
彼女は痛みをこらえていた。レインはこれ以上動かせないと判断し、ダンへ声を張り上げた。
「作業員を奥の広場へ。金属の工具はなるべく持たせないでください!」
鉄喰いが惹かれるのは鉄だ。地面に散らばった刃物を口に運ぼうとする。だが、あれほど強い顎を持つ魔物を正面から止めるのは無理だった。
レインは足跡を思い出した。坑道の入口に細かい鉄屑が続いていたのは、鉄を食べながら移動していたからだ。そして、あの魔物は地面の鉄屑に鼻を近づけた時、ほんの少し動きが鈍る。
「嗅覚で鉄を探しているのか……」
レインは足元の古い鎖を拾い、ダンに呼びかけた。
「木箱の向こうに鉄屑を撒いて、あっちへ誘導できますか」
「誘導した後はどうする!」
「入口の落とし扉を閉める。その間、誰も近づけないでください」
採石場には運搬用の大きな木の扉があり、重りを外せば通路へ落とせる仕組みになっていた。人が通るための設備で、魔物を閉じ込める用途ではない。しかし、わずかな時間を稼ぐことはできる。
ダンは作業員に指示を出した。レインは鉄屑の袋を受け取り、通路へ細い線を描くように撒いた。鉄喰いの鼻が動き、黒い頭がそちらへ向く。
「来るぞ!」
魔物が突進した瞬間、レインは横へ飛び退いた。地面に落ちた鎖が魔物の前足へ絡み、黒い甲羅が傾く。完全に止まることはなかったが、狙いは外れた。
扉の重りを外そうとした作業員が、錆びた留め金に手間取っている。レインが駆け寄ると、リシアが反対側から棒を差し込んだ。
「ここを押せば外れます!」
彼女の声に合わせて、レインが留め金を叩く。重りが落ち、大きな板扉が鉄喰いの進路を塞いだ。
板の向こうから激しい衝撃音がした。木が軋み、数本の釘が抜け落ちる。長くはもたない。
「全員下がって! 冒険者を呼んでください!」
レインは残った作業員が退避したのを確認してから、リシアの手を引いて入口を離れた。
扉を閉じた後も、レインたちはその場を離れなかった。坑道の入口から十分に距離を取り、避難してきた作業員の人数を数え直した。ダンが呼びかけると、若い職人が一人、工具置き場に取り残された仲間を探し始めたので、レインはすぐに止めた。
「誰がまだ戻っていないんですか」
「いや、全員いるはずだが……」
「だったら今は近づかないでください。道具は後で探せます」
ダンは工房の親方らしく厳しい顔をしたが、レインの言葉には逆らわなかった。危険な場所に戻ろうとした職人も、人数を確認してようやく落ち着いた。
リシアは作業小屋の前に腰掛けていた。右手に小さな擦り傷ができていたが、本人は大したことはないと言う。レインは水で洗うよう頼み、予備の布を渡した。
「私は剣が使えるのに、今日はほとんど何もできませんでした」
「職人を一人助けただろう」
「でも、その後は邪魔になって」
「邪魔だったら、あの留め金は外せなかった。俺一人では届かなかったよ」
リシアは少し考えてから、右手の擦り傷を見た。
「次はもっと動けるように、ちゃんと治しておきます」
「それがいい。次に危ない依頼が来ても、受けるかどうか一緒に考えよう」
遠くから警笛が聞こえ、救援を呼びに走った者が戻ってきた。レインはようやく肩の力を抜いた。
ギルドの討伐班が到着したのは、それから一刻ほど後だった。鉄喰いは扉の一部を破っていたが、鉄屑の袋を追いかけて奥へ戻り、そのまま閉じ込められたという。討伐班は囲いの外から魔物を仕留め、作業場の安全を確かめた。
「助かった。人が一人でもけがしていたら大事になるところだった」
ダンは心底疲れた顔で言った。
「魔物を倒したのは討伐班です。俺たちは時間を稼いだだけですよ」
「その時間が欲しかったんだ。報酬は危険手当を上乗せする。ギルドにも報告しておく」
レインは礼を言ったが、胸の奥には別の感情が残った。リシアが職人を助けなければ、あの突進は避けられなかったかもしれない。自分のスキルは一度も使っていない。それでも、知識と準備で人を守ることはできた。
帰り道、リシアは傷を気にしているレインに、包帯を見せた。
「少し痛みました。でも、開いてはいません」
「医者にはもう一度見てもらおう。無理をさせた」
「自分で動いたんです。そこまで謝らないでください」
彼女の言葉には、昨日より少し力があった。
街へ戻ってから二人は治療室へ寄り、改めて診察を受けた。幸い傷は開いておらず、医者からも重い物を持たなければ問題ないと言われた。
夕食の席で、レインは受け取った報酬を分けた。前日よりは手元に残る額が多い。リシアは硬貨を見つめ、初めて自分の仕事で得た金だと言った。
「私、こういうのは覚えています。働いてお金をもらうのは、当たり前のことのはずなのに」
「当たり前でいいんだよ。今日は二人とも働いた」
窓の外では夕立が降り出していた。レインは採石場で拾った黒い鉄屑を少量、紙包みにして机へ置いた。魔物を誘導した時に使った粉とは違い、細かい銀色の粒が混ざっている。
「これ、工房へ持っていったら何か分かるかな」
「ミーナさんのところですか」
「うん。刃の素材に詳しそうだったから」
リシアは頷いた。小刀の刻印を調べる中で、また一つ新しい手掛かりを得たところだった。




