第3話 追われる銀髪の少女と、持ち主の分からない小刀
小刀は古かったが、手入れが行き届いていた。刃は途中から折れているものの、残った部分に赤錆はない。柄には銀の飾りが埋め込まれており、その内側に小さな星の印が彫られていた。
「いつから持っていたんですか」
ギルドの相談室で尋ねると、外套の女性は落ち着かない様子で戸口を振り返った。名前はノーラ。街の外れで宿を営んでいるという。
「三日前です。若い娘が泊まりに来たんですが、宿代の持ち合わせがなくて。この小刀を一時的に預けて、あとでお金を払って取り戻すと言っていました。ところが昨夜、見知らぬ男たちがその娘を探しに来たんです」
「男たちは何と?」
「盗品を持って逃げた女だと。ですが、どうにも様子がおかしくて。役所の人間なら名乗るでしょう? あの人たちは名前すら言わず、部屋を見せろと言うばかりでした」
ノーラは小刀を握る手に力を込めた。
「娘さんが戻る場所がなくなると思って、まだここで預かっています。この小刀が本当に盗品なら元の持ち主へ返したい。でも、あの人たちの言うことを信じていいのか分からないんです」
レインは頷いた。話を聞くほど、簡単な返却依頼ではないと思えた。
「その娘さんの特徴を教えてください」
「銀色の髪をしていて、背はこれくらい。腕を怪我していました。話し方は丁寧でしたけど、ずっと何かを警戒していて……」
ノーラが腕を抱えた時、相談室の外で椅子が倒れる音がした。二人が廊下に出ると、受付係が青ざめた顔で玄関を指さしている。
「今、銀髪の女の子が外で追われていて……!」
レインは小刀を机に残し、ギルドの玄関へ急いだ。
通りには人だかりができていた。荷車と噴水の間に、一人の少女が追い詰められている。銀色の髪は乱れ、左腕に巻いた包帯には血が滲んでいた。向かいに立つ男が二人、長い棒状の武器を手にしている。
「逃げても無駄だ。大人しくこちらへ来い」
「放してください。私は、あなたたちのことを知りません」
「言い訳は向こうで聞く。俺たちについて来い」
少女は一歩下がったが、背後には水の止まった噴水があった。これ以上逃げられない。男の一人が棒を振り上げたので、周囲から悲鳴が上がった。
レインは振り下ろされる棒の先を鞄で受け止めようとしたが、重い柄が肩をかすめて体がよろめいた。それでも少女との間に入ると、男たちの表情が変わった。
「何のつもりだ、お前」
「人の多い場所で、けが人を殴るのはやめた方がいい」
「こいつは盗人だ。盗んだ物を取り返しに来たんだ」
「盗難届は出してあるのか? ここはギルドの目の前だ。職員に話を聞いてもらおう」
男は舌打ちした。レインが時間を稼いでいると気づいたのだろう。背後では少女が呼吸を整え、体を少し斜めにしていた。右足を引き、片手を腰に置く。武器を持っていないのに、剣を抜く直前のような姿勢だ。
もう一人の男が腰から短剣を引き抜いた。
「引っ込んでろ!」
レインは男の手首を見た。短剣の柄には、街の訓練所が貸し出す武器の管理印がついている。少し前まで、その訓練所から装備を借りる手続きもレインが担当していた。
「その短剣、訓練所の管理印があるな。どうして持っている?」
「うるさい、どけ!」
男が突き出した短剣をレインは避けきれず、外套の端が裂けた。だが、ギルドの衛兵が駆けつけるまでの数秒は稼げた。訓練所の印だけでは、現在の正当な持ち主までは確かめられない。ここで《返却》を試しても、失敗する可能性が高かった。
「武器を捨てろ!」
衛兵の声に男の腕が一瞬止まった。
衛兵に気を取られた棒持ちの男へ、少女が踏み込んだ。彼女は相手の腕をひねって棒を落とさせた。見事な動きだったが、次の瞬間には負傷した左腕を押さえて膝をついた。
衛兵が短剣を持った男を押さえる間に、もう一人が人混みへ逃げようとした。レインは無理に追わず、少女の側へしゃがんだ。
「立てる?」
「……はい。でも、腕が」
「話は後でいい。まず傷を見せて」
少女は疑い深そうにレインを見た。助けられたことより、なぜ見知らぬ他人が間に入ったのかを考えているようだった。
「ギルドには治療室がある。あそこなら、この人たちも勝手に連れ出せないよ」
少女は短く頷いた。ノーラも人混みをかき分けて近づいてきた。
「よかった、無事だったのね!」
「ノーラさん……。宿に戻ったら迷惑がかかると思って」
「迷惑だったら小刀なんて預からないわよ。さあ、立って」
二人に支えられてギルドに入った少女は、治療室で包帯を交換してもらった。傷は深いが、命に関わるものではないという。レインも肩の打撲を冷やし、ようやく落ち着いて話せるようになった。
「名前を聞いてもいいかな」
「リシアです。リシア・フェルン」
「俺はレイン。さっきの人たちは何者なの?」
「分かりません。分からないことが、多いんです」
リシアは視線を落とした。
「昔のことを思い出せないんです。目を覚ましたら知らない場所にいて、あの人たちに追われていました。手元に残っていたのは、小刀だけでした」
相談室からノーラが運んできた小刀を見せると、リシアはほっとした顔をした。だが手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。
「持っていたのは覚えています。でも、いつ、どこで手に入れたのか分からないんです」
レインは小刀を机に置いた。持っていた人と持ち主は、同じとは限らない。能力を試す前に、まずは小刀の来歴を調べるべきだとレインは思った。
「ノーラさんから持ち主探しを頼まれたんだ。君が宿代の代わりに預けた物なら、勝手に誰かに渡さず、まず事情を整理しよう。ギルドに保管してもらえば安全だと思う」
リシアは驚いたように顔を上げた。
「私が嘘をついているかもしれませんよ」
「全部を信じたわけじゃない。でも、君がけがをしていて、あの人たちが通りで武器を振り回したのは見た。まずはそこを何とかしないと」
言いながら、レインは自分の帳面の空白に一行書いた。『銀の小刀、ギルド保管。所有者未確認』。リシアがその文字を覗き込む。
「ずいぶん細かく書くんですね」
「あとで持ち主が見つかったとき、話が食い違わないようにね。いつか自分の道具屋を開きたいんだ」
「道具屋……」
リシアは小刀を見つめた後、しばらく黙っていた。やがて小さな声で尋ねた。
「記憶を失った人のことも、ギルドで調べてもらえるんでしょうか」
レインは小刀の柄に残る星の印を思い出した。資料室に同じ図柄はなかったが、工房なら何か分かるかもしれない。小刀の来歴をたどれば、彼女がどこから来たのかも見えてくる可能性はある。
「俺も詳しいわけじゃないけど、ギルドの記録や工房の印を調べることはできる。名前しか分からないなら、手掛かりを一つずつ探そう」
「……そんな面倒なことまで、頼んでいいんですか」
「小刀の持ち主を探す依頼は、もう受けてるからね。君の話は、その調査にも役立つと思う」
リシアは少し考え、安心したように息を吐いた。けれどすぐ廊下の方へ視線を向け、声を潜めた。
「あの……今夜だけでも、どこかに隠れさせてもらえませんか。また追いかけてくるかもしれなくて」
「ギルドの職員に相談しよう。保護用の部屋があるはずだ」
「……ありがとうございます」
レインは窓口の職員を呼び、彼女が休める場所を尋ねた。保護室の空きがあると聞くと、リシアの表情からようやく緊張が少し抜けた。
彼女が袖を直したとき、包帯の下に古い傷痕が覗いた。新しいけがとは違い、ずいぶん前についたものらしい。リシアはすぐ袖を下ろしたので、レインはそれ以上見ないことにした。
その日の夕方、ギルド職員が治療室に報告へ来た。捕らえた男は身元を証明する書類を持っておらず、依頼主の名前も明かそうとしないという。
「明日の朝、街の守備隊へ引き渡します。ただし、逃げた男やほかの仲間が戻ってくる可能性はあります」
レインは一度頷き、リシアへ向き直った。
「保護室の鍵は、職員が預かってくれている。俺も近くの宿にいるから、困ったことがあったら職員を通して呼んで」
リシアは礼を言い、ふと机の小刀を見た。
「私、剣は使えるみたいです。どうして身につけたのかは覚えていませんけど」
「さっき見たよ。すごく上手だった」
「でも、左腕が治るまで、長くは戦えません」
「なら、無理して戦わなくていい。仕事は他にもある」
レインは言ってから気づいた。まだ知り合ったばかりなのだから、彼女が何の仕事をするかまで決める立場ではない。とりあえず今夜は休んでもらい、明日のことは本人の希望を聞いて考えればいい。
リシアはしばらく考えてから、少し背筋を伸ばした。
「けがが治ったら、何かお手伝いできませんか。ずっと頼っているだけじゃ、落ち着かないんです」
レインは手を差し出した。
「もちろん。体が治ってから考えよう。俺も独立したばかりで、仕事はこれから探すところなんだ。手伝ってもらうなら、報酬もきちんと相談したい」
リシアは思いがけない返事だったのか一瞬きょとんとしたが、やがて控えめに笑った。
レインは帳面を開き、明日の予定を記した。まず古い小刀を調べられる工房を探し、次にノーラの宿で娘が残した荷物を確かめる。リシアが覚えている範囲の話も聞きたいが、傷の手当てが済んだばかりの彼女を急かしたくはなかった。
「私も一緒に行っていいでしょうか」
「医者が歩いていいと言ったらね。無理をして傷が開いたら、調査どころじゃない」
「分かりました。今日は休みます」
素直に答えたものの、リシアは窓の外を何度も確認している。レインは職員から渡された保護室の利用札を机に置いた。
「ここはギルドの中だし、出入りは職員が見てくれる。何かあったら呼んで。俺は近くの宿に泊まるから」
「はい。……レインさんも、気をつけてください」
「俺の方まで心配してくれるの?」
「肩を殴られたでしょう。私のせいで」
「それはあの男のせいだよ。君が謝ることじゃない」
リシアはようやく顔を上げた。初めて会って数時間しかたっていない相手だ。互いに分からないことは多いが、少なくとも今夜の居場所を見つける手伝いはできた。
そのときリシアの腹が小さく鳴った。彼女は気まずそうに顔を伏せたが、レインも朝から走り回っていたせいで腹が減っていた。
「夕飯、ギルドの食堂で頼もうか。……と言っても、あまりお金がないから安い定食になるけど」
「温かいスープがあれば、それで十分です」
レインは食堂の注文票を手に取りながら、小刀の星印を思い浮かべた。古い品の持ち主を探すだけの依頼が、思いがけず人探しにもつながった。
明日は工房を回ろう。そう決めて帳面を閉じると、リシアが遠慮がちに「パンも一つ頼んでいいですか」と尋ねた。レインは少しだけ懐具合を考え、それから二人分のパンに印をつけた。




