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俺を追放するのは構いませんが、その魔剣も鎧も俺の持ち物ですよ?  作者: ころもぐら


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第2話 剣を失った勇者候補、荷物持ちの値段を知る

走り出してすぐ、レインは自分の判断を少し後悔した。荷物持ちの仕事で歩くのには慣れていても、速さなら街の泥棒に分がある。路地を曲がった男との距離は、むしろ広がっていた。


「そっちは市場の裏に続いてる。抜け道が多いんだ」


いつの間にか後ろを走っていた少年が、息を切らしながら教えてくれた。


「君はここで待っていて。危なくなったら大声を出して」


「でも鞄が!」


「必ず取り戻すとは約束できない。でも、できることはやるよ」


そう言って路地を進むと、足元に赤い糸の切れ端が落ちていた。鞄の持ち手を補修した糸が引っかかって切れたのかもしれない。レインはそれを拾い、路地の突き当たりを見た。右には市場、左には水路が続いている。遠ざかる足音は左から聞こえた。


追いかけようとして、レインは立ち止まった。能力を使うには持ち主が分かっている必要がある。少年の説明だけでは、父親の鞄であることをまだ確かめられない。持ち手の赤い糸を見られれば判断できるが、相手はもう角の向こうだ。


少し考え、レインは水路の先にある橋を目指した。あの橋は昼になると荷馬車で混み合う。泥棒が渡るにしても、人の波を避けて走るのは難しい。


予想は当たった。橋の上には三台の荷馬車が並び、男が通行人を押しのけようとしている。レインは前へ出た。


「その鞄、少し見せてもらえませんか」


「ああ? 何だお前」


「持ち手に赤い糸が縫ってあるはずなんです」


男は鞄を背後へ隠したが、持ち手の付け根から赤い糸が覗いていた。少年が言っていた補修跡と一致する。とはいえ、似た鞄の可能性もある。確かめるなら、その修理をした者に聞くのが早い。


「そこの鞄屋さん! この鞄、見覚えありませんか」


橋の手前には小さな革細工の店があった。店主が戸口から身を乗り出す。


「おお、それなら昨日、持ち手を直したやつだ。ラドのところの鞄じゃないか。息子に取りに来させたはずだぞ」


店主の証言と少年の説明が一致した。ちょうど少年の父親も、通りの向こうで息子を探している。革細工店の主人が「ラド、こっちだ!」と呼ぶと、男は顔を上げ、自分の鞄を指さした。レインは盗まれた品と正当な持ち主を確かめ、男に声をかけた。


「その鞄はラドさんの物です。返してください」


「知らねえよ!」


「《返却》」


男が握りしめていた革の鞄がふわりと浮いた。金色の光を引いて荷馬車の脇を抜け、橋のたもとに立つラドの方へ飛んでいく。


「おい、何だよそれ!」


鞄はレインの手元には来ず、両腕を伸ばしたラドの胸に収まった。正当な持ち主へ戻す。それが《返却》の働きだった。


「父ちゃん!」


少年が叫んだ。男は何が起きたのか分からず目を白黒させていたが、鞄を確かめると少年を抱き寄せた。泥棒は逃げようとしたものの、騒ぎを聞いた市場の警備員が橋を塞いでいた。


「ありがとう、兄ちゃん!」


「俺だけじゃ無理だったよ。鞄屋さんも、君も、よく覚えていてくれたから」


少年は笑って、何度も頭を下げた。父親は財布から銅貨を差し出そうとしたが、レインは断った。礼を受け取るために追いかけたわけではないし、何よりこのやり方が正しいのか、まだ自分の中で少し迷っていた。


もし泥棒が別の誰かから正当に譲り受けた品だったら。もし持ち主が鞄を返してほしくない事情を抱えていたら。返却は物を動かせるが、その行為が正しいかどうかまでは教えてくれない。


ギルドへ戻る道すがら、レインはそのことを帳面に書きつけた。


一方、暁の剣の一行は、いつもの宿で言い争っていた。


「剣一本くらい、すぐ買えばいいだろう」とカイルは言った。


店から戻ってきたセドは、新しい武具の見積もりをテーブルに置いた。


「一本くらいって値段じゃないぞ。あの剣は刃が欠けても切れ味が落ちなかった。似た物を買うなら金貨が三十枚は要る」


「報酬がある」


「遠征費を払ったら残りはそこまでない。レインがいつも節約してたから、前は気づかなかったんだ」


カイルは舌打ちした。彼には目標がある。王都の勇者選抜に名を連ね、国中にその名を知られることだ。そのためには強い仲間と、十分な装備が必要だ。だがレインは、その戦力には数えていなかった。


「補給係を雇う話はどうした?」


「三人に断られた。依頼報酬の割合が低すぎるって」


「そいつらが欲張りなだけだ」


セドは何も言わなかった。レインがいつも黙って引き受けていた仕事を、初めて他人の値段として見せられていた。


そのころレインは、宿の自室へ運び込んだ荷物を眺めていた。買い戻した中古の机には師匠の道具箱を置き、床には武器と鎧を丁寧に並べた。手元にある金を数えると、小さな店の賃料にはまだ足りない。装備を売ることもできるが、師匠の遺品を手放す気にはなれなかった。


道具屋を開くなら、まず修理の仕事を請けるべきだろう。高い武器を売るより、壊れた鞄の持ち手を直すほうが喜ばれることだってある。そう思っていると、窓の外で雨が降り始めた。


レインは靴を脱ぎ、靴底の亀裂に指を入れてみた。明日にでも修理しよう。自分の物の手入れが後回しになるところは、昔から変わらない。


道具箱の底から、師匠が残した古い木札を取り出した。端に刻まれているのは『預かりものには名前を書くこと』という文字だ。何の変哲もない教えだったが、その言葉のおかげで今日の少年を助けられた気がした。


「いつか、この札を店に掛けられたらいいな」


声にすると笑ってしまうほど、ささやかな夢だった。


翌朝、レインはギルドへ向かった。独りになった以上、収入を得る必要がある。危険な討伐は避けて、採集や配達の依頼を探すつもりだった。


掲示板の前で、受付係が声をかけてきた。


「レインさん。昨日、橋で盗品を取り戻したそうですね」


「たまたまだよ。鞄の持ち主が分かったから」


「そのことで、相談に乗っていただきたい方がいるんです」


受付係の隣に、古い外套を着た女性が立っていた。細い指で握り締めているのは、刃の折れた小刀だった。


「この小刀の持ち主を、探してもらえないでしょうか」


そう言って女性は、レインの前に小刀を置いた。柄には小さな星の刻印がある。かつて師匠の店で見た、王都の古い工房の図録に似た印が載っていた気がした。


レインは即答できなかった。誰の物か分からない道具を持ち主へ返すには、まずその人を見つけなければならない。しかも、この古い印は街の普通の工房では使われていないものだ。


「すぐには返せないと思う。でも、持ち主を探すことなら手伝える」


女性は安堵したように頭を下げた。


レインは依頼書に名前を書き、初めてパーティではなく自分ひとりの署名を残した。


窓口を離れた後、レインは依頼書の控えを読み直した。古い小刀の持ち主を探す仕事は、普通の採集依頼よりずっと厄介そうだった。何しろ見つける相手の名前さえ分からない。それでも、困っている人がいて、自分の得意な調べ物が役に立つのなら、挑戦する価値はある。


最初に向かったのはギルドの資料室だった。調達記録と武具の刻印を収めた棚には、昔から見慣れた冊子が並んでいる。暁の剣の仕事では何度もここへ来ていたが、名前を記入して借りるのはいつもレインだった。


「あれ、レインさん。今日は一人ですか」


資料室の係員が顔を上げた。レインが事情を話すと、係員は気まずそうな表情になった。


「すみません。さっき別の方から、あなたはもう暁の剣の所属じゃないって聞いて……。借りられる資料の範囲が少し変わるんです」


「そうか。仕方ないね。一般向けの図録は見られる?」


「もちろんです。こっちの棚なら大丈夫ですよ」


所属が変わるというのは、こういうことなのだと実感した。昨日までは当たり前のように通れた場所に、今日からは別の手続きが必要になる。胸の奥に小さな痛みが走ったが、レインは係員に礼を言い、一般向けの図録を開いた。


星の刻印は王都の古い工房の図柄に似ていた。ただし同じ印は見つからない。星の一角が欠けているのは傷ではなく、最初からそういう意匠のようにも思える。これだけでは断定できなかった。


「王都の工房か……」


小刀に使われている銀は質が高そうだった。装飾も実用品としては手が込みすぎている。持ち主が貴族であれば、地方のギルドだけで探すのは難しいだろう。


レインは図録の番号を帳面に控え、閲覧した本を棚へ戻した。資料室を出ると、掲示板の前で二人の冒険者が立ち話をしていた。


「暁の剣、今朝の採集依頼を断ったんだって?」


「荷物運びが足りないらしい。勇者候補のいるパーティが、こんなところでつまずくとはな」


自分のことが話題になっているらしいと気づき、レインは足を止めなかった。気持ちのどこかには、困っているなら手伝ってやりたいという思いも残っていた。だが、戻ったところでまた同じことの繰り返しになる。自分で出ていけと言ったのはカイルだし、その決定を受け入れたのは自分だ。


ギルドの外に出ると、朝の風が顔に当たった。市場では魚屋が氷を運び、パン屋から焼き立ての匂いが漂ってくる。レインは腹が減っていることに気づいた。昨日は荷物の整理に追われて、夕飯を簡単に済ませただけだった。


パン屋で固焼きのパンと温かいスープを買い、店先の椅子に腰掛けた。隣では子どもが昨日見た盗難騒ぎを大げさに話している。


「剣が空を飛んだんだって!」


「飛んだのは鞄だろ」


「鞄だって飛んだらすごいよ!」


レインは笑いをこらえた。自分のスキルにそんな見せ場があるとは、これまで考えてもいなかった。戦場では使いにくい。距離が離れると失敗することもある。持ち主を間違えれば何も起きない。それでも、使い方次第で誰かの役には立てるらしい。


スープを飲み終えた時、街路を急ぐ足音が聞こえた。銀色の髪を外套に隠した少女が、店の前を横切る。顔までは見えなかったが、彼女は左腕をかばうように歩いていた。


その後を、揃いの革手袋をはめた男たちが進んでいく。二人とも旅人にしては軽装で、腰に武器を隠しているようだった。レインは追いかけかけて、すぐ思い直した。見知らぬ人を疑っただけで動けば、かえって迷惑をかける。


それでも手元の帳面には、先ほどの銀の小刀について書いたばかりだった。妙な巡り合わせに思えたが、確かめるためにはまず事情を聞く必要がある。


レインはパン屋の主人に礼を言い、男たちの向かった方角を帳面に記した。もし宿の女性が探している娘と関係があるなら、詳しい話を聞かなければならない。ギルドに戻ると、ノーラという名の依頼人へ改めて相談室で話を聞きたいと伝えた。


今は違う。これが、自分の名前で引き受けた最初の依頼だった。

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